先日、「北海道新聞」令和元年6月30日付け『異聞風聞』欄に、個人と社会や自由のことが書かれていた。私もこのブログに個人情報と社会という題で(令和元年6月24日付け)、また、人間の自由とはという題で(同3月30日付け)、自由のことを書いたので大変印象に残った。下記が、その記事である。
【小学校時代の思い出をたどると、遠足や運動会、理科の実験、給食などの記憶がよみがえってくる。一方でほとんど覚えていない事柄もある。
私の場合、「道徳の時間」がそうだ。何をやったのか、先生がどんな話をしたのか、思い出せない。運動会や学芸会の練習などで、つぶれることがよくあったことだけは覚えている。
それでも、不道徳な人生を送ってはこなかった(と自分では思っている)。「道徳の時間」で学んだおかげで誤った道を進まずに済んだ、という人に出会ったこともない。
そんな状況を「けしからん」と憂えた人がいたのだろう。昨年度から小学校で、本年度から中学校で道徳が正式な教科として教えられるようになった。
きっかけは学校で相次ぐいじめ問題。自民党が政権に復帰した翌年の2013年2月、安倍晋三首相直属の教育再生実行会議が、対策として道徳の教科化を提言した。これに対し「戦前の修身の復活を狙うもの」 「個人の内面の自由に踏み込んではならない」といった批判も根強い。
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「大人の道徳」という著書を昨年出版した道教育大旭川校准教授の古川雄嗣さん(41)は「道徳教育は必要」との立場ではあるが、今の授業内容には異を唱える。旭川のキャンパスを訪ね、話を伺った。
「道徳の教科書には、他人に対する思いやりとか、夢に向かって頑張ろうといった話が満載で、『心の教育』に重きを置きすぎていて、大事なことが抜け落ちています」何が足りないのだろう。
「民主主義社会の一員になるための教育です」と古川さんは言う。
「個人と社会、国家がどのように関わり合っているのか、それがどんな思想を基に成り立っているのかを知り、論理的に考えること。日本は民主主義の国ですから、きちんと学校で教えるべき事柄です。子供にも分かりやすく教えることは、可能だと思います」
いわば「哲学入門」のような分野だ。確かにそうかもしれない。17~18世紀、ロック、ルソーらが提唱した啓蒙思想を基に今日の民主主義が形成されてきたことは教わったが、具体的にどんな思想か、と改めて問われると答えに詰まる。
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民主主義とは?自由とは?人権とは?そこにどんなルールがあるのか? 社会の一員として取るべき振る舞いとは?
こうした「キホンのキ」の教育がおろそかにされてきたせいだろう。政治家にふさわしいか疑わしい人物が、堂々と議員バッジを着けている。有権者の間には「政治の問題を考えるのは面倒だ。やりたい人がやればいい」という「お任せ民主主義」がまん延する。
同様の民主主義の劣化現象は、自国第一主義やポピュリズム(大衆迎合主義)政治という形で世界を覆っている。
ちなみに道徳の教科書には、「夢を持って自分のやりたいことをやろう」という記述が目立つ。しかし古川さんによると、「やりたいことをやる」というのは、自分の欲望にとらわれているという意味で真の自由ではない、「奴隷の道徳」だという。欲望から離れ、理性の命令に従って「やるべきことをやる」というのが本当の自由なのだそうだ。
詳しくは古川さんの著書を読んでいただきたいが。
「そこをきちんと学んでいないと、本物の大人にはなれません」と指摘された。
20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)が閉幕し、参院選が本番を迎える。「不道徳な大人」と言われないよう、しっかり考え、行動したい。】
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