40年前、東京都台東区には、“山谷ドヤ街”という日雇い労働者用の簡易宿泊所が集まった場所があった。
その頃、私はカラオケにはまっており、フォーク歌手 岡林信康のヒット曲“山谷ブルース”をよく歌ったが、知人にはこの山谷ドヤ街に忘れられない思い出がある。
知人はある日、友人からの電話で中学校時代の友人であるA君の無残な死を知ったからである。
その友人は、山谷ドヤ街を取り上げたテレビのドキュメント番組を観ていて、A君が日雇い労働者のリーダーの一人として登場し、手配師の賃金ピンハネに抵抗する等の運動に取り組んでいたこと、ある日ドヤ街で死体で発見されたことを知り、友人だった私の知人に知らせてくれたそうである。
A君は正義感の強いアイヌで、友人の無惨な死を知ってから人生観・世界観を見つめ直し、人生を真剣に考えることになったそうである。
“山谷ブルース”の歌に戻るが、この歌は日本の高度経済成長時代をよく表わしている。半世紀ぶりに開催予定であった東京オリンピックが延期になったが、50年前もそうであったが、オリンピック後の不景気をとても心配している。
『十勝の活性化を考える会』会長
注) 山谷
(清川二丁目のドヤ街)
山谷とは、東京都台東区北東部にあった地名。現在の清川・日本堤・東浅草付近を指した。一時期、遊廓が置かれたことから、吉原遊廓を指す場合もあった。安宿が多かったことから労働者が集まるようになり、東京都台東区・荒川区にある寄せ場(日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街)の通称として使われる様になった。交通の便がよく、格安ホテルがあることから、2000年代以降は、バックパッカーを含む訪日外国人の宿泊地としても人気を集めている。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
※歌 “山谷ブルース”
一、
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせどうせ山谷のドヤ住い
ほかにやることありゃしねえ
二、
一人酒場で飲む酒に
帰らぬ昔がなつかしい
泣いて泣いてみたってなんになる
いまじゃ山谷がふるさとよ
三、
工事終ればそれっきり
おはらい箱の俺たちさ
いいさいいさ山谷の立ちん坊
世間うらんでなんになる
四、
人は山谷を悪くいう
だけど俺たちいなくなりゃ
ビルもビルも道路もできゃしねえ
だれもわかっちゃくれねえか
五、
だけど俺たちゃ泣かないぜ
働く俺たちの世の中が
きっときっとくるさそのうちに
その日にゃ泣こうぜうれし泣き
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます