夢を叶える方法
最近、フジテレビ系の番組で「エチカの鏡(http://www.fujitv.co.jp/ethica/)」というのがあります。
エチカとはオランダの哲学者スピノザの著書。ラテン語で「倫理」を意味し、人の生きる道と番組では解釈します。
さらに、鏡とは、自分の心を映す鏡。番組で紹介される感動話の数々を鏡として自分の心を映し、省みていただけたら、という思いが込められていますと紹介がありました。
そして、昨夜、アメリカのランディ教授の「最期の授業」の話が紹介されていました。
彼は末期癌(すい臓癌)と宣告され、一時大学から離れ、家族とともに時間を過ごします。
しかし、彼はもう一度教壇に立ちたいと望みます。
当然、妻は反対します。
彼は、その反対を押し切り最期の授業に臨みます。
そのテーマは意外なものでした。
「夢を叶える方法」
一瞬、教室は静まり返りました。
彼の専門分野とはまったく無縁なテーマだったからです。
親や教師の子どもに対する大切な役割りとは、
子どもの想像力は夢を叶えるために必要なものであり、その役割りとは
子どもたちの想像力を伸ばすことにあります。
決して子どもたちの想像力を阻むようなことはしないでください。
できるかぎりチャンスを与えてください。
また、夢をかなえようとすると必ずや挫折がつきものです。
でも、それらの障害は神様があなたを試しているのです。
あなたがその障害を乗り越えられると信じているから試すのです。
ですから、乗り越えてください。
その時には、あなたの長所をいかせば必ずやその障害を乗り越えられます。
そのためには、誠実な人生を送ってください。
誠実とは、次の3つを実行することです。
①正直に嘘をつかない。
②失敗したら、素直に謝る。
③思いやりの心をもつこと。
77分間の授業だったそうです。
最期に彼は、聴講生に謝ります。
その日の授業が遺していく三人の子どもたちのためだったことを。
彼は77分間に父親が人として子どもに教えるすべてを凝縮したのです。
去りゆくものとして家族に何ができるのか。
もっともっとたくさんのことを残していきたかったでしょう。
この話を聴きながら父のことを思い出しました。
父は学歴はありませんでしたが、人としていかに生きるべきかを機会あるごとに話してくれていたような気がします。
最近の私は正直、この教えを忘れていたような気がします。
しかも、長い時間。
父は、誠実な男でした。
一方、私はどうでしょうか。
欺瞞(ぎまん)と高慢(こうまん)の塊だったと気がつきました。
こんな私を見たら、失望し怒るでしょう。
父にとって誇れる息子ではないと思います。
17年間しか父親として付き合えなかった責任を感じているかもしれません。
でも、すべて私が悪いのです。
私の心がけや行動が悪いのです。
もう一度、あなたの誠実さを見つめなおし、どう行動すべきかを考え直したいと思います。
自分で切り拓く力を蓄えながら、がんばりたいと思います。
父さんの堅物で融通が利かなかったけど誠実なところを誇りに思っています。
最近、フジテレビ系の番組で「エチカの鏡(http://www.fujitv.co.jp/ethica/)」というのがあります。
エチカとはオランダの哲学者スピノザの著書。ラテン語で「倫理」を意味し、人の生きる道と番組では解釈します。
さらに、鏡とは、自分の心を映す鏡。番組で紹介される感動話の数々を鏡として自分の心を映し、省みていただけたら、という思いが込められていますと紹介がありました。
そして、昨夜、アメリカのランディ教授の「最期の授業」の話が紹介されていました。
彼は末期癌(すい臓癌)と宣告され、一時大学から離れ、家族とともに時間を過ごします。
しかし、彼はもう一度教壇に立ちたいと望みます。
当然、妻は反対します。
彼は、その反対を押し切り最期の授業に臨みます。
そのテーマは意外なものでした。
「夢を叶える方法」
一瞬、教室は静まり返りました。
彼の専門分野とはまったく無縁なテーマだったからです。
親や教師の子どもに対する大切な役割りとは、
子どもの想像力は夢を叶えるために必要なものであり、その役割りとは
子どもたちの想像力を伸ばすことにあります。
決して子どもたちの想像力を阻むようなことはしないでください。
できるかぎりチャンスを与えてください。
また、夢をかなえようとすると必ずや挫折がつきものです。
でも、それらの障害は神様があなたを試しているのです。
あなたがその障害を乗り越えられると信じているから試すのです。
ですから、乗り越えてください。
その時には、あなたの長所をいかせば必ずやその障害を乗り越えられます。
そのためには、誠実な人生を送ってください。
誠実とは、次の3つを実行することです。
①正直に嘘をつかない。
②失敗したら、素直に謝る。
③思いやりの心をもつこと。
77分間の授業だったそうです。
最期に彼は、聴講生に謝ります。
その日の授業が遺していく三人の子どもたちのためだったことを。
彼は77分間に父親が人として子どもに教えるすべてを凝縮したのです。
去りゆくものとして家族に何ができるのか。
もっともっとたくさんのことを残していきたかったでしょう。
この話を聴きながら父のことを思い出しました。
父は学歴はありませんでしたが、人としていかに生きるべきかを機会あるごとに話してくれていたような気がします。
最近の私は正直、この教えを忘れていたような気がします。
しかも、長い時間。
父は、誠実な男でした。
一方、私はどうでしょうか。
欺瞞(ぎまん)と高慢(こうまん)の塊だったと気がつきました。
こんな私を見たら、失望し怒るでしょう。
父にとって誇れる息子ではないと思います。
17年間しか父親として付き合えなかった責任を感じているかもしれません。
でも、すべて私が悪いのです。
私の心がけや行動が悪いのです。
もう一度、あなたの誠実さを見つめなおし、どう行動すべきかを考え直したいと思います。
自分で切り拓く力を蓄えながら、がんばりたいと思います。
父さんの堅物で融通が利かなかったけど誠実なところを誇りに思っています。