今日の当市へのお客様は福島から、9名の方が、午後2時~4時に、お出でになると聞いていました。
しかし、実際にいたらしたのは11名の方で、午後2時から5時半まで居られました。
いらした方は福島の方だけではなく、福島県郡山市、会津若松市、白河市、大館市、盛岡市(2名、内1名は盛岡の出版者の方)、仙台市、秋田市(3名)、他に大宮市八重洲ブックセンター店長さんと秋田市無明舎の編集者の11名の方でした。
誠に不思議な集団、女性の方1名、若い方から80代の方まで混ざった集団です。
戊辰戦争研究会HP
この方々はネットの「戊辰戦争研究会(会員100名)」の方々で、当市を現地集合場所として集まったいらした方々で、1名が大幅に遅れていらっしゃいました。今晩は当市会場近くのホテルに宿泊の予定のようでした。
この「戊辰戦争研究会」の主催者は、福島県郡山市の「星亮一」という方で、会津白虎隊へのこだわりからこの研究会を立ち上げ、たくさんの著書を著している人でした。
星亮一氏の著書の紹介HP
当市からは、教育委員会の方1名を含めて6名の方で対応しました。
ネット上の研究会で、こうして現地集合として呼びかけの活動が行われ、こうしてたくさんの方が参加していることに驚きを感じました。
星氏がたくさんの著書を出しているので、盛岡、秋田、大宮の3つの出版や販売の方が参加し、会終了時にたくさんの本を展示して販売しました。

私は、星亮一氏の本は購入せず、秋田無明舎が出版したこの本だけ購入しました。
東北全体の中の当市を知りたいと考えたからです。この著者加藤貞仁氏も福島県郡山出身で、読売新聞社秋田支局員時代に戊辰戦争の資料を集めて1999年初版、2000年2版の著書です。
いらした老若男女の方々、私たちが準備した資料で1冊の本が出来るねと喜ばれ、資料調査室に保存されている刎首(ふんしゅ)となった南部藩の大将「楢山佐渡」の兜(黒熊・こぐま)を紹介すると、それをかぶって写真を撮り合っていました。

上の人が楢山佐渡さんです。
かぶっているのが「黒熊(こぐま)」で中に鉄が入っている防具です。
南部藩の総大将である楢山佐渡は、戦争の停戦後「全て私が企てたもの、私を罰して下さい」と希望し、実際楢山佐渡だけが刎首(首を切られる)の刑となります。
楢山佐渡は「切腹」を希望しそれは認められるのですが、実際は楢山佐渡が自らの腹に短刀を刺し込む直前に、首は切り落とされたのです。
この時、楢山佐渡は他の人に支えて貰って歩く程に衰弱していました。
「武士の情け」とは・・・・、切腹の苦しさを続けさせるか、刎首の刑か?
首切り役人は、私がと望んだ人です。
私は、この首切り方の判断は適切だったと思います。
でも、戦争は悲惨すぎます。
如何お考えになりますか ・・・・
しかし、実際にいたらしたのは11名の方で、午後2時から5時半まで居られました。
いらした方は福島の方だけではなく、福島県郡山市、会津若松市、白河市、大館市、盛岡市(2名、内1名は盛岡の出版者の方)、仙台市、秋田市(3名)、他に大宮市八重洲ブックセンター店長さんと秋田市無明舎の編集者の11名の方でした。
誠に不思議な集団、女性の方1名、若い方から80代の方まで混ざった集団です。
戊辰戦争研究会HP
この方々はネットの「戊辰戦争研究会(会員100名)」の方々で、当市を現地集合場所として集まったいらした方々で、1名が大幅に遅れていらっしゃいました。今晩は当市会場近くのホテルに宿泊の予定のようでした。
この「戊辰戦争研究会」の主催者は、福島県郡山市の「星亮一」という方で、会津白虎隊へのこだわりからこの研究会を立ち上げ、たくさんの著書を著している人でした。

当市からは、教育委員会の方1名を含めて6名の方で対応しました。
ネット上の研究会で、こうして現地集合として呼びかけの活動が行われ、こうしてたくさんの方が参加していることに驚きを感じました。
星氏がたくさんの著書を出しているので、盛岡、秋田、大宮の3つの出版や販売の方が参加し、会終了時にたくさんの本を展示して販売しました。

私は、星亮一氏の本は購入せず、秋田無明舎が出版したこの本だけ購入しました。
東北全体の中の当市を知りたいと考えたからです。この著者加藤貞仁氏も福島県郡山出身で、読売新聞社秋田支局員時代に戊辰戦争の資料を集めて1999年初版、2000年2版の著書です。
いらした老若男女の方々、私たちが準備した資料で1冊の本が出来るねと喜ばれ、資料調査室に保存されている刎首(ふんしゅ)となった南部藩の大将「楢山佐渡」の兜(黒熊・こぐま)を紹介すると、それをかぶって写真を撮り合っていました。

上の人が楢山佐渡さんです。
かぶっているのが「黒熊(こぐま)」で中に鉄が入っている防具です。
南部藩の総大将である楢山佐渡は、戦争の停戦後「全て私が企てたもの、私を罰して下さい」と希望し、実際楢山佐渡だけが刎首(首を切られる)の刑となります。
楢山佐渡は「切腹」を希望しそれは認められるのですが、実際は楢山佐渡が自らの腹に短刀を刺し込む直前に、首は切り落とされたのです。
この時、楢山佐渡は他の人に支えて貰って歩く程に衰弱していました。
「武士の情け」とは・・・・、切腹の苦しさを続けさせるか、刎首の刑か?
首切り役人は、私がと望んだ人です。
私は、この首切り方の判断は適切だったと思います。
でも、戦争は悲惨すぎます。
如何お考えになりますか ・・・・
