十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

熱いということ

2019-03-24 00:00:00 | 投稿

熱いということ

 

先日、ある講演を聞いてきました。講師は、「十勝の人はみんな熱い」と言っていました。また、新聞のコラム「冬を生き延びる」にも、同じようなことが書かれていました。

一方、本州に住んでいる友人も寒暖の差が大きい十勝の天気を見て、「寒いところに住む人は、心が熱くないと住めない」と言っていました。人の心は、自然環境などによって育まれることに改めて気づきました。

ところで、蘭学医であった関寛斎(1830-1913)は、73歳の時にアイヌを道案内に十勝川を遡り、足寄町にある石川家(石川元衆議院議員の実家)に1泊したあと、厳寒地で有名な陸別町斗満原野の開拓に入りました。

十勝開拓の祖と言われる依田勉三も、「晩成社」を組織し十勝に入りましたが、関寛斎は73歳で開拓に入りましたから熱い人だったと思います。ここに、十勝の活性化のヒントがあるように思います。

                  「十勝の活性化を考える会」会長



十勝の活性化について思うこと

2019-03-23 10:10:17 | 投稿

十勝の活性化について思うこと

 

札幌市在住 福井孝志 68

 

「十勝の活性化」について少し考えてみました。私は芽室町出身で、実家は畑作農家をしていました。北大、北大大学院を経て電電公社の研究所に16年勤めたあと、北大で職を得て2年前に退職しました。専門はエレクトロニクス分野で、スマホにも関連しています。

さて、十勝は地理的にみると山と海に隔てられた独立国家の様相を呈しています。埼玉県入間市に住み、研究所時代に東京都武蔵野市に通っていたのとは大違いで、十勝は周りとの境界がはっきりしています。

東京依存の強い埼玉県の活性化を議論してもあまり意味がありませんが、十勝については独自の経済圏が成り立ちやすく、表記の議論は可能かと思います。

 

[食料とエネルギー]

かつて、人間が生きていくための必須アイテムは「衣食住」と言われましたが、今はむしろ「食料」と「エネルギー」が重要項目でないかと思います。現に食料の半分と原油などのエネルギーの大半は、海外に依存しています。そして十勝の食に関しては、多くの人に議論されているので、ここでは私の専門に近いエネルギーの話を簡単に述べます。

自動車がガソリンから電気に変わっていくなど、今後エネルギーと言えば、電気エネルギーがますます重要な要素になっていきます。発電に関しては、東日本大震災の時の原発事故により国民的議論が沸騰しましたが、ここでは視点を変えて自然の再生可能エネルギーに着目してみます。

十勝の食料自給率は良く議論されますが、エネルギーの自給率の議論は、あまりありません。ところが道内でも、例えば稚内市は、早くから大規模な太陽光発電施設と風力発電施設が設置され、「電力自給率が100%を超えている」ことを売りにしています。

 

太陽光発電には、年平均の日照時間が重要ですが、十勝は、道内の中で比較しても日照時間が長く条件は整っていると思います。勇払原野に大規模発電が出来ていますが、十勝でも広大な土地があり、適地かと思います。

人口の集中により、帯広界隈に多くの産業が集積し、その周りの十勝平野が食料基地となっている状況ですので、さらにその外部の広大な土地に発電施設があるという、ドーナツ型の構想が考えられます。

また、風力発電については、沿岸部になるかと思います。風力発電のメッカの苫前町、小平町などの日本海側は、比較的に風が安定しているようですが、えりも町など強風が吹く太平洋側も、風力発電に適地かもしれません。

 

[人口問題]

十勝の活性化を議論するうえで、人口の問題も重要です。ただ、日本の人口減少は全国的な規模であり、議論の糸口がつかめません。         十勝の場合、社会インフラの効率的な運用を考えると、この動きはなかなか止められません。

特に、帯広から距離の離れた周辺町村の人口減少が深刻かと思います。こういった地域では、食料生産中心から、休耕地、遊休地を有効利用したエネルギー生産へのシフトという選択肢があります。太陽光発電が経済的に成り立つか、エネルギー生産は雇用を生まないなどのいくつかの問題がありますが・・・。

 

東日本大震災直後における法外な太陽光発電の買取価格に端を発した「太陽電池ブーム」も去り、少し落ち着いてきました。従って、これからは長期的視野に立って、エネルギー自給の観点から、もう一度、この問題を考えてみてはいかがでしょうか。中国が太陽光パネルの過剰生産で価格が大幅に下がっていますし、風力発電も中国メーカーが低価格化に成功して、中国国内で爆発的に伸びているなど、投資環境は、「追い風」の状況です。

一方、原子力発電だけでなく主力の火力発電も、化石燃料を燃やすことで、昨今の大規模な水害など地球温暖化をもたらす原因ともなり、今後ますます燃やすのが難しくなります。

詳細な議論は割愛しますが、十勝の活性化に取って自然エネルギーの活用が役立つことを期待します。

 

[十勝の未来志向]

最後に、活性化という言葉に「未来志向」という意味が含まれているかと思いますので、夢のある提案をひとつ。

どうしても人を増やしたいとなると、企業誘致などにより働く場を増やすことが求められます。一方で、AIやロボットの進化で、消滅してゆく職業もたくさんあるといわれています。

そんな中で地方活性化の一助となる『サテライトオフィス』が注目されています。インターネット環境が急速に整備されたことで、首都圏の本社で働くより、自然環境、住環境に優れた地方の中核都市にサテライトオフィスを作り、豊かな生活を送りながら働いてもらおうという流れです。

業種は、ソフト開発、回路設計、IT技術開発、ゲームソフトなどベンチャー企業を中心に、いずれも先端的な産業で、しかも当面はAIではなく「人海戦術」に頼らなければならない業種です。

徳島県では、既にいくつかの企業を呼び込むなど、ある程度成功しているようです。これには、行政も巻き込んだ環境整備が必要ですが、小規模ながら比較的若い先端的な企業群が整う可能性もあり魅力的だと思いますが、如何でしょうか。 

       以上 


人生と歴史

2019-03-22 15:48:24 | 投稿

人生と歴史

 

昨年の平成30年9月で満68才、2年後には古希を迎える。しかし、数え年では生命が宿った時から人生が始まり、生まれた時が1歳だから、今年が古希を迎える年である。

私は時の速さをつかもうとするため、自分の年齢と生きてきた期間とを比べて歴史をみることがある。下記のように、あらためて「歴史」を並べてみた。歴史といえば遠い過去のことのように感じるが、自分の生きた年数の「何倍か」前の時代は、現在の状況を見ると想像もつかない状況で、変化は早く無常である。

しかし、時間は間違いなくつながっている。私は70年後には存在しないが、どんな時代になっているのだろう。科学の更なる進化よりも、真に人が大切にされるような慈悲深い時代であってほしい。

 

・誕生時:   昭和25年(1950)生、当時は日中戦争を経てアジア・太平洋戦争に敗れて5年後、米国指導下の復興、民主化の時。朝鮮戦争の特需が経済再生の弾みとなっていた。

・生まれる70年前:  明治13年(1880)は、明治政府が成立して12年、日本の近代化が進んでいた時。前々年には明治維新の中心人物の一人であった西郷隆盛が西南戦争に敗れて自決。前年には、明治政府のリーダーで、西郷の盟友であり政敵となった大久保利通が暗殺。

・生まれる140年前: 1810年(文化8年)、徳川・江戸幕府になってから207年、11代家斉の時。鎖国のなか、海外進出・植民地化を進めるロシア、イギリス、アメリカ等が通商を求め頻繁に来航。国内では国学、文学、医学、地理、文芸等学問が進展。

・生まれる210年前: 1740年(元文5年) 徳川7代吉宗時代、元禄文化を経て学問、文芸等開花。

・生まれる280年前: 1670年 徳川4代家綱時代 学問、 文芸等活発化。

・生まれる350年前: 1600年 徳川家康が「関ヶ原の戦い」で勝利、1603年に江戸幕府を開く。

                           以上

 「十勝の活性化を考える会」会員より


シャクシャインの戦いが知られていないこと

2019-03-22 09:54:06 | 投稿

 

「シャクシャインの戦い」(西暦1669年)は、北海道で起こったアイヌ民族と松前藩との戦いで、北海道史上では一番大きな戦いです。その起因するところは、和人商人及び松前藩の一方的な交易の進め方にあり、その戦いは、松前藩による武力の動員により終了しました。従って、その後のアイヌ民族に対する幕府の政治的且つ経済的な影響力増大につながっています。

しかし「シャクシャインの戦い」が、道産子あるいは日本の社会で歴史に関する知識として、どれだけ情報共有されているのかということです。これには、二つの重要な意味があります。

ひとつは、アイヌ文化やアイヌ史に関する研究を本格的に進めている人は僅かであって、「シャクシャインの戦い」についても研究の余地が大きいということです。もうひとつは、「このような戦いがあった」ということが、道産子や日本の人々に、どれだけ情報共有されているのかということです。

日本史における1600年に起こった「関ヶ原の戦い」などと比べて認知度が低く、このような状況が、これまでのアイヌ民族の歴史とアイヌに対する社会的認識にも影響しているのではないかと思います。そして、「シャクシャインの戦い」が、道産子や日本の社会で知られていないことが、北海道の文化に関わる様々な問題にもなっています。

その意味では、文化には伝統をきちんと伝えていくべき要素と同時に、絶えず革新されていくべき面があるとすれば、「シャクシャインの戦い」がどのようなところで道産子の共通認識となり得ているかは、北海道の文化に関わる大きな要素だと思います。以上 

      「十勝の活性化を考える会」会員より


私たちは見えていないのか?

2019-03-21 11:50:11 | 投稿

 201923日、日本ホスピス在宅ケア全国大会が帯広市で開かれ、柳田邦男氏の講演「大人が絵本に涙するとき」 

~ケアする人、ケアされる人のために~

を聞いてきた。子供には見えても、大人の目には見えていないものがあるらしい。その昔、ユリウス・カエサルが「人は見ようとするものしか見ない」と言ったそうだが、まさに名言だと思う。

同じようなことだが、私たちは日々の変化に気づかないことが多い。10年ひと昔と良く言われるが、10年間を1日とみればその変化に気づかされることが多い。

例えば、帯広駅前西二条通りで同じ場所の変化を撮った十枚の写真を見れば、百年間の移り変わりに驚かされる。だから私たちは、百年後の街はこのような街にしようと考える必要がある。そのためにいま何をすべきかを真剣に考える時期が来ているのではないだろうか?    

「十勝の活性化を考える会」会員

          (201924日 記)