先日、十勝プラザで行なわれた「障害児を普通学級に!」の集いに参加してきました。障害児を抱えた母親は、わが子のために特別学級ではなく普通学級に入れたいと言っていました。またある母親は、私の子のIQは普通であるが、「特別学級の方に相談してみて下さい」と相談員から言われたそうです。
一方で講師の方は、「普通」であることを追い求めることが、子供にとって必ずしも「幸せ」になるとは限らないこと、また普通に暮らすことが大切であり、そのことが普通でもあるとも(普通学級で学ぶこと)言っていました。
私は脳出血が原因で障害を持っており健常者とは違いますが、障害を持ったことにより人生観・価値観も変わり、ある意味で幸せになったと思います。もちろん、妻や子供、また自分に関係するすべての人が私の障害により幸せになったのではありません・・・・。
講師が言っているように、人間の幸せには様々な幸せがあると思いますが、極力、自分は幸せだと思うようにしています。
なぜなら、不幸だと思っても何も良くならないからです。それよりもむしろ、幸せになるように努力することが、人生にとって大切ではないかと思っています。
そして臨終に際して、「自分は本当に幸せであった」と思えるような人生にしたいものです。
「十勝の活性化を考える会」会長
願いましたが、一人だけの障害児学級に入れられました。
学力の保証と言いますが、普通のクラスで学んだ理科が
もっとも良い成績でした。
その理科の授業を、たまたま廊下を通りがかって目にしたのですが、
黒板にぎっしりと授業内容が書かれていました。
とても感動したことを今も覚えています。
それは、幸せを感じた時でした。
小学校や高校では普通学級で学びました。
それは良い経験となったようです。
子供たちはみな無限の可能性を秘めて成長してゆきます。
その未来を社会や行政の都合で狭めてはいけないと思います。
障害者基本法 第一条で
「全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現する」と定め
第十六条で「保護者・本人の希望尊重」が明記されています。
ご存知かもしれませんがご参考になれば・・・
障害児を普通学校へ・全国連絡会ホームページ
http://www.zenkokuren.com/
障がい者手帳を持ちつつ、体育も全くダメなまま、
不便さはあるものの不幸ではなく生かされてきております。
さまざまな障がいがあり、一様に語ることはできませんし、
不利益を被るのはおかしいのですが、
与えられた状況の中で自分らしさを探すことだと思っています。
人は今ある環境で前向きに生きていくことに幸せを感じ取ることができますね。
珍魚・駄魚ハンターとして、小さなお魚さんたちに目を凝らし、慈しんでおられる姿が目に浮かびます。
「雑魚という名の魚はいない」と叱られそうですが。
これからもお魚さんたちと楽しく遊んで(もらって)ください。