丹羽宇一郎著 “死ぬほど読書”の本の紹介。著者は、伊藤商事(株)元会長で、この本には、次のことが書かれていた。
『昔は「KY」(空気を読めない)、いまは「忖度」という言葉が流行っています。日本人は、和を重んじるから、周りの人の顔色をうかがうように空気を読むのがある意味で礼儀であり、昔からのしきたりなのでしょう。
ベストセラーのように流行りものがしょっちゅう現れては消えていという現象がよく起こるのも、周りの空気が気になって仕方がないからだと思います。
私がベストセラーを読まないのは、その本が売れているからといって、多くの読者にとってよい内容が保証されているわけではなく、売れているという空気が勝手に膨らんでベストセラーとなっているからです。
もっとも、空気を読むこと自体は悪いことではない。その場、その場で空気を読んで対応するのは当然のことです。
しかし、漂っている空気に遠慮していいたいことを遠慮していいたいことをいわず、主張すべきことを主張しなければ、それは空気を読すぎていると思います。自分を曲げてまで周囲に同調する必要はありません。
最近の日本の政治は、権力を握った人間が自分たちの好きなようにシステムや国の行方を次々とつくりかえていこうとする動きが目立ちます。
しかし、そんな危うい空気にもかかわらず、深くものごとを考えることをせず、何となく現状に流されて生きている人のほうが多いのではないのでしょうか。
何の質問も異議も唱えず、周囲の空気を読んで現状に満足しているようでは、それはまさにスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットが、「大衆の反逆」で述べているように、野蛮性と原始性に富んだ衆愚になるだけです。
ドイツの政治学者E・イエル=ノイマンは著書「沈黙の螺旋理論」のなかで、多数派に押されて少数派が意見をいいにくくなり、世論が形成されるという過程を示しています。
日本人は軸をしっかり持たず、空気を目ざとく読んで、多数派につくという「沈黙の螺旋」を常に描いているように思います。
会社の会議などでは、みな空気を読んでいます。空気を読んで何となく通りそうな意見に無難に従おうとする人。こっちの方向へ空気は流れていきそうだけれど、それに対しては反対だからしっかり意見をいう人。こういう発言をすれば多数が同調してくれると読んだ上でなにかしゃべる人・・・・・。
そういうなかで生まれた空気に積極的に賛成する人が2割、反対する人が1割、残りの7割は特に賛成意見も反対意見も持たず、周りの動向に従う。会議に参加する人はそんな感じで構成されているのかもしれません。
いつも周りの空気を読んで付和雷同する人は、自分の軸を持っていないからそうするのでしょう。幅広くいろいろな本を日頃から読み、仕事と真剣に向き合っている人は、自分の考えや信念を持っているから、安易に空気に流されることはないはずです。
読書は心を自由にしてくれます。読書によって自分の考えが練られ、軸ができれば、空気を中心に思考したり、行動したりすることはなくなるはずです。世間の常識や空気に囚われない、真の自由を読書はもたらすのです。
空気はあえて読まないことも必要です。読みたければ読むといいと思いますが、読んでもそれに同調したくないときは、そうする。
空気をどう扱うか、どう読むか、どう対応するか、その都度、その都度、自らの心、良心に従い、柔軟に考え、行動していく力を持つことが、動物の血が抜けきれない人間の最大の幸せではないでしょうか。
物の豊かさではなく。“心のありよう”こそが、人間としての最大、唯一の証であるように思います。』
この本を読んで、日産(株)のゴーン社長が会社を手玉に取ったこと、逆に言えば、ゴーン社長の配下にいたイエスマンだった役員のことを思い出した。
このことは、いまの国会にも言えることで、政治空白を1日でも回避するという名目で、安倍晋三首相の後継を選ぶ総裁選では、自民党総務会の判断で党員投票の見送りを決めたという。
同じ様なことで以前、北海道新聞の『卓上四季』欄に、以下の記事が載っていたので、その一部を載せよう。
『老後の蓄えが2千万円必要」とした金融審議会報告書の受け取りを麻生太郎金融担当相が拒否した問題で、政府・与党がまともに審議に応じないまま、通常国会が閉会した。老後の暮らしや年金を含む社会保障の将来・・・。
多くの国民が抱く問題を正面から論じる好機にもかかわらず、報告書がなかったことにされようとしている。振り返れば、同じような光景に、一体何回、出くわしたろうか。
加計学園問題では、「総理の意向」などと記載された文書の存在について、元官僚が証言した。「あったものをなかったことにはできない」。これはもはや政権の「おごり」や「緩み」のレベルではなく、国民に対する「侮り」というべきだろう。臭いものにふたをしたところで、もとを正さない限り、腐臭は消えない。』
日本のGDPが、10年後にインドにも追い抜かれ三流になっても仕方ないと思うが、政
治はせめて一流であってほしい。政治家は立派な人がなると思っていたが、今はそうではないらしい。
「十勝の活性化を考える会」会長
財閥富を誇れども社稷を念う心なし