“悪法も法なり”とは、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスが言ったとされる。「たとえ悪い法律でも、それが存在する限りは守らなければならない」ということで、法やルールを守ることをその正当性よりも重要視するという考え方である。
法治国家であるから法律は守らなければならないが、最近の政治家や東京オリンピック関係者の収賄・贈賄事件を見ると法を犯した犯罪が多く、そうでもないような気がしてくる。
「戦争は二度と繰り返さない」という我々の反省は、多くの犠牲を払って得たわけで、戦後の日本の平和と繁栄は、こうした犠牲者によってもたらされたものである。我々は太平洋戦争で過ちを二度と繰り返さないという教訓を得て、その結果、憲法九条「戦争の放棄」が生まれた。
こういった戦争と平和についての問題は、多数の犠牲者を出したうえで得られたという認識が日本人には確かにあり、現在の自衛隊の存在は、憲法違反にあたると考える憲法学者が約6割と多いそうである。
ところが今は、平和や人権はあって当然という感覚でとらえているのではないだろうか。今の社会体制や環境といったものは、先人たちの努力の賜物で、その中には、地球温暖化など反省すべきこともたくさんあるのは事実である。ただ我々は、大きな問題になりつつある地球温暖化に対しては、あまりにも無関心すぎるのではないだろうか。
もしも、法が悪法であれば改正すればよいのであるが、地球温暖化はそんなに簡単ではない。既述した収賄・贈賄容疑の逮捕は、法律に基づきなされたと思うが、もし本当であれば厳罰に処してほしい。なぜなら、嘘の証言に思えるからで、“噓つきは泥棒の始まり”でもある。
「十勝の活性化を考える会」会員
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