ヒマ人クラブ

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中津川フォークジャンボリーに敬意を表してレコードを聴く!!!

2024-08-10 | 日本のフォーク・ロック(アナログ音盤)

中津川フォークジャンボリーは、「全日本フォークジャンボリー」の通名ですが、小生はこちらで呼称しています。

このイベントは、1969年8月9日に2日間の開催で始まりました。

ウッドストック・フェスティバルと同時期に開催されたことから、本ジャンボリーのことを「日本のウッドストック」という言い方がされることがありますが、

ウッドストックは、前々回にアップしたとおり1967年8月15日からの開催なので、日本がマネした訳ではありません。

ウッドストックの集客がジャンボリーの十数倍の規模(約40万人、本ジャンボリーは約3万人)の違いが、そう言わせたのではないかと推察しています。

詳しく知るまでは、小生も「日本のウッドストック」という表現を受け入れていました。

そして、第3回開催の時にメインステージ占拠事件が発生し、演奏ができなくなったまま終了し、ジャンボリーそのものも幕を降ろしました。

当時は、「売れる」イコール「商業主義」のように、一部の若者たちは捉えていました。

この第3回ジャンボリーで、「岡林信康」から「吉田拓郎」にフォークの旗印が交代し、さらに、「吉田拓郎」も『結婚しようよ』でヒットを出すと、一部のコンサートで「帰れコール」を浴びるようになったと聞いています。

芸能音楽史の分岐点の時代になりました。今もてはやされている「Jポップ」の起源と言っても良いと思います。

小生は、「はっぴいえんど」というロックバンドは大ファンですが、大瀧詠一や細野晴臣は聴きますがファンではありません。

「はちみつぱい」というロックバンドは大ファンですが、「ムーンライダーズ」は聴きません。

私は変わり者です。笑。

さて、本題です。

今回は。SMS、INC.(サウンズ・マーケッティング・システム)レコードを取り上げてみました。

小生がジャズ・フュージョンに現を抜かしている時に出来たレコード会社です。

ウキペディアで調べてみると、この会社は通称ナベプロ、渡辺プロダクションが設立した芸能事務所直営レコード会社であることがわかりました。

東宝レコードからURCの発売権を引き継いだことで、以下に紹介するレコードが世に出たということです。

 

加川良 『加川良ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー❜71』SM22ー4007 1979年発売

    1971年8月7日録音、バンドがバックについています。

 

高田渡 『高田渡ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー』SM22ー4021 1979年発売 (見本盤)

    1970年と1971年の録音。

 

三上寛 『三上寛ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー❜71』SM22ー4008 1979年発売

    SIDE1は1971年8月7日録音。SIDE2は別日、別会場での録音。

 

遠藤賢司 『遠藤賢司ライブ』SM22ー4016 1979年発売

     SIDE1は1972年4月22日「音搦大歌合せ」での録音。

     加川良、武蔵野たんぽぽ団、五つの赤い風船、三上寛による「音搦大歌合 武道館ライブ』(SM38ー4018~19)に収録出来なかったもので、このコンサートで、吉田拓郎が「帰れコール」を浴び、ビール瓶が投げられたという話があります。

     SIDE2は1971年8月録音。

岡林信康 『岡林信康ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー』SM22ー4017 1979年発売 (見本盤)

     1970年と1971年の録音。

     ❜71年のステージは穏やかに進んでいます。岡林ファンも多数いたわけです。

ではでは。

 


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