当たり前のことでもなかなか受け入れられないと思われがちで、悲劇のヒロインになっているのではないか?と自分で自問自答することがあります。
時に、悲劇のヒロインになりきって大泣きしたいときもあります。
でも、一応でもなんでも、頭では私より大変な人がいっぱいいることも、そして私より大変でなくてもみんなみんな何かしら大変なことを抱えていて、頑張っていることは知っています。
だから、ほかの人が頑張っているのにあなたは頑張れないの?と言われると、ぐうの音も出ません。
すいませんとしか言いようがないです。
ほかのお母さんに比べてできていることは少ないです。
幼稚園や学校の行事だって、ほかの保護者の方に頼っていることは確かですし、持ちつ持たれつの域を超えているのは知っています。
でも、私も私なりに頑張っているのです。
そしてそうした中で大変だーとか、助けてほしいと言うことは、そんなに簡単なことではありません。
ぜひ、そういう比較で誰かの、そして自分自身の現状や頑張りを否定しないでほしいなあと思います。
で、こんなことをあえて言う理由なのですが。
これは私のような障害をもつ人がいう「わがまま」なのだろうかと思ったのですが、やっぱりそうではないなと最近思いました。
というのも、割と誰しもが経験している比較による否定。
私の友人の例ですが、産後にひどく体調を崩して入院を余儀なくされたとのこと。
それだけでももちろん大変なのですが、そこに至るまでに
ほかのお母さんは〇〇ができているのに
などと言われてしまって、お子さんに対して大変申し訳なく思ったそうです。
「出産は誰しもが大変なのだから」という言葉で「大変だった」という気持ちを共有することもかなわず、むしろ否定に近いことを言われてしまって傷ついたという方もいました。
「病気になったらそうよね、新生児は大変よね、でもね誰それの話よりは楽よ」とこうなっては大変さと辛いという思いの行き場がなくなってしまいます。これはさみしいなと思うのです。
私が言いたいのは、そのまま受け止めてほしいなということです。例えば、「大変だ」という人がいたとして、それに対して聞き手が自分の体験談を話して大変だったと言ったとします。それはその相手の方の大変さを否定しているつもりはないですし、私自身が大変だったということを軽く見積もるつもりもない、ということだと思うのです。
みんなみんな大変!
それでいいのではないですか?と思います。
一方で、私の話を否定したりさえぎったりしてくる人がいた場合、私はその方たちは、今現在苦しいのではないか?と思っていました。その理由を知ることが叶わないこともほとんどではありますが、その後少しお話するように心がけていました。
だから、やっぱりちょっと変な人だったかもしれません 笑
しかし残念ながら、その相手の方がプロの方だったりするとそう思うことも割り切ることもできずに、一方的に傷つくことが多かったです。今でもそうです。
そんなこんなで、今日も頑張っています。
私もこんな生活ですけど、大変なんです。
本当にいろんな方に支えていただいて、助けてもらって生きてるくせに何を言うって感じですけど、大変なものは大変!と堂々と言うことは私が笑うひとつの大きなきっかけになっている気がするので、「大変!」と言う主張を続けます!笑