鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

1999年 ヨーロッパ鉄道模型紀行  その18 帰国

2023年09月30日 | 海外旅行

いよいよ帰国です。

パリリオン駅前から空港バスに乗ります。

これで、長かった旅行も終わり日本に帰れる。

 

バスの窓から見た売店も良いフランスの思い出になるだろう。

その時、鍵束を持った小学生ぐらいの子供が、駐車場の周りをうろうろしているのが見えた。 持っている鍵を車のキー穴に入れてドアを開けようとしている。 開かないので違うキーを差し込んで、開かなければ次の車へと移動。

白昼堂々と、人目のある中で、車荒らしだ。 それも、子供だ。 パリの裏側を見た気がした。

 

ドゴール空港にゆく途中、下に広い道が通っているところがあった。 隣に座っていたE先生が、この道は、以前、ダイアナ妃が、パパラッチに追いかけられて命を失った道です、と教えてくれた。 まだ記憶にも新しいほどだったが、この道で、と思ったのでした。

 

空港の標識が見える。 空港だよ〜

ここで、来た時と同じ様に、関東組は成田行きの飛行機で、関西組は関空行きの飛行機に分かれる。

関空組は4人で、ツアーコンダクターは東京組のみだが、来る時もそうだったが旅慣れているので何の不安もない。

成田行きよりも関空行きの方が出発が早い、19:15発のJALだ。 じゃあね、と東京組に別れを行って、飛行機に向かう。

 

廊下を歩いていると、こんな部屋に突き当たった。 吊り革はあるし、椅子もある。 へんな待合室だなと思ったら

 

これなんです。 空港内のバスなんです。 これで飛行機の搭乗口まで行って、飛行機の座席に座る。

日本を出てから一週間足らずぐらいですが、チューリッヒからミラノ、戻ってベルンから、フランス、イギリス、リヨン、パリなどなど、もう疲れ切っているんです。

これで、やっと日本に帰れると、座席のベルトを締めました。 

でも、なかなか動き出さない。

そのうちに「この飛行機のドアに荷物用のトラックが接触したので点検中です。 もう少しお待ちください」

さらに時間が経って「修理するのに一旦皆様に降りてもらいます。 もう一度空港の待合室にお戻りください」

え〜、 疲れているのに。 座席ベルトを外し、また例の空港内バスに乗って廊下を歩いて待合室に。

ここで、長く待ったのですが、その間Y部さんは、まるでツアーコンダクターのように、JALのディスクの前で何かしらの情報を待っていてくれました。

 

やがて、「今日はこの便は飛びません。 皆様にホテルと夕食を用意します」という放送が流れた。 Y部さんは良いホテルになる様に交渉してくれています。

ここで、泊まるということは、一旦出国したフランスにまた入国するということです。 そこで、入国手続きに並ぶ。 

そして、空港の待合室でサンドイッチが配られて、はっと気がつくと、私のコートがない。 安物だけれど、コートがないと外は寒いし都合が悪い。 そうだ、さっきまで座っていた国際線の待合室に忘れてきたのだ。 どうしよう。

 よく見るとガラスの壁の向こうに国際線側の待合室が見える。 そこに私のコートがあるのが見える。 距離にして10mもないのだけれど。ガラスの壁がある。

そこで、空港職員に言いにゆく。 すると日本人のJALの職員が対応してくれて、訳を言うと一緒に取りに行ってくれると言う。 後をついてゆくのだが、まずは出国手続きがいる。 なにせ国際線の待合室なので国外なのだ。出国手続きをして、コートのある待合室でコートを拾って、またまた、フランスへの入国手続きをして、皆の待っている空港待合室に戻ってきた。

ようやるな〜 とか皆に言われたけれど、なんとかコートが戻ってきた。

さて、どこかのホテルに連れて行ってくれるが、飛行機1機分はかなりの人数で、観光バスが何台も用意されていた。 指示に従ってそのバスに乗り、真夜中の道を1時間ほど走ってどこかのホテルに着いた。 暗いし、どこなのかさっぱりわからない。

 

そこは綺麗なホテルだった。 ノボテルらしいがどの辺りのノボテルかさっぱりわからない。

翌朝レストランにゆくと、JAL一行様と書かれていた。 かなりの人数が泊まっていた様だ。

観光バスで空港にゆく。 他のホテルからも何台かバスが来ていて、出国手続きに並ぶ。

 

かくして、何とか日本に帰ってくることができました。

でも、1日遅れ。 それは月曜日でした。

朝、関空に着くなり、職場のある駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、そのまま職場に。

時差もへったくれも、夕方まで働いて、ふらふらになって家に帰ったのでした。

他人から、、1日長くパリに居られて良かったね、とか言われましたが、真っ暗なパリのどこかわからないところに連れてゆかれ、朝早く起こされて帰っただけなんだから。 

 

1999年 ヨーロッパ鉄道模型紀行  終わりです。

この後も、モデルバーンのツアーは続いたかどうか知りませんが、私は数回行ったので、自分一人でも行けると自信ができたので、次のヨーロッパ旅行からは、私一人の旅になります。 翌年オーストリアです。

 

PS: 飛行機が飛ばないと言うことは、500人分ほどの夕食の用意、宿泊場所の確保、観光バスの手配、そして、それぞれの費用などなど、大変なことなんだなと思いました。

 

 

 

コメント (4)
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