感謝
先日、母のことをこのブログに書いたら、心配メールが届きました。
書いていつも後悔します。
いらぬ心配をかけてしまったと...
今日、うれしいものが届きました。
写真の10円饅頭をいただいたのです。
しかも、黒糖味の一口大の饅頭です。
母のことを心配してくれた人が「何かできないか。」と申し出てくれました。
「何もありません。」と丁重にお断りすると、「せめて何か食べれるものはないか。」と再度、尋ねてくれましたので、この饅頭の話をしました。
母は、手術をしてから、思うように食べ物が食べれません。
そのせいか急に思い出したように、「あれが食べたい、これが食べたい。」と子どものようにせがむようになりました。
そして、先日出てきたのが、この写真の饅頭であります。
自分に時間がないことと、少し離れたところに販売店があるため、すぐに買いに行くには難しかったのです。
そのせいか、この質問に、ついこの饅頭のことを口にしてしまいました。
そして、今日、その人もわざわざ遠くまで買いに行ってくれたようです。
とてもうれしく、久しぶりに、人の心の温かさを感じました。
小さなことかもしれませんが、大きな心の優しさだと感じました。
私は、最近、この心の温かさや優しさに気づかなくなっていたような気がします。麻痺をしてしまったようです。
それをこの小さな饅頭が思い出させてくれました。
母といっしょに、この小さな饅頭を口にほおばりながら、人の温かさまで味わいました。
そして、母は「敬老の日が近いけん、こうてきてくれたんけ。」と聴いてきたので、「そんなとこよ。」と受け流した私でした。
先日、母のことをこのブログに書いたら、心配メールが届きました。
書いていつも後悔します。
いらぬ心配をかけてしまったと...
今日、うれしいものが届きました。
写真の10円饅頭をいただいたのです。
しかも、黒糖味の一口大の饅頭です。
母のことを心配してくれた人が「何かできないか。」と申し出てくれました。
「何もありません。」と丁重にお断りすると、「せめて何か食べれるものはないか。」と再度、尋ねてくれましたので、この饅頭の話をしました。
母は、手術をしてから、思うように食べ物が食べれません。
そのせいか急に思い出したように、「あれが食べたい、これが食べたい。」と子どものようにせがむようになりました。
そして、先日出てきたのが、この写真の饅頭であります。
自分に時間がないことと、少し離れたところに販売店があるため、すぐに買いに行くには難しかったのです。
そのせいか、この質問に、ついこの饅頭のことを口にしてしまいました。
そして、今日、その人もわざわざ遠くまで買いに行ってくれたようです。
とてもうれしく、久しぶりに、人の心の温かさを感じました。
小さなことかもしれませんが、大きな心の優しさだと感じました。
私は、最近、この心の温かさや優しさに気づかなくなっていたような気がします。麻痺をしてしまったようです。
それをこの小さな饅頭が思い出させてくれました。
母といっしょに、この小さな饅頭を口にほおばりながら、人の温かさまで味わいました。
そして、母は「敬老の日が近いけん、こうてきてくれたんけ。」と聴いてきたので、「そんなとこよ。」と受け流した私でした。