東京五輪は、“復興オリンピック”として開催さる予定であったが、新型コロナの感染拡大から、原則、無観客で行われようとしている。世界平和を目的とするスポーツの祭典として世界中のアスリートたちが一堂に会するオリンピックとしては、盛り上がりに欠け少し残念である。
しかし、盛り上がりに欠けても良いのである。復興オリンピックをコロナオリンピックに言い換えても良いのである。オリンピックは、古代ギリシャで始まったのがその起源とされる。それ以来、オリンピックは走り続けてきたが、今いちど、本来の趣旨を再考する時期かもしれない。
1980年、共産主義や社会主義国での初開催となったモスクワオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、日本は中国などと共に出場辞退した。現在、日本オリンピック協会の会長を務めている柔道選手の山下泰裕氏が、出場辞退で男泣きしたのを覚えている。彼は、 「日本柔道界最強の男」と称された実力者であった 。オリンピック出場を目標に努力を続けてきた若きアスリート達には、どういうかたちであれ挑戦の機会を与えたいものである。
現在の世界は、地球温暖化や貧富の拡大、利潤追求など、どれひとつとっても真理とはいえない。今回の東京五輪のマラソンが札幌に変更なったのも、地球温暖化が理由であるので忘れないでほしい。
ところで、日本や中国、どの国を取っても“賄賂”や“忖度”が多すぎる。これは、人間の持つ“業”や“欲”からきているのである。業とは、仏教で身・口・意の三業をいい、身体と言葉と心とは、常に一致して行為に現れるとしている。だから、知行同一が大切で、知識と行為は一体であり、本当の知識は実践を伴わなければいけないという事である。「知行一致」の反対語には、“先知後行”があるが、どちらを取って行動するかは人それぞれであるが、どちらにせよ言行一致が大切である。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 先知後行
人間の知(認識)と行(行為・実践)とでは行の方が重要であるが、順序からいえば知が先で行が後であるとする説。中国の朱子が説いたもの。のち王陽明は、知は行の一部であり分けることはできないとして知行合一説を唱えた。
(出典: 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について)