私は69歳になるが、ロケット基地で有名な十勝の大樹町(北海道の東方)で生まれた。だから道産子であるが、自分のルーツを調べると以下のとおりであった。
『父親の祖父と祖母の二人は、共に岐阜県人である。岐阜県本巣市糸貫町には、まとまって40軒ぐらいの寺町姓の人々が住んでいる地区がある。いろいろな事情で北海道に入植したらしいが、過去のことでもありよく分からない。一方、母親の祖父は岩手県出身で、祖母は青森県出身である。
西暦801年、桓武天皇からの命を受けて征夷大将軍 坂上田村麻呂がエミシ征討を行なったが、当時の東北などにはエミシ族が住んでいたので、母方はエミシ族、すなわち縄文人である。』 (※エミシ:荒ぶる人々の意味)
縄文人が日本に住みついた後、朝鮮半島などから来た渡来人(弥生人)と縄文人との混血が行なわれ、エミシ族の一部が南方の琉球人、また、北方のエミシ族になったとい言われている。だからDNAを調べると、北海道のアイヌと沖縄の琉球人は、とても似ている。
ところで北海道は、明治時代に入ってから入植が本格的に始まった。そのために北海道の歴史は浅く、且つ、他県に比べて家へのこだわりが低く、道産子の多くは自分のルーツを調べることをしない。私は若い頃、仕事の関係で岐阜県と青森県に住んでいたことがあり、自分のルーツを調べることが出来た。
結論的には、昔は結婚すると苗字は父方か母方に統一するルールになっていたので、ルーツはどうしても父方の半分だけを調べることになり易い。だから、自分のルーツは半分しか分からないことが多く、調べるにしても限界があるのであまり意味がないと言えよう。
ところで、世の中には様々な差別があるが、「差別をしてはならない」というのは現代社会の鉄則であるが、この差別については、次のように考えている。
「差別」とは人に「差」をつけ、自分とは「別」の存在(グループ)として一種の排除をすることではないかと思う。人間には能力や外見など、合理的あるいは非合理的な様々な違い(差)があることは否定できない。大切なことは、その事実を認めたうえで、その「差」によって人を排除しないことで、学校の「いじめ」も排除もひとつである。
最近、地球温暖化など今までに経験したことがないことが起こり始めており、いま進んでいるグローバル世界の中で人類に何が待っているのか。 つまり、「私たちは何処に行くのか」ということを考える時、自分は何者で、どこからやって来たのかを知ることは、“己を知る”ベースになる。
遠い未来を考える時、過去を振り返ることが大切であると思うのは、自分だけであろうか・・・・・。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 日本人のルーツ
太古の昔、日本列島は中国大陸や朝鮮半島と陸続きで、「日本」「中国」「韓国」などとの国境はなく、古代の人々は日本列島や朝鮮半島、中国大陸などの広い範囲に住んでいた。大陸と繋がっていた時代は、様々な人種が日本に往来していたが、氷河期を終わって間氷期になると海水面が上昇して今のような島国となった。
そして、日本列島に初めて移り住んだ「ヒト」が、縄文人と言われている。弥生期に入ってからも中国や朝鮮などから来た渡来人との交流が続き、日本は独自の文化を開花していく。
奈良時代の西暦八百一年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、エミシ征討を行なった史実もあるが、この頃の北海道はあまり知られてなく、「エミシ」は現在の東北地方である陸奥国や出羽国などの広い範囲にいた人を指していた。従って江戸時代までは、和人と共に東北地方にもエミシ族(アイヌ)が住んでおり、東北地方にはアイヌ語の地名が多数ある。
【参考文献】
・ 児島恭子著 「エミシ・エゾからアイヌへ」
・ 瀬川拓郎著 「アイヌ学入門」 など多数
確かに人間は”物体”であり、死ねば灰になり大地に還ってゆきます。
しかし、思考して悩み苦しみ自己の存在意義を確かめてみたくなるのはなぜでしょう?
「我思う、故に我在り」でしょうか。