先日、5月22日(日)の立川駅北口での義援金募金活動に関する報告です。
集まった金額は507,074円。
5月30日(月)に立川おはやし保存会の会長と会計副部長、立川羽三囃子連の4名の子供たちが、立川市役所にて清水市長に直接、手渡して参りました。
その際、清水市長から立川市に避難されている被災者支援に活用させていただきたいと要請があり、立川おはやし保存会の会長も同意しました。
当初は市から日本赤十字社を通して被災地へ送る、とお知らせしていましたが、そのように変更になりましたことをご了承ください。
なお、12日の小若クラブのときにも、受付に募金箱を設置いたします。
皆様のご協力をお願いいたします。
Y字路では、迷わず「右折レーン」に入ってください。
左レーンが本線・福生方面。右折レーンが旧道方面です。
旧道に入ると・・・
いきなり交通量が減ります・・・。
「もぐら街道」と呼ばれた、かつての五日市街道を偲ばせるケヤキ並木が見られます。
西砂会館はもうすぐですが、少しスピードをゆるめて右側にご注目ください。
西砂川・殿ヶ谷新田の鎮守、「阿豆佐味天神社」があります。
1718(享保3)年、瑞穂・殿ヶ谷の阿豆佐味天神社より分社されました。
砂川四番にも同名の神社があるのは、皆様ご存じかと思いますが、
西砂のこちらもお見知りおきを。
祭礼は、1月の元旦祭、4月の春祭り、10月の秋祭り。
秋祭りは、神社と自治会が協力し、「殿ヶ谷まつり」として毎年行っています。
10月の第1日曜日が本祭で、その前日に前夜祭を行っています。
前夜祭の演芸大会では、毎年、地元の「殿ヶ谷一座」の奉納芝居がかかります。
本祭りでは、子ども御輿とともに、当会のトラック山車が町内を巡ります。
小じんまりしたお祭りですが、管理人たぬきは、この2日間に命を懸けてます。(笑
さあ、「西砂会館→」の看板が見えました。間もなく目的地周辺です。
ここからは、係の誘導に従って駐車してください。
おつかれさまでした。
(参考資料:「砂川の神社と寺院」榎本直樹 著)
道案内というよりも、「殿ヶ谷観光案内」でした~。
小若クラブの会場・西砂会館までの道のりをご案内します。
多くの皆様がJR立川駅方面から車でお越しのことと思います。
とにかくまずは、五日市街道に出てください。
そしてひたすら「西」へ向かってください。
残堀川を渡り、天王橋を越え、西へ、西へ・・・
「西砂町宮沢」交差点です。
ここで運よく信号待ちになったら、右手をご覧ください。
「臨済宗建長寺派・嶺宝山玉林寺」がご覧になれます。
もともとは瑞穂町殿ヶ谷にあったのを、1740年代に西砂川・殿ヶ谷新田に移したお寺。
瑞穂の元あった場所は現在、「玉林寺公園」となっており、
瑞穂町殿ヶ谷の山車小屋が建てられています。
写真の右側に見える建物は、「殿ヶ谷公会堂」。
殿ヶ谷十二支はやし連は、毎週ここで練習しています。
入り口両側と本堂ウラに樹齢2~300年と思われる大ケヤキがあります。
ウチのブログタイトルはこれと関係が・・・
その話は、またそのうちに書きます。
(ちなみに、道路の反対側には宮沢公会堂と立川市消防団第二分団の詰所があります。)
さて、「西砂町宮沢」交差点を過ぎるとすぐに「道路案内標示板」が見えます。
次のY字路を「福生じゃないほう」に進んでください。(笑)
ここが、そのY字路です。
左方向が五日市街道本線。
右方向が五日市街道旧道。
1956年、横田基地拡張にともない街道の一部が基地に接収されました。
それによって街道はここから左に迂回し、国道16号につながるルートに変更されました。
ここから基地のフェンスにつきあたるまでの旧道は現在、「西砂川街道」という名称になっています。
ちなみに、旧道の先は、もともと基地の反対側の第5ゲート前につながっていました。
うーん、何気なく通り過ぎる交差点にも歴史の重みがズシーン・・・
つづく。