日本には残念ながら、同じ日本人である “アイヌ”又は“アイヌ系日本人”に対する差別が、まだ存在している。アイヌ系日本人とは、北海道登別市に生まれ一高(現在の東京大学)を卒業したアイヌの天才青年“知里真志保”が初めて使った言葉で、東大名誉教授 江上波夫氏も、著書”アイヌと古代日本”で使っています。
この差別について、アイヌを研究している学芸員に聞いたところ、以下の回答があった。
① 801年、エゾ征伐があったこと
② 1609年、琉球征伐があったこと
③ 1871年(明治4)、廃藩置県
④ 1897年(明治30)、北海道国有未開地処分法
( ※ 北海道国有未開地処分法とは、本州の資本家に100万ha以上の大面積を無償で提供するというもので、成功の検査も曖昧なもの。この結果、大農場の建設が相次ぐこととなり、北海道の不在巨大地主制を決定。)
学芸員の方は、アイヌの差別は北海道に限らず九州にもあったというのである。すなわち、強いもの(藩、武士など)が弱いものを征服して、勢力を拡大していったのではないかと言うのである。 確かに、③や④の史実を踏まえると、明治時代になると、政府により江戸時代の“士農工商”という身分制度が廃止され、四民平等の政策が採られることになった。
江戸時代の士族は、華族とされなかった武士に付与されたが、明治時代に入ってからの廃藩置県により早々とこの特権を失った。北海道開拓は、この没落士族に対する授産が目的であった。この権力を持つ者や江戸時代には刀を持つことが許された没落士族や権力を持つ者などが、弱いアイヌをイジメたことは、過去の歴史からも十分に考えられる。それでなくとも自然の原理で、弱肉強食の動物本能が、人間社会でも否応なしに発揮されるのでないだろうか。
先日、北海道新聞オピニオンページの「記者の視点」欄に、このアイヌの差別が書かれていた。アイヌ民族を法律で初めて先住民族と位置付けられ、差別を禁じたアイヌ施策推進法の施行から2年が過ぎたが、アイヌ民族へのヘイトスピーチに加え、無知による差別や偏見が続いている。これを根絶するためには、私たち一人一人が正しい歴史を学ぶ必要がある。
司馬遼太郎氏は著書“街道をゆく(オホーツク街道)”を読むと、日本列島に住んでいたみんなが縄文人=蝦夷(エミシ)であり、そのDNAを持っているアイヌは、縄文人の文化を守り続けた人々の後裔であると書いていた。古代にアイヌは、エミシと言われ、古代のエミシ(蝦夷)は、本州東部とそれ以北に居住し、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指し、その中で積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられている。
しかし、エミシは次第に影響力を増大させていく大和朝廷により征服・吸収され、エミシと呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわちアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。なお、「蝦夷」の読みがなぜ、「エミシ」から「エゾ」に変わったのかは分からないそうである。
また、二刀流の大リーグの大谷翔平選手や秋篠宮家の眞子さまとの婚約を延期している小室圭さんも、日本人の原点である縄文人だから、その血を色濃く残すアイヌであることに間違いないと勝手に思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員T
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