先日、久しぶりに家族3人でデパートに行きました。
お母さんが張り切ってショッピングをし、子どもは振り回されてくたびれて、旦那さんは荷物もち、という構図。
ありがちに思えるこの光景、これは昭和の夢でしょうか。
我が家は全然違います。
娘は小さい頃からショッピング大好きで、あっちらこっちら点々と動くので心配でついていく母親。これは割れ物ですからね、見るだけですよ、から始まり、通路では飛び跳ねないの、そちらの通路は超危険区域だから入らないの、いや言ってる側から入ってるし!こっちこっち、いや、そうね、綺麗だけれども、それを壊すとかありうるからもう少し遠くから見てくれるかな、とか、あたふたあたふた。抱き抱えて行っちゃえばいいじゃない、というご指摘は、逆に思い通りにならないということでじたばた暴れたり泣いたりされる可能性が濃厚なため、有効でない手段でした。延々とひとりでノリツッコミをし続けているかのような、間抜けな私の忠告を、これっぽっちもものともしないで目をキラキラさせている呑気な娘がいました。
そのそばで、マイペースに商品をみて楽しんでいる夫。私が子どもの処遇で苦労している、ということは目に入っていないのか無視しているのかわからないのですが、夫の中では完全に無いことになっていて、自由に見てまわった挙句、私に自然にゆっくりと話しかけてくるのです。反応がないと「聞いてるのかい?」と問われるものの、「聞いていません」と回答するのも情けない状況で、それ以前にわかりませんか?とそれこそツッコミを入れたくなる有様でした。
なんなら全部の荷物から買ったものまで全部私が持って、お店を出てから、あれ?僕手ぶらだぞ?しまった、持とうか、とようやく夢から醒めるという感じでありました。もちろんそのそばで娘は大満足、からの疲れで、お店を出たので刺激される好奇心もなく、抱っこをせがんでいたりして、パパは娘という荷物をもち、残りの荷物は私が持つという、結局私はいつショッピングを楽しむことができるんだろう、という状況が延々と続いていました。
先日、久しぶりのデパートに、娘も夫もとても楽しそうに思い思いに商品を見ています。もちろん、そのコーナーは目的とは全然違うところで、完全に目の保養にすぎません。でも楽しいのだから止まらない、仕方のないことですね。これは私も理解できます。
娘も、何が割れ物でとかどのように商品を見たらいいのか、という分別がつく年頃になりましたので、もう自由人たちは放っておこう!とばかりに放置しまして、私は私で目的のショッピングを真剣に楽しんでいました。
しばらくして、ふたりの声がわいわいと楽しそうに聞こえてきました。
自由人同士、息が合うようです。
そして満足したのか、私に近づいてきました。
そうしたところ、ふたりが楽しそうに私に言います。
「ママ!後ろ姿だと、もう普通の人になってる!完全に見失ったの!」と。
おー?
私の体型が少しマシになっているらしいのです。
どこから見ても私を見失うことがないほどの特徴的な体つきだったそうですが、今日は見失ったと。それでわいわい騒いでいたそうで、見つけた時は普通の人だ!とふたりで驚いたようなのです。
なんとも、ふたりとも同じような目をキラキラさせながら私に話します。
うん、でもちょっと複雑だわ。
この間までいっぱい慰めてくれて、マスコットみたいでかわいいよとか言ってたけど。
やっぱり普通の体型の方がいいのよね。
病気の妻で、病気の母親でごめんね。
と、勝手に哀愁を漂わせていましたが、そこまで深くいろいろ考えるほどのことでもないみたいで。
単純に、私が普通の体型になりたいと望んでいるから、それに近づいているんだよ、って言えば喜ぶと二人は思っただけのようでした。
それが証拠に、その後の会話はこう続きました。
「相変わらず、前から見たら存在感すごいから!」
「うん、異質だよね」
「前から見たらやっぱりトディ!(トドのことです)」
と、また完全に心をえぐられそうな発言を繰り返され、喜ばせたいのか笑わせたいのか、悲しませたいのか怒らせたいのか、もう何なのかわからないままケラケラと笑ってしまいました。
病気の人間というのは、体が動かない分、頭が妙にまわってしまうことがあって、よからぬこともいっぱい考えてしまいます。
考えすぎで悩むというのは勿体ないのでやめたいですが、かと言ってやめられないほどいろんな経験をしたのも事実です。
こんな卑屈で残念な私も、許してあげようと思いつつ、今日も相変わらず重たいお腹を抱えながら散歩しました。
ふうふう、もうちょっと軽くなるといいなあと思いながら、やっぱり美味しいものを食べちゃう私でした。