日曜日の夜ですね。
どうも最近の記事は暗くていけません。
ようやく、明るくなってきました。
我が家もエビカニクス的なダンスやら学校で6年生のお別れ会に踊ったというダンスやらをなぜか踊ったりして、よりアクティブに楽しく過ごしています。
明らかにご近所迷惑なほどケラケラと笑いまくっていますので、一家の大黒柱のはずの主人がもう少し静かに笑うようにと注意をするのですけれども、それも遠い声で、風に乗ってどこか吹き飛ばされているような状態です。なぜなら、パパが笑いのツボにハマって、注意することができなくなる事態に陥るからです。笑
ステイホームに慣れすぎてきて、だんだん家でやりたいことが飽和状態になり、若干イライラしたり、家族で意見がぶつかったりしています。
そんな中、予測がつかない未来に思いを馳せて、いろいろ楽しい時間も過ごしています。
夏休みに旅行なんて行けたらいいのにねーと言いながら、バーチャル旅行計画をしてみたり
かるた大会が冬にあるらしい(不確定)ので、今から一応練習しておこう!となってみたり
学校の行事予定を予定表に書き込んでみたり(割と不確定と言われていますが)
とにかく、なんかやること多いな!と思いながら過ごしています。
思い起こせば、その昔。
ノストラダムスの大予言というのがありました。世紀末に地球がほろびるという、子どもが聞いても「それはない」と突っ込む気も起きないくらいの予言だったのかもしれません。
しかし、小さい私は、テスト勉強とか苦しい持久走とかがあるたびに
「何故こんなことをしなければならないのか。いっそノストラダムスの予言通りになったらいいのに。」
と思っていました。
そうしたら、今がまんすることなく、楽しいことだけをして暮らせるのに、と思ったのです。
未来があると思うから、仕方なく我慢するのだと思っていました。
「もし本当に地球が滅亡しなかったときのために、がんばるのだ」という、なぞのモチベーションで辛いことを耐え抜いてきました。
今は、その時の同様に、「このまま平均寿命まで生きてしまったときのために、がんばるのだ」というモチベーションな気もしています。
でも、今は毎日何か楽しいことがあります。何より、それを感じる力がつきました。
日々のくだらない争いもまた、楽しいです。
今も、パパに娘がぶーぶーと文句を言っていたりして、そういうめっちゃどうしようもない会話?状況?が目の前で繰り広げられていますが、「あんな赤ん坊だったのに、一丁前に眉間に皺を寄せてブーブー言ってるよ」みたいな感慨も押し寄せてきて、楽しく感じています。
生きているから味わえるんだとしみじみなんかしてみたり。
と、にやにやしていると、怒りの矛先が私に向かってきたりして、有耶無耶のうちにこしょこしょ大会からのケラケラの我が家に戻っていたりします。
こういう小さな当たり前の幸せを、存分に感じられる自分になったということは、とてもありがたい変化だと感じています。