ヘルプマークを堂々とつけるようになってから、ヘルプマークを通じての話題、お声かけいただくといった機会が思った以上に何度も転がり込んできました。コロナ前だとまだいろんな方との交流があったので、人付き合いの苦手な私はヘルプマークさまさまだなと思ったこともあるくらいです。
例えば、
「父がそれをつけはじめてね、これ一体何なの?」
という素朴な質問から始まる会話があったり、
「あれ?ママ、具合悪いの?大丈夫?」
といった優しい気遣いがあったり、総じて嫌な思いをすることは全くなく、良いことづくめでした。
そんな中でも、私が布教活動以上に密かに目的にしていたのが、こうした病気をもっていて、でも話せない、話す相手がいない人が私に声をかけてくれて話すきっかけになったらいいなと思っていました。
本当に困っている人というのは、逆に困っているということをアピールしないのです。
何なら、本人が困っているということに気づかないことも往々にしてあるからです。
気軽に病気トークをしてくれて、何か良い方向に向かったら。そんな方が私が生きている限り一人でもいたらいいなと思い、お声かけをしていましたが、ヘルプマークにも密かな願いをこめてつけていました。
ある日、小さな子どもが声をかけてくれました。
「それ、ママももってるよ。」
あまりに唐突に話しかけられたので、最初何のことを言っているのかわかりませんでした。
「え?この赤いマーク?あー、え?お母さんは病気なのかな?」
最初っからしどろもどろな会話を始めた気がします。
「そう、がんなの。」
え?
あまりにアッサリと、そしてあっけらかんとその事実を打ち明けるので、びっくりしてしまいました。
びっくりした反応そのままに、お母さんは今どうしているのか?と聞くと、これまたサラサラといろんなことを話してくれました。
その後痛感するのですが、私は何を思い上がっていたんだろうと思いました。
何よりおそらく生活の改善が必要だと思いましたが、私にはその手伝いをできるだけのパワーも人脈もありませんでした。年端も行かぬ子どもが、笑って母親の病気について語るのを見るにつけ、心が傷むと同時に、自分の無力さを感じました。
私はその子に話しかけるのがその後怖くなりました。
この子の心の支えに私がなれるはずがないと思ったのです。
この子の苦悩は私には絶対わからない。
しかし、誰も聞かないよりはマシかもしれない。この子にとって誰かに話せるという空間があるだけで救われるかもしれない、そう思ってこちらから話しかけては聞くようにしていました。
それにしても私はあまりに無力でした。
ただただ聞くしかできませんでした。
この子の心が少しでも軽くなってくれと願いながら、何も思いつかずに、聞くしかできませんでした。
ただひとつ口を挟んだことは、こんなことは大したことではないとその子が主張するので、「間違いなく大変だから。大変じゃないことなんて何一つないよ。がんばっているんでしょう?」と、言いました。
人の話は否定しない、それがカウンセリングのひとつの掟だったりします。でも、私にはできませんでした。辛かったら周りの大人に、私でもいいから言うんだよ?と伝えると少し困ったような、そして少し嬉しそうに笑いました。私は正しいことを言ったのかもしれませんが、この子を救うことにはならなかったかもしれない、しかし、言わずにはいられなかったのです。
目の前のかわいい小さな子は、淡々としていますが、とても頑張っているのがよくわかりました。誰にも心配かけまいと、無意識のうちに思っているのかもしれません。
その子の頑張りに比して、私はとてもちっぽけな気がしました。頑張ろうと思いました。
ヘルプマークのくれた出会いはこんな調子でとても貴重でした。ほかにもいくつかあります。
でもこの話が一番私に影響を与えてくれました。このヘルプマークを外さないでいようと思っている出来事のひとつでもあります。
今も、病気の母親をもつ子どもというのはやはり何か違って、何か手を差し伸べなければならないと考えています。
自分にできることは何か。結局今は何もできていません。でも、覚えていることが大事だと心に刻んで、考えることはやめていません。
その後、この子のお母さまは、他界されました。
その報告を私に笑いながらしてくれました。
こんなことがあるのかと、何かが違うと、やるせない気持ちを抱えてそこに立ち尽くすしか私にはできませんでした。