先日、精神科医師 長沼睦夫著「気にしすぎる自分がラクになる本」に、興味深いことが書かれていたので、紹介したい。
『(前略) 「乳幼児期にわたって両親に虐待をされて、周囲から暴言や暴力を受けたことによって、愛情を深める行動(愛着行動)を絶たれると、さまざまな心の問題が引き起こされます。これを「愛着障害」といいます。愛着障害もトラウマ同様、母親のイライラをぶつけられた」 「母親に無視された」などの比較的小さなトラブルでも起こりうる、だれでもが持つ可能性のあるものです。
もっとも身近な人の愛を感じることができずに育つと、自分は他人から愛される価値のない人間だと思い込むようになり、そのような自分を受け入れることも、好きになることもできず自分を過小に評価して、つねに劣等感にさいなまれマイナスで物事を考えることが多くなります。
また、愛着障害は周囲の人から愛されないことだけでなく、両親からとても過保護にされたり、過剰に干渉された子どもにもみられます。この場合、起きるのは「自己の肥大」です。両親の愛情が不足した場合と同様に、このような子どもは、親の期待を裏切らないようにみせかけの自分をつくり、本当の自分の気持ちには無頓着で、両親に対して過度な従順な態度をとるようになってしまいます。のちほど詳しく説明しますが、この見せかけの自己意識が「自己愛性パーソナリティ」という自分中心の性格のゆがみにつながります。そして、それもまた、マイナスの思考のクセを呼び起こす原因になるのです。 (中略)
「損して得取る」という言葉があります。『広辞苑』(岩波書店)によると、「一時は損しても将来の大きな利益を計る。損をしたようで実は大いに得をする。」ということです。自分のことを客観的にみたり、心の内側を考えたり・・・・・そうやって受け入れる作業をする以前にも、それなりの自尊心や誇り(プライド)、自信はあった。でも、本当の自分を受け入れることで、その自尊心や誇り、自信さえ失うこともあります。失うのだから、これは一時的に損をすることになります。
でも、考えてみてください。それは本当の自信や誇りだったのでしょうか。もしかしたら、弱い自分を必死に守るためのごまかしの自尊心、誇り、自信だったのかもしれません。一皮むけば、子どもの頃の傷を引きずったまま、心の内では、不安や悲しみや恐れなどが渦巻いていたのかも・・・・。
そのような自分にしがみついていないで、手放してしまいましょう。流れに身をまかせ、手放して、何もなくなった時に、新しい自分が見えてきます。ごまかしの自尊心に包まれていたことで見えなかった、もっとステキな自分がいるかも知れません。
勇気を持ってありのままの自分を受け入れ、許して、手放したからこそ、もっとステキな新しい自分に出会えることもあるのです。』
本に書かれているように、ごまかしの誇りや見栄っ張りは、捨てた方がよいと思っています。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 愛着障害
愛着障害 は
1. 生まれて2年目までに形成される通常の母子間の愛着形成;
2. 通常の愛着が2-3年以内に形成されない場合には、愛着は遅れて形成される
愛着障害は、研究文献においては見られる用語であるが、反応性愛着障害 とえばアメリカ精神医学会のDSM-IVにあるような)の臨床的な診断基準よりは広い意味を持つ。
愛着障害をDSM-IV-TRにおいては「抑制型」と「脱抑制型」に分けられ、ICD-10では「反応性」と「脱抑制性」に分けている。
愛着理論が用いられるのは、たとえば、里子・養子に出された幼児のように、生後すぐに慢性的な虐待を経験した幼児の行動障害を説明する場合などである。
愛着療法 は、用語の用い方に合意がなされているとは言い難い、意味の広い用語であるが、多くの狙いをもつ療法である。それゆえに、この用語は実用的ではないと考えるものもある。
愛着療法は1940-50年代にジョン・ボウルビィによって開発され、幼児精神医療、小児発達 や関連する領域における先進的な理論である。理論の研究はよくなされており、愛着関係がどのように発達するかや、どうして後の正常・健康的な発達に必須であるのかや、幼少期の虐待やこの期間における他の障害がどのような効果をもつのか、などを示す。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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