天気もいい事ですしちょっと散歩がてら外出。
自転車はしばらく乗ってないのでタイヤの空気は抜けてるし至る所サビついているので電車と徒歩で動ける範囲で行ってみました。
予定としてはJR石川町駅から港の見える丘公園まで歩き、後は気の向くまま体力の続くまで。
石川町駅は大船寄りで下車して階段を下りてすぐ右の改札から出て山手方面の山から港の見える丘公園を目指します。
目印としては山手には学校が多いので学校への道の所々にある学校への案内表示に沿って歩いて行きました。
案内通りに坂道や階段を登って行くと横浜山手女子学園の脇道から山手本通りに突き当たります。
山手と言うくらいですから山の上にあり、ココまで登る坂道でふくらはぎがパンパンになり危なかったです。(日頃の運動不足を反省)
山手本通りに出て左方向に歩き出してすぐの道の反対側にあるのが、山手カトリック教会です。
尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なゴシック様式の教会建築ですが、内部には細かな装飾が施された列柱などを備え、この山手カトリック教会は、日本一美しい聖堂とも呼ばれているそうです。
山手司教館別館。
山手カトリック教会の司教の別館。
山手カトリック教会の並びにある建物です。
フェリス女学院の中学高校です。私たちの子供の頃から地元横浜ではお嬢様学校として有名です。
1870(明治3)年9月、アメリカ改革派教会の外国伝道局から派遣されたミス・キダーによって創設。
山手46番地です。
横浜山手は開港当時、外国人居留地区の番地表記がそのまま残っています。
代官坂上交差点と交差点から石川町方面の写真です。
以前はこの坂道から正面にマリンタワーが見えていたのですが、今は手前にマンションが建ってしまったためかすかにタワーの頭の部分が見えるだけになってしまいました。
ベーリック・ホール。元町公園付属の施設。
この建物はバートラム・ロバート・ベリックの私邸として、1930年(昭和5年)に建てられたもの。戦後になって建物は宗教法人カトリック・マリア会に寄贈され、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われてきた。
現在は横浜市が土地を取得、それに伴って建物も市に寄贈されることになった。
元町公園正面入口。
外国人墓地の西に隣接し、山手本通りに面していて尾根の間に入り込んだ形の公園。
下って行けば元町商店街があります。途中には湧き水を利用したウォーターガーデンがあります。
また、春の桜の名所としても名高い。
エリスマン邸。
関東大震災後の1926年(大正15年)、スイス人貿易商エリスマンの私邸として『現代建築の父』と言われるアントニン・レーモンドが設計建てられた建築史上極めて価値の高い洋館。平成2年に元町公園の敷地内に移築復元され、「エリスマン邸」として公開。
1階は大正時代の洋館の部屋の様子を復元して紹介。暖炉のある応接室、テーブルのある居間兼食堂、庭を眺めるサンルームがあります。2階では横浜山手の歴史やこの地区にある洋館を紹介。
えの木てい。
1927(昭和2)年に建築の木造洋館「えの木てい」
自家製焼き菓子でも食べながら紅茶を飲んで休憩して下さい。
http://www.enokitei.com/
山手234番館。
関東大震災後の1927年(昭和2年)、外国人のための共同住宅として建てられたもの。
1989年(平成元年)、横浜市がこれを取得、改修、整備を施して1999年(平成11年)に現在の「山手234番館」として開館した。
見学料は無料。
横浜山手聖公会。
山手カトリック教会聖堂と並んで山手の代表的建物。
城砦を思わせる中世イギリスのノルマン建築とゴシックを混在させた外観。
大谷石を用いた重厚なデザイン。
設計者:モーガン。
建設:1931(昭和6)年
山手本通りから元町公園に入り坂を下った途中から撮影。
元町公園からみなとみらい方面の風景です。
右手奥にはマリンタワーが見え、左手にはランドマークタワーを見る事ができます。
山手十番館。ブラフガーデン。
外人墓地の道路を挟んで向かいにあります。
庭内に山手資料館があります。
詳しくはお店のサイトをご覧ください。
http://www.yokohama-jyubankan.co.jp/yamate/
横浜外人墓地資料館。
普段は公開されていないのですが、本日は維持保存の為の募金活動を行なっており、募金者には特別に公開していました。
せっかくの機会ですので募金(200円)をして入ってみました。
左は最初の外国出身落語家「ブラック」のお墓。
右はセントジョセフカレッジ閉校の後、旧校庭より同窓会が記念碑として移築した「SJCマリア像」
グラウエルトの墓地。
多分野で横浜の発展に貢献した実業家。
葬列の全長が1キロ半を超えたと伝わるそうです。
他にも多数日本や横浜の発展に寄与した方々のお墓がありました。
なんとか外人墓地までの書きましたが、書くのもちょっと疲れましたし、読むのも大変だと思いますので、港の見える丘公園からは「その2」に致します。
自転車はしばらく乗ってないのでタイヤの空気は抜けてるし至る所サビついているので電車と徒歩で動ける範囲で行ってみました。
予定としてはJR石川町駅から港の見える丘公園まで歩き、後は気の向くまま体力の続くまで。
石川町駅は大船寄りで下車して階段を下りてすぐ右の改札から出て山手方面の山から港の見える丘公園を目指します。
目印としては山手には学校が多いので学校への道の所々にある学校への案内表示に沿って歩いて行きました。
案内通りに坂道や階段を登って行くと横浜山手女子学園の脇道から山手本通りに突き当たります。
山手と言うくらいですから山の上にあり、ココまで登る坂道でふくらはぎがパンパンになり危なかったです。(日頃の運動不足を反省)
山手本通りに出て左方向に歩き出してすぐの道の反対側にあるのが、山手カトリック教会です。
尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なゴシック様式の教会建築ですが、内部には細かな装飾が施された列柱などを備え、この山手カトリック教会は、日本一美しい聖堂とも呼ばれているそうです。
山手司教館別館。
山手カトリック教会の司教の別館。
山手カトリック教会の並びにある建物です。
フェリス女学院の中学高校です。私たちの子供の頃から地元横浜ではお嬢様学校として有名です。
1870(明治3)年9月、アメリカ改革派教会の外国伝道局から派遣されたミス・キダーによって創設。
山手46番地です。
横浜山手は開港当時、外国人居留地区の番地表記がそのまま残っています。
代官坂上交差点と交差点から石川町方面の写真です。
以前はこの坂道から正面にマリンタワーが見えていたのですが、今は手前にマンションが建ってしまったためかすかにタワーの頭の部分が見えるだけになってしまいました。
ベーリック・ホール。元町公園付属の施設。
この建物はバートラム・ロバート・ベリックの私邸として、1930年(昭和5年)に建てられたもの。戦後になって建物は宗教法人カトリック・マリア会に寄贈され、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われてきた。
現在は横浜市が土地を取得、それに伴って建物も市に寄贈されることになった。
元町公園正面入口。
外国人墓地の西に隣接し、山手本通りに面していて尾根の間に入り込んだ形の公園。
下って行けば元町商店街があります。途中には湧き水を利用したウォーターガーデンがあります。
また、春の桜の名所としても名高い。
エリスマン邸。
関東大震災後の1926年(大正15年)、スイス人貿易商エリスマンの私邸として『現代建築の父』と言われるアントニン・レーモンドが設計建てられた建築史上極めて価値の高い洋館。平成2年に元町公園の敷地内に移築復元され、「エリスマン邸」として公開。
1階は大正時代の洋館の部屋の様子を復元して紹介。暖炉のある応接室、テーブルのある居間兼食堂、庭を眺めるサンルームがあります。2階では横浜山手の歴史やこの地区にある洋館を紹介。
えの木てい。
1927(昭和2)年に建築の木造洋館「えの木てい」
自家製焼き菓子でも食べながら紅茶を飲んで休憩して下さい。
http://www.enokitei.com/
山手234番館。
関東大震災後の1927年(昭和2年)、外国人のための共同住宅として建てられたもの。
1989年(平成元年)、横浜市がこれを取得、改修、整備を施して1999年(平成11年)に現在の「山手234番館」として開館した。
見学料は無料。
横浜山手聖公会。
山手カトリック教会聖堂と並んで山手の代表的建物。
城砦を思わせる中世イギリスのノルマン建築とゴシックを混在させた外観。
大谷石を用いた重厚なデザイン。
設計者:モーガン。
建設:1931(昭和6)年
山手本通りから元町公園に入り坂を下った途中から撮影。
元町公園からみなとみらい方面の風景です。
右手奥にはマリンタワーが見え、左手にはランドマークタワーを見る事ができます。
山手十番館。ブラフガーデン。
外人墓地の道路を挟んで向かいにあります。
庭内に山手資料館があります。
詳しくはお店のサイトをご覧ください。
http://www.yokohama-jyubankan.co.jp/yamate/
横浜外人墓地資料館。
普段は公開されていないのですが、本日は維持保存の為の募金活動を行なっており、募金者には特別に公開していました。
せっかくの機会ですので募金(200円)をして入ってみました。
左は最初の外国出身落語家「ブラック」のお墓。
右はセントジョセフカレッジ閉校の後、旧校庭より同窓会が記念碑として移築した「SJCマリア像」
グラウエルトの墓地。
多分野で横浜の発展に貢献した実業家。
葬列の全長が1キロ半を超えたと伝わるそうです。
他にも多数日本や横浜の発展に寄与した方々のお墓がありました。
なんとか外人墓地までの書きましたが、書くのもちょっと疲れましたし、読むのも大変だと思いますので、港の見える丘公園からは「その2」に致します。