十勝の活性化を考える会

     
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 ルース・ベネディクト著“レイシズム”

2020-09-17 05:00:00 | 投稿

 

ルース・ベネディクト著 レイシズムの紹介。著者は、日本文化を記述した「菊と刀」の本で有名な、アメリカの文化人類学者。レイシズムとは、人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想である。

 

読んだきっかけは、アメリカで白人警官が黒人を踏みつけ死亡させた事件でデモが全土に波及した。そのデモのことを民放テレビが放映する中で、この本を紹介したからである。この本は人種差別を訴えているので、その一節を記載する。

 

第八章 どうしたら人種差別はなくなるだろうか。

 

『(前略) 一つの民族や人種によって文明が進歩してきたと考えるのは誤りである。ここまでに見てきた通り、あらゆる科学的知見がそれを否定している。もちろん特定の民族を排除することで、未来が安心安全になるなどということもありえない。

 

他者を排斥することで社会が良くなるなどということは、歴史的によっても、心理学によっても、生物学によっても、そして人類学によっても正当化されることはない。

 

レイシズムは科学の滑稽画である。科学の名のもとに、自分の所属するグループ(社会階級のことも国家のこともある)が、特別に素晴らしいものだと主張されて、そして特別な権利や約束された栄光があると謳われるのだから。

 

でもそれならどうして、私たちが生きるこの時代にレイシズムがこれほどにも大きな問題になってしまったのだろうか? この問いを避けて通ることはできない。どのような答えを差し出すかによって、解決への道の道のりが変わってくる。

 

答えを見つけるために、果てない自己との対話を繰り返す必要はないだろう。歴史が教えてくれる。それに目を向けるだけでいい。すでに見たように、レイシズムが叫んでいるドクマは近代以降に生まれたものである。

 

でもその背景にあるものは、人類が生まれて以来の恐ろしく古い脅迫観念だ。表面だけ新しい雰囲気で飾られているに過ぎない。自分たちだけが特別に優れていて、もし力が衰えてしまったら、価値あるものすべてが滅びてしまうという太古からの脅迫。

 

このために、ほんの少し道を譲ることよりも、100万人を殺すほうが選ばれる。歯向かうものを皆殺しにすることが聖なる使命と言われてしまう。

 

闘いの舞台は遷移する。かつての戦場のところに旗を立てると、人々は振り返って「昔の人間はなんて頭がおかしかったんだ」と思う。

 

自分たちが過去の人間とは違って、輝かしい進歩を達成したような気分になる・

 

しかしそのうちに新しい世代が起き上がって、かつての前衛を古い世代とみて批判するようになる。非寛容があちらはらこちらに移し替えただけじゃないか、と。

 

(中略)

 

今のアメリカであれば、一部国民だけでなく全ての国民が享受できることがその条件となるだろう。

 

一方に飽食とモノ余りがあって、そして一方に飢餓や失業が蔓延しているのを放置するのであれば、何もせずに」大洪水がやってくるのを待つようなものである。

 

現状を変えるためには、ひとり残らず全ての人間に、日々の糧が得られるような労働の機会をつくることを「粛々と」 進めなければならない。

 

教育および健康と、そして万が一の場合には逃げ込むことができるシェルターを全ての人間が手に入れられるようにしなくてはならない。全ての人間、つまり皮膚色や思想信条や人種に関わりなく、全員の市民権を守らなくてはいけないのだ。

 

《機能する民主主義へ》

人種間の葛藤をなくすことは、社会改良である。教育はこれに無関係だろうか?教育こそ人種差別を終わらせる鍵とされてきたし、特別な教育法をとることによって。これを達成しようとする試みもこれまでに多くあった。

 

これも大切なことに違いないけれども、その限界についてもはっきりと見ておかなくてはならない。そうでなければ後になって裏切られた泣くことになる。子供だろうと成人だろうと、教育は大事である。偏見のない明るい精神を作ることができる。

 

しかし学校で培われた良心を活かすためには、まずは社会の側に差別をなくし、機会への障壁をなくすことが必要になる。地獄への道は善意で舗装されている。

 

善意とはすなわち、手段にすぎないものを、考えしないで最終目標の座に据えてしまうことである。教育は大事だと決まり文句のように叫ばれるが、教育を通じて具体的に何を達成しようとするのかを明らかにしなければならない。

 

レイシズムに立ちむかうために教育という強力な手段を利用するなら、そこには二つの目標がある。そしてこの二つは、明確に区別しておかなくてはならない。

 

一つには、日々の社会化を通じて人種についてのファクトと、一つの文明の中にも多くの人種が入り混じっていることを教えることである。

 

中国人の文明は偉大だったとか、ユダヤ人が科学を前に進めたとか、そんな教育のやり方では子供が偏見なく育つことなどありえない。

 

もう一つは、<機能する民主主義>とはどういう状態であるか教えることである。機能する民主主義について教えることは、それぞれに異なるグループもお互いに関係しあっていると示すことである。

 

あるいは自分たちのそれよりもうまく行っている社会、うまく行っていない社会について平等に話をすることかもしれない。

 

子供たちは現状の不具合を不可避のものとしてではなく、力を合わせれば解決できる課題の一つとして教わるべきにちがいない。

 

人種間の葛藤を解決するための方策として、啓もうを真っ先に挙げる論者がいるが、社会改良の代わりに啓蒙をと言っているなら、それは致命的な誤りである。そんなプログラムから生まれてくるのは、ただの偽善である。

 

レイシズムを拭い去るための運動は、今日ではすなわち「民主主義を動かす」ことである。変化を起こすことはいつも困難で、そして抵抗にあう。しかし進む方角さえ誤らなければ、その代償を支払うことはできるはずだ。

 

アラブの格言にこんなものがあった。 「何がほしい?」予言者は訊ねる。「好きなものをとれ。そして、その対価をおいていけ」。

 

民主主義を動かすためには、その対価を払わなくてはならない。幸運なことに、アメリカの国土建設、土壌保全、医療や教育、国民購買力の向上策はいずれも、それ自体で国家財政にかなりの額を払い戻してくれるようだ。

 

ナチス・ドイツのような国を作るときには。安寧な生活、人権、科学や知的生活をすべて対価として差し出さなければならないが、これは民主主義を打ち立てるよりも相当に大きな代償である。被害者を生み出しているうちに、ナチスは自分たち自身が被害者となってしまった。

 

合衆国を建てた私たちの祖先は、圧し潰される人を生まずとも国を治めることができるはずだと信じていた。その信念が間違っていなかったと証明するのは、私たちの責務である。』

 

この本を読んで、アパルトヘイトのことを思い出した。南アフリカでは、アパルトヘイト、すなわち白人有色人種とを差別する人種隔離制度が長く続いた。

 

しかし今では、アフリカで一番のGDPを誇っている。現在、アメリカの白人比率は約60%の大多数を占めているが、30年後に50%を割る予想もある。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

 

注) ルース・ベネディクト

ルース・ベネディクトは、アメリカ合衆国文化人類学者。ニューヨーク生まれ。「レイシズム」の語を世に広めたことや、日本文化を記述した『菊と刀』を著したことによって知られる。

文化人類学者としての主著である『文化の型』(1934年)は、あらゆる人間社会の中で現れてくる行動パターンの形成過程を記述し、文化の相対主義を表現したものであった。専門的な題材を扱ったにもかかわらず、本書は戦前期のアメリカで最も広く読まれた文化人類学の著作となる。

1936年、コロンビア大学の助教授に昇任すると、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参入するに当たって、アメリカ軍の戦争情報局に招集される。1942年より、対日戦争および占領政策にかかる意思決定を担当する日本班チーフとなる。

このときにまとめられた報告書「Japanese Behavior Patterns (『日本人の行動パターン』)」を基に戦後、「菊と刀」が執筆された。同時期に、アメリカ軍のために人種的な偏見について学問的な解説を企てた著作も発表している。

軍は、軍事的な効率と関係する人種的に動機付けられた行動に関心を持っていたと言われている。これらの活動を通して、racism(人種主義、人種差別主義)の語を一般に定着させた人物でもある。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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