藍、衝撃の引退声明 !!
贈る言葉は、ただ、ありがとう!!!藍
重みを背負った20数年!!解放を!!!
18歳でアマの時代に、ツアー優勝のデビュー、衝撃的な勝ち方であった。記者は、成田から、世界アマの大会へ飛び立つ前、成田全日空ホテルで、会った。小さな律儀な子が、そこにいたのを鮮明に刻んでいる。その少女が、いつのまにか、31歳になっていた。20年の歳月は、早い。とくに、女子には、競技生活は酷だ。スポーツ生命も、明暗を分けるのは、時間との勝負だ。浅井真央の引退と重ねて、寂しいと思うのは、記者だけではあるまい。なぜなら、頭の中には、いつも、笑顔と勝利がインプットされて、時間差を忘れているのだ。おそらく、藍の引退は、世界一の名をほしいままにしたオチョアの影が、あるように思う。オチョアの引退も、突然だったからだ。この二人の共通点は、ゴルフだけに限らず、似通った環境が、かなりある。藍とオチョアは、親友である。オチョア招待試合の英語のスピーチは、藍の国際舞台で、第一人者である存在を示すに十分であった。記者にとっては、藍はまだ、世界一流のトッププロであり、18歳からの面影が、そのままの自分の孫のようだ。藍が、これから、どう生きていくのか、記者は知らない。樋口は、ともかく、将来もしっかり生きていくと断言している。希望でもある。藍は、性格がまじめで、人の世話をしっかり、常にしている利発な女性だ。後輩にとっては、理想の女性プロであるのは、間違いない。
遼にも波及した藍のゴルフ、ひとさき先に、藍が女性のブームを巻き起こした。戸塚の日本女子オープンでは、18番など藍の姿を追えないほど、ギャラリーで詰まった。18番のバンカーにゴルフを知らないおばさんが、座っていた。ゴルフではなく、藍を一目、見たかったのである。衝撃的な女性のブームを起こした藍、それに遅れて,遼が、アマでツアーを制し、遼アミーができたのは、スポーツに欠かせないスター誕生である。藍は、完全に、スターになり切った。アメリカツアーのテストで、トップで通過、2位に大差をつけてのデビューの旗印だ。アメリカの記者の友人たちは、体に恵まれなくても、確実な驚くべきショットを繰り出す藍に、岡本以来の日本のゴルフにおののいていた。記者は、低い鼻を高くした。
藍に、贈る言葉など、考えていなかった。いつかは、と思っていたが、まだ、遠い話だと決め込んでいたからだ。一般社会人になる藍に、また、会えるのを期待している。藍、ありがとう。お疲れ様でした。
ありがとう、の言葉以外に、適格な表現がない。 The Golf Times,senior writer, 古賀剛大