なぜ、ゴルフに魅力がなくなったのか。 なぜ、日本のゴルフを見なくなったのか、
観るものギャラリー、客の立場から、検証しよう。
スポーツの原点を忘れたゴルフ関係者とイヴェント興業とプロたちの存在、スポーツの醍醐味は、一口に言えば、はらはら、ドキドキ感ではないのか。エキサイトする要素が欠けた試合は、どんなスポーツでも、朽ちる。野球でも、一点を争うゲームなれば、誰一人、席を立つ者はいない。ボクシングで、両方が、拮抗していれば、興奮が身を焦がす。マラソンもそうだ。グランドに持ち込まれたランニングは、応援しているほうに、力いっぱいの声で、激励してやまない。サッカーがどうだ。あの一点を追う、両者の攻め具合に、ため息の連続であろう。
さて、ゴルフを見てみよう。最近、興奮を感じた日本のゴルフは、残念ながらない。簡単に、USツアーやヨーロッパツアーをTVで観戦できるから、日本のゴルフが、エキサイトしなくなった理由でもある。しかし、日本のゴルフは、正直に言って、面白くも、興奮もまったく皆無なのだ。
1994年、PGA 選手権を振りかえる。なぜか、それは、観るものに、感動を与えずには、於かないゲームであったからだ。
最終ホールを時のジャンボは、6アンダー、若い合田は、7アンダーで迎えた。そのまま、行けば、合田の初優勝だ。合田の心臓の鼓動が、聞こえて来そうだ。合田の唇は、渇きに渇き、いくら、唾をのみこんでも、渇くのだ。ジャンボは、72ホール目で、追いつくか、勝てると余裕のあるポスチャーに見えた。ジャンボは、2メートルに、乗せた。合田は、グリーンに向かうクロスバンカーに入れた。バンカーは、平地のようなバンカーで一番難易度の高いのが、観るものに、ハラハラ、ドキドキの広いゴルフ場が一瞬、息を止めた。合田は、あらゆる知能を絞り、何とバンカーから、パターでピン奥、2メートルに上らせた。
これが、入らなければ、間違いなくプレーオフになる。合田は、上から速いグリーンをよく読んだのか、そうでなかったのか、記者には不解だが、とにかく、曲がるラインが、まっすぐ入った。合田は、力尽きて、ジャンボの腕の中に、倒れこんだ。ちょっと振り向くと、仲間の師匠格の高橋勝成が、大きな粒の涙を流しながら泣いていた。 周りのプロや観衆も、みんなに、熱いものがこみ上げた感激のゲームだった。いい試合、ありがとう。今でも、残映が横切る。
スポーツの裏に、素晴らしい気迫の友情がある。思いやりがある。他人を感動させる極意がある。
涙を流す、勝成 ! 全力を使い切った合田、初優勝
合田が、バンカーから、パターで打つ瞬間、確かに記者の心臓は、止まっていた。ドッキン!!と言って止まったのだ。息も止まった。記者は、その時の不思議な時空を忘れない。その時空を追って、世界中を旅している老記者なのである。
観衆から、飽きられた日本のゴルフ、復活は容易ではない。スターも誕生しない日本、すでに、世界では、マイナーの日本のゲームになっている。覇気もないし、感激もない、命がけで、応援しているダンベーもいない。
ハラハラ、ドキドキのシーンのない試合に、ファンは、離れていく。風のように去る。