流れのままに。

いろんなことを好きに語っております。

退院後初外来。

2007-07-31 14:29:08 | Weblog
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今日は退院後初の診察へ行って来ました。
入院病棟の静けさに比べると、外来は相変わらず人がいっぱいで、ざわざわと喧騒に包まれてるね。

外来って待たされて当然みたいなところがあるから、そんなこともあって僕は病院嫌いなんだけど、今日は予約していたので10分くらいでした。
入院前の外来は一時間~二時間平気で待たされてたからね。
大体僕は待たされるとか並ぶとかいうの嫌いなんだよね。
だからラーメン好きでも行列する店はほとんど行かない。
誰かと一緒なら間が持つからまだいいんだけど、一人だとまず行かないな。
行くとすれば開店時間狙って行くとか、中途半端な時間に行くとかしてる。
映画でもそう。
大抵初回に行く。
でなきゃ公開してある程度してからとか。
それでも並んでたら、DVD出るの待ってレンタル。
「躍る大捜査線」シリーズとか宮崎駿作品とかは公開期間中ずっと並んでるの判ってたから、はなからDVD待ちだった。

今日は何してきたかというと、診察と採血とレントゲン撮って、栄養士さんの話聞いて次回の予約して帰ってきました。
どれも待たされなかったから一時間掛からなかった。
退院時の話だと今日から抗がん剤使用って言ってたんだけど、来週からということになりました。
ちょっと貧血なんで鉄分補給の薬処方してもらってるもので、それをもらってきました。
やっぱりちょっとね、立ちくらみするのね。
食事の量少ないから余計だよね。
やっと下痢とかしなくなったから、かなり楽になったけど。
『とんかつ』食べた~い!なんて、心で叫んでます(笑)

ちょっと油断した。

2007-07-30 21:46:39 | Weblog
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今回手術で胃の2/3を取ってしまった訳だけど、ラッキーなのは食事が始まってからほとんど吐き気を感じないで済んでいる事。
手術前は先生からも看護師さんからも「最初は吐き気があってなかなか食べられないよ」と何度も言われていたので、かなり覚悟していたのだけど、実際そんなことはなくてほっとしていた。

それで油断していた訳でもないのだが、今日昼食を食べてから吐き気に襲われてしまった。
何とか我慢して乗り切ったが三時間位吐き気と戦う羽目になってしまった。
原因は多分食べたものの中に合わないものがあったらしい。
昼食を作ってくれた妹は必要以上に責任を感じたらしいが、僕とすれば日々頭を悩ませながら食事をつくってくれる家族を責める気などある訳は無く、まぁ何にしても食べてみなけりゃ合う合わないは判らないのだから、そんなこともあって当然だろうと思う。

実は入院中にも一度だけ吐き気に襲われたことがあったが、そこはそれ病院なのだからすぐに吐き気止めを出してくれたのだが、自宅ではそうはいかない。
あまりに吐き気を覚える事が少なかったので気にしてなかったが、退院する時に吐き気止めをもらっておけば良かったと、今更ながら後悔している。

夕食前にはすっかり吐き気も収まったのだが、大事を取って夕食は摂らなかった。
少しずつお菓子とかカステラとか食べて様子を探ったが、どうやらもうすっかり大丈夫のようだ。
ほっと一息である。
「ちょっとお腹すいた」と言うと、家族も多少安心したようである。

実際食材として「食べてはいけない」と言われている物は無いが、「食べない方がいい」という食材はあるし、それ以上に調理法には注文が付く。
大好きな揚げ物やラーメンは全くのNGだ。
油を多く使う中華料理もほとんどNGである。
口に出来るのはいつのことになるのやら・・・・。


10年周期

2007-07-29 17:52:50 | Weblog
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入院中にふと気付いたんだけど、僕は人生で初めて手術を必要とする病気をしてから、ほぼ10年周期で手術をしているのね。

初めて手術をしたのは6~7歳の頃で、扁桃腺を取りました。
その頃風邪をひけば高熱を発してね、原因は扁桃腺だった。
風邪もひきやすかったんだよね。
その時の手術の様子は覚えてる。
口から器具を入れて扁桃腺を切るんだけど、僕は手術台に寝ているんじゃなくてイスに座ってた。
前日は何も食べるなと言われてたのにみかんの缶詰食べちゃって、器具を挿入されたとたんに吐いてた。
「食べるなって言ったのに」って執刀医が文句言ってた。
そりゃそうだよね。
下手すりゃ喉に詰まるか気管に入るかして、命に関わる場合もあるんだから。
術後にうがい薬を処方されるんだけど、これがメチャクチャ不味くてね。
今でもあの味覚えてる。

二度目の手術は17歳の時。
盲腸でした。
確か破裂する寸前だった。
もの凄い痛みと高熱で医者へ行くと盲腸だった。
一週間入院したんだけど、どういう訳か高校の友人が誰も見舞いに来ない。
冷たいなぁなんて思ってたら、何と担任が盲腸で入院してるって生徒には言ってなかったということが判った。
体調崩して今週はお休みです程度。
そりゃ来ないよね。
担任なりに気を遣ったんだろうか?
盲腸ってガスが出るまでの勝負だよね。
あの瞬間の安堵感は今でも覚えてる。
「ああ、これで物が食える」って。

三度目は病気じゃないけど、26歳の時にスクーターの事故で足の骨を骨折した。
車とぶつかったんだけど、足だけで済んだのはラッキーだったかも。
きれいにぽっきり折れてたから治るのも早かったし。
ただ足首もいってたから、動くようになるまでちょっと大変だった。
毎日クリーム塗ってマッサージしたりしてね。
手で持って負荷をかけたり、なるべく歩くようにしたり。
動くようになるまでにどのくらい掛かったかな?
普通に歩けるようになったのは多分2~3ヶ月掛かったんじゃないのかな。
もっとだったかも。
骨折ってプレート抜くための手術もするから、二回受けなきゃならないんだよね。
あれがちょっと面倒だな。

三度目は34歳の時。
肺気胸でした。肺に穴が開いて空気が抜けちゃうやつね。
抜けた空気がそのまま肺を圧迫するから、呼吸が苦しいんだよね。
僕の場合体型的になり易いらしくて、実はそれまでにも何度か発症してたんだけど、三日くらい我慢してれば自然に治癒してた。
痛みもあるし呼吸も苦しいんだけど、動けないほどじゃなくて学校や仕事にも行ってた。
入院した時はね馬鹿だから穴が開いたまま飛行機に乗っちゃったんだよね。
それで酷くなっちゃった。
当時の先生に言わせると命の危険も多少あったらしい。
だって飛行機が上空にいる間ずっと、ほとんど呼吸ができなかったもの。
気圧の関係で。
意識も失う寸前で、かろうじて残っていた意識をフル稼働して、気絶しないようにしてた。
息も口からできるだけ静かにするようにして、何とか周りに気付かれないように必死だったな。
気付かれたら大事になるの判ってたからね。
隣にも乗客いたけど、気づかれなかったな。
着陸寸前になってやっと呼吸が戻ってね。
あの時は本当に死ぬかと思った。
でもね、すぐに病院へ駆け込んだのかというとそうじゃなくて、確か3日後だったと思う。
また自然に治癒するんじゃないかと思って、ちょっと様子見てた。
馬鹿だよね。

で、四度目が今回の胃がん。
今45歳だから、ほぼ10年周期で手術をするような事態になっている。
ということは次は55歳前後に何かあるってことだけど、そうするととりあえず『五年生存率』はクリアしたということになるから、いいのか悪いのか?
がんが再発するんだとしたら、その辺りが僕の寿命になるのかもね。
じゃなきゃうちは両親共に心臓を病んでるから、そっちかも知れないけど。

何にしても老衰で静かにって訳にはいかないらしいな。




サイン

2007-07-28 17:27:14 | Weblog
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そもそも今回のがんが発覚するきっかけになったのは、言うまでも無く病院で受けた検査によるものだったんだけど、じゃあ何故病院へ行こうと思ったのかというと、それなりに思い当たる症状があったからです。

自覚症状としては

・味覚異常
・舌の一部に痛み
・食欲不振
・吐き気
・貧血
・下血
・疲れやすい
・胃に軽い痛み

そんなところでしょうか。

味覚異常というのは、甘みをほとんど感じなくなったと同時に、辛味(塩分も含めて)が強烈になったんですね。
以前は気にならなかった少量のスパイスでも、舌が痛いほどでした。
例えばコンビニのソース焼きそばなんか、痛くて食べられなくなってました。
まるで激辛料理のごとくです。

貧血については会社の健康診断でも指摘されてたんですけど、元来の病院嫌いなのとそれほどの自覚症状は無かったので無視してました。
「栄養が足りてないんだろう」くらいの感覚でしたね。
この時詳しい検査を受けていれば、もう少し早く発見できたと思いますが、その時点で既に早期ではなかったと思います。
ただ会社の健康診断も軽く考えない方がいいでしょうね。
再検査を進められたら素直に従った方が身の為です。
何も無ければそれでまた安心できるんだし。

下血についてはですね当初大腸がんを疑ってました。
ただ悪い事に、僕は慢性的にではないですが、お尻にトラブルを持ってまして、
早い話が(痔)ですが、出血してもそっちの可能性の方が僕の中では高かった。
でも実際がんが発覚する前に、二度ほどけっこうな量の出血があったのです。
トイレの底に溜まっている水が真っ赤になる位でした。
いずれも朝の排便時でしたが、それで胃ではなく大腸がんの可能性を疑っていたのは事実です。
そして大腸の検査を受けようかどうしようか迷っている間に、どんどん胃に自覚症状が現れだしたということです。
ただ、この出血が胃がんによるものなのかどうか、はっきりとした事は判っていません。
でも貧血が進んだ事と時期を考えると、まず間違いないと思います。
先生に訊けば、その可能性が高いと答えるでしょう。

胃の痛みについてはですね、鋭く刺すような痛みではなくて、胃をぐーっと押されているようなそんな感覚です。
それが不意に襲ってくるんですが、耐えるというほどの事は無かったですね。
なったことは無いですが、胃潰瘍って多分あんな感覚なんじゃないのかな?
違うかな?
あと胃の中で微弱な炭酸がしゅわしゅわと広がっているような感覚もありました。
とにかく明らかに胃に違和感があったということです。

これだけ自覚症状があればすでに早期でないことくらい想像つきますし、実際病院へ行こうと決めた時点でがんだろうという予感というよりは確信に近いものがありました。
それが却って宣告のショックを軽減してくれましたね。
胃がんと宣告された時も、ショックはほとんどありませんでしたから。
「ああ、やっぱり」という感覚でした。
すぐに訊いたのは「助かるのか、駄目なのか」でした。

特に男性には病院嫌いが多いですが、検査はしっかり定期的に受ける事をお勧めします。
特に40代に入ったら何かあると思った方がいい。
全く何も無いと言う人は多分ほとんどいないと思います。
ただその『何か』が命に関わるかどうかは、また別の話ですけど。



食べるということ。

2007-07-27 16:25:18 | Weblog

今回僕は胃の2/3を切ったので、当然ながら胃の処理能力も激減したわけで、一度に食べる量は2~3歳の子供より少ないんじゃないのかと思う位。
しかもその量に30分以上掛ける。
そうしないと胃の処理能力が追い付かないばかりか、腸にも負担が掛かりすぐに下痢してしまうし、最悪腸閉塞も引き起こしかねない。

主治医の言い方だと「口の中で胃の代わりをさせるようによく噛む」ということになる。
これが意外と難しい。
大体柔らかくて消化のいいものを食べているのだから、噛むにも限度がある。
すぐに噛み応えが無くなってしまうのだけど、それでも唾液を多く出す必要があるのでしばらく噛んでいなければならない。
「食べる」という行為がこんなに難しく感じたのは初めてだ。
同時にとても大切なのだと気付かされもしている。
ろくに噛まずに飲み込んでいる方は改めた方がいいと思います。
カレーライスは飲み物じゃありませんよ!!

僕は今基本の3食プラス間食3回を病院の栄養士の指導で行っている。
お腹が空くからではなく、栄養-特に糖分が不足するからだ。
間食は本当におやつ程度である。
全体的に摂取カロリーは少ない。
それでも「お腹が空いた」という感覚は今のところ無い。
胃が小さいのだから当然といえば当然。
しかし身体が小さくなった訳ではないので、栄養は圧倒的に不足している。
この3~4ヶ月で10kgは体重が減っているはずだ。
これを戻すには多分数年掛かると思う。

不思議なもので最近はTVのグルメ特集なんかを好んで観る様になった。
好きなものを食べられないのだから避けて当然なのだが、どういう訳か観てて楽しいのである。
レポーターが美味しそうに食べてるのを観てると、何だか気持ちがいい。
ギャル曽根なんかが登場したらもう釘付けで観てる。
何だろう?
もしかすると疑似体験しているのかも知れない。
自分でも良く判らない心理ではある。

反対に以前は大好きだった医療関係の番組は観なくなった。
スーパードクターが出て来るやつだ。
以前はどこかショーを観るような感覚で観ていたのが、実際自分ががんになるととても他人事として観られなくなってしまったのだ。
患者の心情や苦しみが判ってしまうのだから、観てて辛くなってくるのである。
家族の苦悩や苦労まで手に取るように理解出来てしまうのだから、とても平然と観てはいられない。

とにかく今は僕にとって「食べる」ということが最大のテーマで、毎食毎食手探り状態である。
何を食べていいのか?悪いのか?
どれだけ食べるのがベストなのか?
どれほどのペースで食べればいいのか?
全てはお腹の状態を感じながら、おっかなびっくり食べているのが現状だ。
ともすれば以前の感覚で飲み込もうとするのを必死で耐えている。

ただ良かったのは実家に戻った事で、家族がメニューを細心の注意で考えてくれている。
僕は食卓について出されたものを量に注意して食べればいい。
食べたいものも支障が無い限り、言えばすぐに買ってきてくれる。
本当に家族とは有り難くかけがえの無いものだとつくづく思う。
もしかすると今回僕の最大の収穫は、その事に改めて気付かされた事なのかも知れない。

わがままだけは言わないようにしなければ!
追い出されては大変だ!!(笑)

帰還。

2007-07-26 18:07:04 | Weblog
え~、何とか無事手術を終えて退院しましたので、再開します。
このブログってもう二ヶ月近く休止してたんだけど、実際入院したのは今月の6日だったのね。
じゃあ先月一ヶ月は何してたかというと≪自宅待機!!≫してました。
進行がんなのに一ヶ月も自宅待機って、けっこう凄いよね。

理由は簡単!
≪手術の順番待ち≫です。
まぁこのへんが地方医療の実態なんだろうな。
医者だって嫌だよね。
進行がんだって宣告されてる患者に向かって「一ヶ月先の手術になります」なんて告げるのは。
実際本当に申し訳なさそうな顔してたし。
執刀医は別の先生だったんだけどね。
結局胃の2/3を切りました。

執刀医=主治医ってことだけど、僕の場合(というかがんは皆そうだろうけど)切って終わりじゃなくて、今後少なくとも五年はお付き合いが続くことになる。
何も起こらなければね。
起こればもっと長くなるかも知れないし、ずっと短いかも知れない。
どういう意味かは判ると思うからあえて言わないけど。

僕の場合進行がんだし、更にはちよっとタチの悪いものらしくて、転移の可能性もあって今後は抗がん剤での治療になる。

つまりは『今後の方がずっと大変!』てことね。

副作用は人それぞれらしいけど、全く無いとは考えられないから覚悟はしてます。
ただ毛が抜けるなんてのはいいけど、吐き気なんかの直接的な苦痛は軽く済んで欲しいな正直。
それぞれ薬で軽減できると言われてもね、苦痛は苦痛でしょ。
でも僕の使う抗がん剤は新しいものらしくて、通院だけでいいらしい。
点滴じゃなくて飲み薬だと言ってました。
だからって副作用が軽いわけではないらしいけど。
そりゃがんをやっつけようってものだからね、風邪薬みたいに「ちょっと眠い」程度な訳は無い。
まぁ憂鬱だよね。

それにしても僕は入院する度に思うけど、看護師さんてほんとうにありがたい。
『白衣の天使』とはよく言ったものだと思う。
夜中でもボタン一つで飛んできてくれる安心感たら無いね。
彼女達は(男性もいるけど)その存在が既に医療だな。
仕事だけじゃ割り切れないよ、あの仕事は。

というわけで、再開したのでよろしくってことで!
なるべく更新するよう努力します。