アトピーは娘の病気ですが、赤ちゃんの頃から、ということになると母親の私ももはや他人事とは思えません。
病気というのは家族で闘うものだなと改めて思います。
例えば、食生活を改善しなさい、と言われて一人だけ特別メニューにされても、となりの人が食べてるものを食べたくなってはかわいそうです。
家族の食卓ごと変化させないと。
だから、ひとり病気の人が出ると、家族で闘うことになるんだよなあと思っています。
しかし、本人の苦労はまた別なところにあって、大人としては子どものそういう苦労を聞いてあげないと、と思うのです。
ただ、かわいそうなのですが、娘にとっては私が突然「黄色ブドウ球菌説を採用!」したことで、さらにいろんなことが起こりました。
病気は確かに良くなりました。
ただ、その過程で菌を家から追い出すぞ!と私がやり始め、思い出の洋服なども処分されてしまったのです。
お人形もかなり選別されてしまいました。
かわいそうだな、と犯人の私でも思います。
母親の横暴だ、ともいえます。
病気が治ればそれでいいのか?という気もしてきます。
そこはもちろん価値観の問題だと思いますが。
私はやっぱり健康が第一だと思いました。
自分が一番手に入れたいものは何かと問われると、今はとにもかくにも、元気な体が欲しいです。
そこは主人も同じ意見でしたので、娘にわかってもらおうということになりました。
娘も頭ではわかっているようなのですが、心が寂しいという状況のようでした。
私も娘の小さい頃の服とかが無くなるのは寂しいんだという話を共有したり、どういう原因でこういう肌になっているのかとか、え?子どもに?と思うような内容だとしても、一応伝えてみました。何が効くのかわからなかったので。
病気というのは、本当に失うものが多いなと思います。
でも、一生懸命向き合えば、失った以上のものも得られるかもしれないと、最近は希望も持っています。
娘とこうして向き合う時間を持てることは、面倒な時間というよりも、ありがたい時間だと感じながら過ごしています。
そして私自身もこうして娘の病気を通じて自分についても考えることができることは、これまたとてもありがたいです。
その時は無我夢中ですけれども、落ち着く日がくるんだという希望もまた私の体調をここまで引き上げてくれた原因かと思います。
娘の思い出の品々はずいぶん処分されましたけれども、心の中と写真にはいっぱい残っています。
お墓には持っていけないのだから、と、娘も娘なりに頑張って心の整理をつけてくれました。
これからも、いろんな思い出を積み重ねていきたいです。