令和元年8月25日付け北海道新聞に「アイヌ施策推進法」の記事が載っていた。アイヌ施策推進法は、アイヌ民族の誇りを尊重される社会の実現などを掲げた新法であるが、同化政策などによる生活格差や差別が今なお根深く続いている。この差別のことだが、私の友人が差別について次のように述べていた。
「差別とは人に差をつけ、自分とは別の存在(グループ)として一種の排除をすることです。人間には能力や外見など合理的或いは非合理的な様々な違い(差)があることは否定できません。 大切なことは、その事実を認めたうえで、その「差」によって人を排除しないことです。
また、平取町にある「萱野茂アイヌ文化資料館」の人が、“いじめ”について次のように言っていた。「平取町では、アイヌに対するいじめはありません。平取町には、アイヌの人が多いからです」 と。
ところで、日本の社会に必要なものは多様性である。日本人は単一民族ではないことに留意しよう。そのうえで日本が、世界に向けて何ができるか? そして世界が、日本に何を求めているか?を考えていこう。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 「北海道新聞の記事」
北大大学院・小田教授に聞く
差別撲滅へ具体的措置を
アイヌ施策推進法はアイヌ民族の「誇り」を尊重すると明記し、差別や権利侵害を禁じた。だが、今でもアイヌ民族の先住性や存在を否定する差別発言がネットにあふれている。北大大学院の小田博志教授(人類学)に先住民族の概念や法が抱える課題を聞いた。
先住民族に厳密な定義はありませんが、国際労働機関の「独立国における原住民及び種族民に関する条約」 (1989年)や「先住民族の権利に関する国連宣言」(2007年)を踏まえ、近代以降の植民地化などで不利な状況に置かれた人々というのが国際的な共通認識になっています。
単に「先に住んでいた人々」ではなく、独自の文化や言語などを否定され、土地や資源を奪われるなど抑圧された人々を指す概念です。日本で言えば、明治時代の開拓使事業報告など複数の通達や書状が示す通り、アイヌ民族が土人と差別的に呼ばれ、日本語教育を強いられ、強制移住などで不利な状況に置かれたことは疑いようがありません。
アイヌ民族は混血や同化が進み、民族と呼べないとの言説もありますが、アイヌ民族も和人を含む他の民族も生物学的に一つの種に属しつつ、歴史の中で民族として分かれてきたのです。民族を血統や遺伝子で区別するのは不可能で、「純血」の定義は存在しません。民族は固有の文化や言語、(どの民族に属するかという)自認など複合的な要素で形成されるものです。
そもそもアイヌ民族の文化や言語が危機に追いやられた原因は同化政策にあります。同化が進んでいるからアイヌ政策は必要ないという論理は本末転倒です。日本人は着物や刀を身に着けなくても日本人です。伝統的な暮らしをしていないことは民族の存在を否定する根拠にはなりません。法はアイヌ民族への差別は違法だと明確にした。差別された人を救済し今ある差別を撲滅する根本的な措置が求められます。
(聞き手・斉藤千絵)
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