私は自分の外見に非常にこだわっていて、それは一体なぜなのだろうと自分でも呆れるほどなのですが、いくつか理由があると考えています。主には2つです。
ひとつは、外見と思い通りに動かない体が頭の中でリンクしてしまっていて、動かないという不満が外見に対する不満に直結する時があると思っています。
それが証拠に、最近は少し動くようになってきたので、見た目はさほど変わらないにもかかわらず、あまり気にならなくなってきました。
変な話ですが、最近は「あれ?私ってこんなに太ってたっけ?」と鏡を見てびっくりする始末で、要するに脳内では私の体はもう少しスマートなのです。根っからの楽天家が降臨しています。動かないとつい、しげしげと自分の体を見てしまうので、ぶよぶよしてるなとか、もたもたしてるなとか、体の異常に気付きやすいのかもしれません。ちゃんとダイエットしなさいよと、鏡に向かって言っているところですが、また3歩歩けば忘れて、私の体はスマートなのです 笑
もうひとつは、やっぱり過去の経験があるかなと思っています。
確かに私は生来おっちょこちょいで、ぼーっとしていますし、見た目からして間抜けを絵に描いたような人間です。
でも、それでも元気な時はその元気でそうした欠点をカバーしていたようで、要するに元気な時には受けなかったという扱いを受けることになりました。
いくつもある中で、一番印象的なエピソードがこれです。
ある日、用事があってホテルに行きました。娘関連の用事で、大変に久しぶりのホテルでした。私はホテルという空間は憧れていて、厳かな感じや綺麗で誇り高き気品が備わっている雰囲気は時々味わいたいなあと思っていました。
本物に触れさせる、なんてよく教育的に話されますが、美術館やコンサートホール、博物館、あまり子どもを連れていけていません。ホテルも本物のひとつだなと思うのですが、おもてなしから始まって、生花や装飾、他にも例えばレストランに入れば食器も一流のものに触れさせる機会に恵まれるわけです。教育的にも良い機会だなと、ホテルに足を踏み入れてからジーンと胸が熱くなりました。私も少しは母親らしいことをすることができたかなと思ったのです。
用事を済ませた頃、娘がお腹が空いたと言いました。何も考えていませんでしたので、どうしようと思いつつ、このままホテルで食べてしまおう!となりました。奮発だ!パパには写真を送って自慢しちゃおう!などと二人でわくわくして、いくつかあるレストランから選ぶことにしました。
ところが、時刻はお昼時。子連れには一番良さそうだったレストランは満席とのことで、しかも複数の方が待っているとのこと。あらら、お腹が減っている娘を待たせるのもしんどいなあと思いました。他に空いているレストランはありませんか、と聞いたらひとつ提案されました。もしかしたら満席かもしれませんが、と付け加えがありました。
別のフロアにえっちらおっちら、情けない足取りで向かいました。
レストランの入り口にお店の方がいらっしゃいました。
二人です、と伝えるや否や
「もう満席でございます」
と間髪入れずに言われました。
「そうですか、しばらく待ちそうですか?」
とちょっと面食らって聞いてしまいました。
「そうですね、今しばらく空くことはないと思います。」
帳面を一度も見ることなく、食い気味の対応に、ようやく私も気づき、すみませんと言いながらレストランを後にしました。
娘には、ごめんね、満席なんだって、ごめんね、と説明しました。
確かに私の身なりはドレスコードギリギリの見窄らしいものでありました。でも、本当にドレスコードだけなら、このような言われ方はしないなと思いました。
私はホテルに相応しくない雰囲気を醸し出していて、他のお客様の迷惑になるということだったのでしょう。そのことに気づかない私がデリカシーのない、常識のない人間。そういうことだったのだと思います。
でも、私みたいな人間は、ホテルのレストランで食事をすることはできないのでしょうか。
その事実を自分で認識したこともありませんでしたし、ここまで言われてもなお、受け入れられませんでした。
私は普通の人間です。そう思って生活していました。
わきまえなさい、と言われても、何をわきまえたらいいのかわかりませんでした。
その結論が外見、逆にそれ以外の理由はさらに認めたくなかった部分もあります。外見以外に理由があったとして、それを認めたら何かいろんなものが瓦解してしまいそうでした。
その後もいぶかしがる娘に、お母さんがゆっくり歩いているうちにいっぱいのお客さんが入ってしまったのよ、と言い訳をするのが精一杯でした。
まさか、お母さんが見窄らしいから入れてもらえなかった、とはどうしても言えませんでした。
そのままホテルから自宅近くに帰り、ハンバーガー屋さんに入りました。
娘はポテトが好きなのですが、外食もままならない時分でしたので、久しぶりのファストフード店でした。
お店に入る前からわーいわーいと喜ぶ娘。楽しそうにメニューを眺めて注文しました。もちろん大好きなポテトも注文しました。私に数本ポテトをくれました。おいしいよと嬉しそうにくれたのですが、本当にホクホクとしていておいしかったです。奮発してこれまた娘の大好きな唐揚げも注文していました。残すな、と思いましたので私は飲み物くらいしか選ばなかったきがします。それでもこんな風に愛想良くものを売ってもらえて、娘のことも笑顔にしてくれて、なんと素敵な空間なんだろうとしみじみ思いました。リスのようにポクポクとポテトを食べる娘の顔が今でも忘れられません。こんなに健忘の激しかった私でも、はっきりと覚えています。
幸せとは、一流とはこういうことだと、教えられたような気がしました。
そして、私が憧れていた世界というのは何だったのかと、とてもさみしい気持ちになりました。
ぽっかりと心に穴が空いたように、乾いた風が流れていました。
私が目指すものは何なんだろう。
大馬鹿ものは私です。
今もまだ捉えきれていませんが、何か物事の本質を見間違えていたのだと思います。
相変わらず、ホテルはやっぱり素敵な空間だと思います。でも怖い部分があるのだと勝手に身構える自分がいます。
一方で、同じように憧れていたデパートという空間で、私のことを邪険にしないでくれたお店がありました。
病院も同じで、私をかわいそうな人として診察してくれるところと、私をめんどくさい人として扱うところといろいろあります。
こういうお馬鹿な人に教育しないと、という扱いももちろん受けてきましたが、なぜか存在してしまうプライドというか自尊心が傷ついてしまいます。こんなちっぽけなプライドなぞ、捨ててしまえれば楽なのにと思うのですが、どうしても上手く行かないのです。
何事もひとつのバイアスやひとつの出来事、断片的な価値観で判断してはいけないと思います。
これがあったから、ホテルは全部ダメとかそういうことではないです。
でも、まだ怖いです。傷つきたくないのです。
同じ理由で、新しいところにいくのがひとりだと今でもすごく怖いです。
私がみすぼらしいのはわかっているから、お願いだからダメなやつという扱いをしないでほしい、と思って、結局避けることが多いです。
私の外見は、相手方の優しさを見極めるバロメーターだなと思ってもいます。
しかし、どんなに頭の中で良い方に変換して考えようと思っても、さみしい思いをした事実が頭から離れず、もう少しでいいから良い体型になりたいと思ってしまいます。
相手の良心にだけ頼っていてはいけないなと。良い体型に持っていけない私の弱い心があるのは事実ですから。
毎日そんな弱い自分と向き合っています。