神戸連続児童殺傷事件の加害少年だった男性による
告白手記本出版に対して、社会的な論議が巻き起こってるね。
否定的な意見が大勢を占めているような印象だけど
僕も個人的には反対だね。
確かに加害者の当時の心理とか、犯行に至ったメカニズムとかに興味はある。
だけどそれを本人が著者として出版するのは、かなり違和感があるね。
何故ならそこに印税収入が発生するから。
つまり、自分の犯した殺人事件を、金儲けの道具にしてる訳だね。
しかも相変わらず匿名というフィルターに守られながら
安全なところに身を隠したままでというのも、気に入らない。
自身が著者として出版するなら、身分を明かすべきだね。
それくらいのリスクと責任は負うべきだな。
なんかこの元加害少年は自己を取り戻すために必要だったとか
出版元は社会的な意義があることだとか言ってるけど
今のところ僕の印象は両者共に金儲けだね。
金がほしくて書いて、金になると思って出版したと思える。
確かにこの人の告白が社会的に有意義な部分はある。
正直どうしてこんな事件を起こしたのか、興味深いのは否定しない。
少年が少年の首を切断して人目に晒すなんて、尋常じゃないもの。
犯罪心理を紐解く上でも貴重な資料となり得るだろうね。
でもね、だったら第三者が聞き取りして、出版するべきだった。
例え本人が手記を書いて持ち込んだにしても
それをそのまま出版してしまうというのは
あまりに社会倫理を無視した行為と言える。
あくまでも本人名義で手記を世に出したいなら
週刊紙などに掲載して、幾ばくかの原稿料を支払えばいい。
大金を手にする可能性がある形態での出版には
個人としてかなりの違和感を覚えてしまう。
だからこそ金儲けの臭いがプンプンと臭ってしまうんだな。
しかも今のところ、印税を償いに充てたいとか聞こえて来ないよね。
ということは、やはり・・・と思ってしまう。
それに対する違和感は、多くの人が感じているんじゃないかな。
手記を自ら出版社に持ち込んだというのも、どうにも気に入らない。
本当に自らの行為を反省してるのかも、疑問に思える。
反省してるなら、それを金にしようとはしないのが正常な心理だろうね。
例えまともな社会生活を送れていないとしてもね。
そこに手を出しちゃダメだろ!という気はする。
何よりご遺族の心情を考えると、とても容認できないな。
傷に塩どころか、辛子を塗り込むような行為だね。
それを考えても、反省してるとはとても思えない。
個人的にはこれは売れてはいけない物だと思うな。
社会的に拒否してるということを示すべき。
もし購入する人は、それが彼の収入に寄与してると自覚するべきだし
それなりの責任を自覚して手に取るべきだろうね。
そもそも書店はこれを店頭に置くべきじゃないとまで思う。
ただ欲しいと思ってる人も、少なくないだろうな。
そこが出版社のそろばんだろうし、目論見でもある。
社会的な論議が盛り上がるのは、いい宣伝だと笑ってるかもね。
出版の自由も発言の自由も、確かに民主主義社会に必要なものだけど
そうは言っても、社会倫理を無視する理由にはならない訳で
何でも有りじゃ無いってことを、社会が自ら示す必要はあると思う。
不快なものは不快だと、はっきり伝えるべきだよね。
更には、歴史的な犯罪者に関連した書籍が出版されると
それに心酔する者が必ず出てくる。
凶悪であればあるほど、猟奇的であればあるほどね。
そういう危険も孕んでるということを、出版社は自覚してるのか?
どうにも無責任に過ぎるような気はするね。
しかも初版10万部って、売る気満々じゃん。
売れてしまうのかねぇ?
日本人の倫理観が、そんなに低くないことを祈りたいね。
告白手記本出版に対して、社会的な論議が巻き起こってるね。
否定的な意見が大勢を占めているような印象だけど
僕も個人的には反対だね。
確かに加害者の当時の心理とか、犯行に至ったメカニズムとかに興味はある。
だけどそれを本人が著者として出版するのは、かなり違和感があるね。
何故ならそこに印税収入が発生するから。
つまり、自分の犯した殺人事件を、金儲けの道具にしてる訳だね。
しかも相変わらず匿名というフィルターに守られながら
安全なところに身を隠したままでというのも、気に入らない。
自身が著者として出版するなら、身分を明かすべきだね。
それくらいのリスクと責任は負うべきだな。
なんかこの元加害少年は自己を取り戻すために必要だったとか
出版元は社会的な意義があることだとか言ってるけど
今のところ僕の印象は両者共に金儲けだね。
金がほしくて書いて、金になると思って出版したと思える。
確かにこの人の告白が社会的に有意義な部分はある。
正直どうしてこんな事件を起こしたのか、興味深いのは否定しない。
少年が少年の首を切断して人目に晒すなんて、尋常じゃないもの。
犯罪心理を紐解く上でも貴重な資料となり得るだろうね。
でもね、だったら第三者が聞き取りして、出版するべきだった。
例え本人が手記を書いて持ち込んだにしても
それをそのまま出版してしまうというのは
あまりに社会倫理を無視した行為と言える。
あくまでも本人名義で手記を世に出したいなら
週刊紙などに掲載して、幾ばくかの原稿料を支払えばいい。
大金を手にする可能性がある形態での出版には
個人としてかなりの違和感を覚えてしまう。
だからこそ金儲けの臭いがプンプンと臭ってしまうんだな。
しかも今のところ、印税を償いに充てたいとか聞こえて来ないよね。
ということは、やはり・・・と思ってしまう。
それに対する違和感は、多くの人が感じているんじゃないかな。
手記を自ら出版社に持ち込んだというのも、どうにも気に入らない。
本当に自らの行為を反省してるのかも、疑問に思える。
反省してるなら、それを金にしようとはしないのが正常な心理だろうね。
例えまともな社会生活を送れていないとしてもね。
そこに手を出しちゃダメだろ!という気はする。
何よりご遺族の心情を考えると、とても容認できないな。
傷に塩どころか、辛子を塗り込むような行為だね。
それを考えても、反省してるとはとても思えない。
個人的にはこれは売れてはいけない物だと思うな。
社会的に拒否してるということを示すべき。
もし購入する人は、それが彼の収入に寄与してると自覚するべきだし
それなりの責任を自覚して手に取るべきだろうね。
そもそも書店はこれを店頭に置くべきじゃないとまで思う。
ただ欲しいと思ってる人も、少なくないだろうな。
そこが出版社のそろばんだろうし、目論見でもある。
社会的な論議が盛り上がるのは、いい宣伝だと笑ってるかもね。
出版の自由も発言の自由も、確かに民主主義社会に必要なものだけど
そうは言っても、社会倫理を無視する理由にはならない訳で
何でも有りじゃ無いってことを、社会が自ら示す必要はあると思う。
不快なものは不快だと、はっきり伝えるべきだよね。
更には、歴史的な犯罪者に関連した書籍が出版されると
それに心酔する者が必ず出てくる。
凶悪であればあるほど、猟奇的であればあるほどね。
そういう危険も孕んでるということを、出版社は自覚してるのか?
どうにも無責任に過ぎるような気はするね。
しかも初版10万部って、売る気満々じゃん。
売れてしまうのかねぇ?
日本人の倫理観が、そんなに低くないことを祈りたいね。