トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

変化を望むと望まざると

2021-03-12 11:52:00 | 病気
人間は、そもそも変化を望まない動物のようです。
現状に満足できれば幸福度も高いということですから、これ自体は悪いこととはもちろん思いません。

しかし、病気になるということは、多少大袈裟に言えば変化しかもたらしてくれません。
少なくとも、それまでの生活からこれくらい変化させればいいかな?と想像した以上の変化を強いられます。

これはもう!多分に漏れず、苦痛を感じてきました。
自ら選んだ変化だとしても、苦痛ではあるのです。

その最たるものが、住環境でした。
病気になってから、何回か転居しています。
引越しできるほど元気になって良かったね、と言われたことがありますが、引越しはうまくやれば実は肉体的にそんなに大変ではないのです。業者さんにもお金を払えば頼れますからね。
むしろ、日々の生活の方がが大変なので、転居せざるを得ない、というのが実情でした。
日々の生活は、お金では全く解決できないことも多いので、仕方なく転居するのです。不満があるから、ではなく転居先に希望を乗せることもありました。

私の病気以外の理由でも転居が必要になったこともあるので、本当に引越しは慣れたものです。でも、住環境が変わるのはやっぱり大変です。

先日、父に
「次は住み始めたら数年で引越しとかするなよ。腰を据えて住みなさい。」と言われ、驚きを隠せないままに大反論しました。
何もわかってないな!と。

誰が好き好んで引越ししてると思ってるのか。
何なら30年住もうと思って買った家を売却すると決めた時、そして実際にさよならをした時は、もう断腸の思いでした。
今も寂しさはあります。いろんな思いを込めて買い、住みました。

もちろん、私たちの生活に合わないので仕方ないのですが、かと言って好き好んで病気になった訳ではありませんし、病気の全てが自分のせいと思い切れないので、頭で理解しても心ではさみしい風が吹くのを止められないのです。


それを身近で見ていたはずの親が理解していないとは何事か。
私がさめざめと泣いて、さみしい、さみしいと言っていたら嫌な思いをするのは誰ですか?私が笑っているから、夫も娘も残念だなと口にできるのです。
全くこれだから、私はしっかりしていないと、と思わされるのです。ぷんすか。

大体!
そもそもですよ!
その「べき思考」が人を苦しめるのです。

長く住むべき、長く住んだ方が良いというのは誰が決めたんですかね?
その時、その状況に合わせて転居できる「幸せ」があると、今は思っています。あちこち住んで、それはそれで幸せだなと。贅沢だなとも思います。

余談ですが、病気の人が転居するってよく聞く話です。アレルギー持ちのお子さんを救う目的で空気の良いところに、とか、手助けを求めてご実家の近くに、とか、病院の近くに、とか。庭付きはダメとか、庭いじりしたいとか、理由は様々ですけれども、病気を理由に転居は珍しい話ではないんです。

父にワーワーと言いつつ、母を捕まえてぶーぶーとこうした文句を聞いてもらいました。母が同意の上、父に援護射撃をしてくれて、ようやく穏やかな心が戻ってきました。


我が家はとにかく、こんな感じでいつも大騒ぎです。
これは「変化」させて、穏やかに暮らしたいなあ、とは思います。


話は戻りますが、とにかくそんな大きなものから小さなものまで、いろんなことが変わり続けています。そして変化以上に奇妙な、変わった生活もしています。

変化は、私自身はきっと本当はあまり好きではありません。
でも変化を求められる生活を繰り返していたので、段々今の生活を変化させることへの恐怖心が無くなりました。
また、時代も変化していますから、変化なしの人生なんて絶対あり得ないんですよね。

変化に対応できる自分を作っているんだ、修行なんだ、くらいに思って、日々の生活の変化を受け入れているつもりです。

リハビリ(ぬり絵①)

2021-03-12 07:19:00 | 病気

お前さんは何か書いてばかりだな!と自分で突っ込みたくなるのですが、本当に最近はよく書いています。

 

社会人になってからというもの、鉛筆を持つ機会は皆無に近かったです。ボールペンかせめてシャープペン。クレヨンとかは見ることもなかったくらいのレベルでした。

子どもが生まれても家にクレヨンはあるけれど、くらいのレベルでした。

 

 

ある時、娘がまだ幼稚園生の頃、私が倒れたりしていろいろ迷惑をかけたあとにですね、あるママさんからぬり絵をいただきました。

迷惑をかけたというのも、もうのっぴきならない感じで、今でも

「脈がない!」

と叫んだママさんの声が耳に残っています。

私が道で倒れ込んだ時、まだ意識がある時に、横になってねとか、頭にスカーフとか手袋とか置いてくれたりして介抱してくれました。その折に私の脈を取ろうとして取れない!と焦って叫んだ声です。

おそらく低血圧になって脈がうまく取れなかったんだと思います。主人もよく焦って脈がないぞと言っていることがあったので、それはそういう時だと分かりました。要するに薬を切らしてしまったと。

でも、声にならないのです。目だけひん剥いているような感じで。

幼稚園の近くで倒れたので、先生方も含めてママさんたちにこの重い体をタンカで運んでもらいながら、園児や近所の子どもたちが怪訝そうな顔でこちらの様子を見ていて、こりゃ野次馬ワイドだなと思いました。

こちらは何度も何度も経験していることなので多少呑気な部分もありましたけれども、迷惑をかけてしまっているということはかなりショックで申し訳ない思いでいっぱいでした。そして何より、こんな体たらくの姿をいろんな子ども達に見せてしまったということ、そして娘の気持ちがすごく気になりました。

 

 

その後コロナ禍で、集まったり遊んだりということができなくなった頃、そのママさんから塗り絵をいただきました。

おうちでも楽しめるよ、親子でもはまるよー、とのことで、ありがたく頂戴しました。

が!

開始早々に、私、ぬり絵のノウハウない!と気づくのです。

それでも取り組んでみましたが、草花を塗る場合、ほんとにベターっと葉っぱは緑、花はその花の好きな色、みたいな。

ベターっと塗ろうにも、それはそれでうまくいかず、線がはっきり見えるし、濃淡が出てしまったりして、何だかもう全体的に色が薄い弱々しい残念なぬり絵なのです。

奥が深いぞ、ぬり絵!子どものものと侮るなかれ。枠をはみ出さなくて褒められるのは5歳までだ!

全く上達しないままでしたが、時々色鉛筆を持っては塗っていました。

 

その後、少しコロナが落ち着いた頃に本屋さんの企画コーナーで美術を特集していました。

ぬり絵の本が通りすがりに見えまして、娘と子どもの本を見に来たのに、吸い寄せられるように近寄りまして。

それでペラペラとめくっただけで買ってみよう!とふたりで意気投合しまして。むしろそれだけを購入してきました。

 

家でぬり絵に改めて挑戦してみます。

もちろん見本のようにはいきませんが、目指すはそんな高みではなくて、ちょっと良いぬり絵。そして手指の運動です。

何度も何度も塗り重ねること

消しゴムを効果的に使うこと

重ねる色も思ったようなものではなくて、例えば赤い色を出すにしても茶色やオレンジ、黄色なども使ったりすること

力加減は塗りたい絵の題材によって決めること

などなど、私には新鮮な内容が描き連ねてありました。

 

そして塗り絵が苦手だった娘も、ほうほうと私と一緒に塗っていくと少し上手くなりまして、ぬり絵=嫌いという産物ではなくなったようです。ただ、やっぱり大変ではあるらしく、今でも自由にかけるお絵描きの方が好きだなあとは言っていますけれども 笑

友人の思いやりと私のリハビリから始まったぬり絵ですが、ペン習字とはまた少し違ったリハビリで、今でも毎日ではありませんが続いているリハビリのひとつです。