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今日はパソコンを立ち上げると、Yahoo!ニュースに
『日本人レーサー死亡事故』
の見出しが。
どこのレースかと思えば、”マン島TT”とある。
何とも郷愁を誘う響きを伴っている。
今でこそイギリスのローカルレースに過ぎないけど
バイクレース好きには特別な感慨を呼び起こす。
多分40代後半以上の、と注釈は付くだろうけど。
いや、40代でも知ってる人は余程のバイクレース好きだ。
このレースが世界GPとして戦われていたのは
1950年代~60年代が全盛期と言えるもので
70年代に入ってからは、その危険度から不参加も相次いだ。
何せまるっきりの公道コースで、普段は生活道路に過ぎない。
レース用に整備されているとも言い難く、路面のμも低い。
しかも一周60kmに及び、コーナーの数は200を超える。
そんなコースをレーススピードで走るのだから、狂気の沙汰だ。
何せ現在は平均速度で200km/hオーバーを達成し
最高速度に至っては300km/hを越える。
片側一車線の、何の変哲もない一般道で!!
これがどれほど常軌を逸してるかは、バイク乗りには判るはず。
それを裏付けるように、死亡事故も多く発生している。
幾度となく廃止が議論になっているけど、存続し続けているのは
このレースがバイクレース史に於いて、特別な響きを持っているからだ。
F1で言えばモナコGPのようなものだろうか?
日本であればとっくに廃止されているはずだけど
そこがモータースポーツに対する社会的な位置づけの差だろうね。
イギリスでは伝統文化として、ちゃんと認知されている。
危険=廃止という短絡的な思考にはならない。
日本は全体主義で、すぐに社会的な制裁を適用しようとするけど
向こうはあくまでも個人の責任が尊重される。
こういうレースの存在が悪なのではなくて
やはり出場する以上は、個人(チーム)の責任なんだな。
嫌なら出場しなければいいんだという考え方。
エントリーに関しては何の強要も無いのだから、その通りと言える。
とはいえ、社会的な廃止論があるのは事実だけど。
バイクに対して否定的な思考の持ち主は、どこにでもいる。
いや、バイク乗りでさえ、このレースに対して疑問を唱える者は少なくない。
では何故存続しているかと言えば、それ以上の憧れもあるからだ。
マン島TTと聞いて、特別な想いを抱くファンは多い。
何度も言うが、それだけ特別な位置づけのレースなのだ。
島という閉鎖された限定的シチュエーションで行なわれているのも
このレースの存続には幸いしてると言える。
そこは島ではないが、F1モナコGPと似ている。
要するに空間を限定的に閉鎖できれば、公道レースも存続できる。
ミッレ・ミリアが高い人気を誇りながら廃止に追い込まれたのは
そこがネックになっていた事も大きな要因だろうね。
日本でも以前横浜でF1を開催しようとか
三宅島でバイクレースを開催しようという計画はあった。
ただ日本はレースに対するアレルギーが未だに強いし
何より警察がすぐ潰しに掛かるので、今後も無いだろうな。
ラリーみたいな田舎道のイベントなら、かろうじて容認されてるけど。
何しろ警察は公道使用に関して、とにかくマイナス思考だから。
映画撮影でもそうなのだから、レースなんて以ての外だろうね。
すぐに暴走族なんかと結びつけたがるし。
僕から言わせれば、あまりに文化的思考が欠落してると思うけど。
まあ社会的なアレルギーも高いのは事実だから、強くは言えない。
まあ日本国内のレースに対する閉鎖的思考はともかくとして
マン島TTと聞けば、思い浮かぶのはジョイ・ダンロップ!!
マン島TTで最多勝利を誇る英雄的なライダーだ。
80年代から2000年に掛けて、圧倒的な強さを誇った。
WGPから外れたこのレースが高い人気を維持し続けたのには
この人の存在が大きかったのは、言うまでもない。
とにかく公道レースには強いレーサーで
”キング・オブ・ザ・ロード”と讃えられていた。
僕も映像で見たことがあるけど、ちょっと信じられなかったね。
あのコースをあのスピードで駆け抜けていくのには
感動すら覚えた。
まったくレールの上を走ってると思わせるほどだった。
残念ながら、別の公道レースで事故死してしまったけど。
彼らしいと言えば彼らしい。
レースには事故が付きもので、最悪の場合死に至ることもある。
でも、だから不要なものと位置づけるのは、異議がある。
自動車が今の進化を可能にしたのは
レースという究極の実験環境があったからで
それは単純にスピードの向上だけではなく
むしろ安全面での貢献の方がずっと多いのも事実。
レーサーをいかに保護するかが、最大の課題でもあるからね。
300km/hの事故からでも生還できることを要求されてるのが
レースカーの安全基準だったりする。
ボルト一本の品質向上にも、大きな貢献をしてるんだね。
それと燃費の向上。
レースとは相反する事だと思うかも知れないけど
実はレースを制する大きな要因に、燃費の優秀さがある。
つまり燃費向上はレースカー開発の大きな課題でもある。
当然その技術は市販車にフィードバックされてる。
例え軽自動車でさえね。
それをレース存続の言い訳にする気はないけど
実は大きな貢献を果たしてるんだということも知って欲しい。
今回の事故は残念なことだけど
一人の日本人が偉大な歴史の中にロマンを見つけて
挑戦したことは、素直に評価したい。
ご冥福をお祈りします。
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