先日、NHK BSで第18回ショパンコンクールで世界第2位になった反田恭平氏の「珠玉の演奏」を放映していた。ポーランドのワルシャワで5年に1度開かれるピアノコンクールの最高峰。最終結果が発表され、カナダのブルース・リウさん(24)が優勝に輝き、日本人の小林愛実さん(26)が4位に選ばれた。
3次予選を突破し準優勝に輝いた反田氏は、「10位以内に残れたのだから、あとは“無我の境地”で演奏した」と語っていた。私の友人も、無我の境地に近づくために座禅に取り組んでいるらしい。また、50歳の時に脳出血で倒れた財務官僚だった人も、倒れたことにより一人では決して生きていけないことを悟り我欲を捨てたらしいので、これも無我の境地と言えるだろう。
無我の境地とは、己を自覚した者だけが踏み入れられる場所なのである。人間は無我になって固執、執着、偏見を離れ、はじめて人間らしい人間、すなわち本来のありようや反田氏のような本領発揮に近づくことができるのではないだろうか。無我になるためには趣味をはじめ個々人によって異なるので、自分自身で無我を考えれば良いのである。なお、無我とは無常と共に仏教の基本思想の一つである。
人間を差別するということは、本来のありようではないとの見解からブログ投稿や講演を行なってきた。差別は合理性のない区別だと考えており、合理性とは道理にかなっているかどうかであり、道理とは物事のあるべき筋道、人の行なうべき正しい道をいう。
差別される人々は、宿命や環境等によりそのような立場に置かれているもので自己責任を超えるものである。自分が同じ体験して分かるものなので、無我になって考える必要があるのではないだろうか。
「十勝の活性化を考える会」会員
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