会の活動を進める中で、
「あれ?〇年前の、あのときはどうだったっけ?」
ってな時に、いつでもどこでもパパッと調べることができるのが、このブログ。とても便利です。
今年の元旦門付けの、計画から中止に至るまでの経緯を書き留めておきます。
自分の記録用の長文記事なので、さーっと流していただければ幸いです。
そもそも弊連が、元旦の門付けを始めたのは2013(平成25)年のことで、今年が9回目(の予定でした)。
(2013年の門付けの様子と配布する干支飴)
お正月の恒例行事として、ようやく地域に定着したところで、
コロナ渦にみまわれました。
令和2年は、すべてのお祭り・イベントが中止となったわけですが、大勢の人が1ヵ所に集まる行事が中止になるのは仕方ない。しかし、門付けは1ヶ所に集まるのではなく、リヤカー屋台で町内を回るだけなので、やり方を工夫すれば実施できるのではないかと、昨年10月頃から検討を始めました。
いつもと違うやり方で、いつもと違うお囃子。せめて賑やかな「音」だけでも、町内の皆様にお届けしたい。そんな気持ちで準備に取り掛かりました。
・全員マスク着用、笛はフェイスシールドを使用
・検温、手指の消毒の徹底
・参加人数を絞る(結果的に、参加の意思を確認したところ11名の参加予定でした)
・コース・時間の短縮、リヤカー屋台巡行は見学者がいても立ち止まらない
・蜜を避ける工夫(演奏を三人囃子にする、見学者に間隔を取るようアナウンス)
・見学者との接触を避ける(獅子は噛まない、干支飴配布の中止、御祝い・御礼の受け渡し担当者はゴム手袋着用)
・大声を出さない(挨拶、交通整理、お囃子の掛け声等)
・飲み物は各自持参(会では準備しない)、飲食物の提供は辞退する
・終了後の手洗い・うがいの徹底、2週間後の参加者の体調確認
「万全」と言える実施要領をつくり、週一回の定期練習も門付けを想定した内容で行い、備品の準備なども進めてきました。
弊連では、今まで「三人囃子」というものを人前で披露したことがありませんでした。通常は5人で演奏するお囃子を、笛・太鼓(オオカンと締め太鼓を一人で叩く)・鉦の3人のみで演奏するもので、ウチのお囃子らしい音になるように試行錯誤しながら、練習を重ねました。
12月に入ると、コロナの感染者が増え始め、GoToの停止や飲食店の時短営業などの対策がとられ、
お正月が近づくにつれて、都内の感染者数が800人、900人と増加してきました。
12月26日、正副会長で会議。
・実施の可否について、都内感染者が1日1000人を超えたら中止する
・コースと時間を当初の計画より、さらに縮める
・宣伝ポスターの掲示をギリギリまで遅らせる
12月29日、自治会掲示板にポスター掲示。リヤカー屋台整備。
12月30日、参加者用弁当(おみやげ)発注。
12月31日、都内感染者数が1300人を超えることが分かり、中止を決定。掲示したポスターに「中止のお知らせ」を貼る。
1月1日9:15~10:00、拡声器で中止のアナウンスをして町内まわり実施。注文していた弁当と、お祝いの返礼品として準備したマスクを参加予定者宅に配達。
・・・とても慌ただしい年末年始となりました。
1日は、私ひとりで半纏を着て、拡声器を担いで「中止のお知らせ」をしながら、予定していたコースを歩きました。例年にないほどの晴天のもと、例年になく静かな殿ヶ谷を一回りしながら、様々なことを考えました。今後の練習、お祭り、会の運営・・・、そして来年のお正月はどんな状況なのか?などなど。
まあ、何をやるにも、まずは健康第一。今年も頑張ってまいりましょう。