トンサンの別荘

初代iMacが壊れ、本宅「マック鈴木家へようこそ」が更新できなくなったので、2010年9月27日よりこちらで情報発信。

【手話】 交流会「手話歌の作り方について話し合いましょう。」

2013年07月10日 00時00分01秒 | 手話

7月9日(火) 晴れ

今日の交流会は、8月20日と8月27日の自由参加日に作る手話歌について話し合いました。





トンサンが司会をし、どうやったら手話歌が作れるのか意見を出してもらいました。
すると「歌そのものも作るのか?」という質問がありました。
それには「今ある歌の中から好きな歌を選んで、手話歌にします。」と答えました。


「誰のための手話歌にするのか?」と言う質問も出ました。
これについては「みんなで話し合いましょう。」と言ったのですが、はっきりとした意見は出ませんでした。
作っていくうちに、また話題となるかもしれませんね。


手話歌を作る方法について意見を出してもらいました。
ステップ
1. 曲を選ぶ。
2. 手話を選ぶ。
3. 発表。
4. 残す方法(動画・イラスト・写真) ⇒ あとで考えよう。


と言うことで、まず作りたい歌がある人は申し出てもらいました。

「それでも生きていく」
「見上げてごらん夜の星を」
「厚木音頭」
「ありがとう」
「YELL」
「ハジマリノウタ」
「花は咲く」
あともう一つありましたが思い出せません。


一つに絞るため、挙手(きょしゅ)してもらいました。
「見上げてごらん夜の星を」と「花は咲く」が同点で残り、最終的に「花は咲く」に決まりました。


「花は咲く」はNHKの復興支援ソングです。

「明日へ」復興支援ソングのご案内

歌詞はこちら


楽譜はこちら


NHKでは「みんなで震災復興支援ソング『花は咲く』のミュージックビデオを作りませんか?」と呼びかけています。

あ、竹田さんが言っていたのはこれだな。
みんなで手話歌を作って、ビデオを撮り、これに参加できるといいですね。
締切は9月30日だそうです。


手話を振り付けするにあたっては、作詞の岩井俊二さんのメッセージと作曲の菅野よう子さんのメッセージを読んで、その心をつかむことが大事ですね。
どんな手話が作者の心を伝えやすいか、またろうの人にも伝わりやすいか・・・
手話の振り付けをしていくうち、また手話歌の練習をしていくうち疑問とか意見が出てくると思います。
みんなで話し合いましょう。


ピアノ発表会課題曲「ある愛の詩」の練習記録。

2013年07月09日 13時51分33秒 | 音楽

7月9日(火) 晴れ 1時半の室温32℃

今日も暑いが、エアコンは入れていない。
扇風機の風で過ごす。
電子ピアノのある部屋は西日が当たるので、練習は午前中に。

「ある愛の詩」の楽譜をもらってから6週間たった。
暗譜は全部できた。ここで成果の記録を。



どうやらデジカメの設定を間違えたらしくて、大きい画面になってしまった。
再生できるかな。


【手話】 バス研修旅行はアクアラインを渡って千葉へ。

2013年07月08日 00時47分09秒 | 手話

7月7日(日) 快晴 日差しが強い。

あゆの会夜の部主催 バス研修旅行 「千葉県木更津(きさらづ)方面」

参加者 24人(内ろう者7人)   担当者 菜緒美さん、林さん、布施さん  手話通訳 川島さん、石塚さん

行 程   「海ほたる」 ⇒ 博物館「金のすず」と周辺 ⇒ 昼食「木更津ビューホテル」 ⇒ 「東京ドイツ村」 ⇒ 体験農園「イクア」でじゃがいも堀り 


全員そろっていざ出発  定刻通り8時。

45人乗り「ともしび号」




ベイブリッジからみなとみらい21地区




「海ほたる」   うわぁ、観光バスがズラーっと。




来た方角を背にして・・・

さあ、おかあからの業務命令「ごぼうチップスを買ってくること」でトンサンは、みんなにお願い。
「ごぼうチップスを探して。」
次から次へと店員に聞いて行くが、無い。ミッションの時間は刻々と過ぎていく。
あと10分、トンサンは必死の形相(ぎょうそう)をしていたのか、一人の店員が付きっきりで聞いて回ってくれた。
「あ、確かその辺にあったと思うよ」と別の店員が。
「あったー、やっと見つけた。なんて小さい袋だ。


ごぼうチップス たったの35gで210円もした。
その場でみんなと食べてみたが、なんだかなぁ・・・騒いで買うことのことも無い味だ。
まあ福島産だから復興支援になるからいいか。
みなさんありがとう。お疲れ様でした。



「みなさ~ん、良く聞いて・・・」

実はトンサン、ここまでのバスの中、源さんにいも焼酎(じょうちゅう)「黒」をごちそうになってふらふら。
バスには酔わなかったが、焼酎(しょうちゅう)「で酔った。
と言うわけで布施さんの注意は頭に入らず。
「説明員は若い美人か?」と聞いたら「お年寄りのおじいさんよ」と言われたのだけ覚えている。



「きみさらずタワー」 きさらづをもじったものらしい。
日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の銅像が向かい合って立っている。



博物館「金のすず」館内撮影は禁止なので、写真はここまで。

説明員はおじいさんではなく、若い娘さんだった。ラッキー (@^ω^@) 
説明の内容に反応したり、質問したりすると「浮きが引いた釣り師のように目を輝かして」説明してくれるのが楽しかった。

そうそう彼女、あとから「忘れた」と言ってタヌキのぬいぐるみを抱えてきた。
「きさポン」という木更津市のマスコットキャラクターとのこと。


市の花サツキは厚木市といっしょだ。(厚木市の木はモミジだが。)




「金のすず」を出てこの看板のところへ行った。わらぶき屋根の旧民家だ。




家の中は土間(どま)。





窓はあるが、今の家からするとずいぶん暗い。




今日は七夕(たなばた)なので、出口にあった竹飾りに、願いを書いた短冊をつるす。
今日の七夕は久しぶりにいい天気。織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)も久しぶりにデートしたかな。



景色が良く見える「木更津ビューホテル」でおいしい食事。
みんな景色なんか見ないで、食べるのに夢中。 (*^ω^*)ポリポリ
あ、源さんたちのテーブルはまたビールで乾杯しているよ。
いや、源さん以外の人は今日初めてのアルコールか。



「東京ドイツ村」到着。 暑い。





いつもお世話になる介助員(ガイドさん)  今日もお世話になっています。





あ、またビール飲んでいる。そうか、ここはドイツ村だもんね。 (^ω^)/□☆□\(^ω^)




トンサンはサントリーのプレミアムモルツにしたのだが、ドイツビールとの味の違いがほとんどわからず。
源さんソーセージごちそうさま。

ここでビールを飲みながらジャンケン手話。負けた人がグー・チョキ・パーで手話をする。
結構盛り上がったなぁ・・・ (*≧ω≦*)


その勢いに乗って下まで・・・


ジャンケン・ポン!!




「パー」  「チョキ、勝ったぞー」  「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」





ジャンケン・ポン!!  「グリコ」    いやぁ下まで行くのに日が暮れるなぁ。
それよりみんな、はずかしくないのかなぁ。いい歳して。
(*≧ω≦*)ひゃっはっはっ!!

と言うわけで、トンサンがビリ。 なかなか勝てなくて一人置いてきぼり・・・ (;ω;)



芝生しかないところに豊かさを感じますねぇ。




さあ、記念写真撮るよう・・・みんなこっち向いて。




で向山さんが近くの人に頼んで、全員撮影。1・2・3・・・・あれ、何人か足りない。

あ、解像度上げるの忘れてしまった。みんなプリントは向山さんのカメラに期待して。




次はこんなところへ。




源さん「おれが旗持ってるから、みんなしっかり掘るんだぞ。」




「あ、あった。」




「カバンがじゃまだなぁ。 置いてくりゃよかった。」




「ほらこんなにとれたわよ。」




「ここは大きいのばかりだ。」




農園のおじさん「とれたら袋に詰めてね。」

このあと、手を洗いながらトウモロコシ、ジャガイモ、スイカをたくさんごちそうになりました。
トンサンは今年初のスイカ。
団体で来るとサービスがいいねえ。




帰りも湾岸道路で。 遠くにキリン(背の高いクレーン)がいっぱい見える。

アクアラインが渋滞したが、7時前に帰着。今の季節はまだ明るい。
担当者の皆さん ありがとうございました。みなさんお疲れさま。


パナの新型テレビCM拒否・・・・よっしゃ、それならトンサンが宣伝してやる。

2013年07月07日 00時00分01秒 | 日記

7月6日(土) 晴れ

インターネットを同時に表示できるからと、各テレビ局がCM放送を拒否したそうだ。

民放各局、パナソニックの新型テレビCMを拒否 よく分からない業界ルール違反

なにを時代遅れなこと言っているんだ。
トンサンはテレビはネットの10分の1くらいしか見ていない。
テレビでネットを見て、ついでに面白そうな放送をやっていたら見ようってのが、これからの時代だ。
こんなことだから放送局はダメなんだ。

と言うことでここで宣伝してやるよ、パナソニックさん。



Panasonicスマートビエラ テレビを再び家族団らんの中心とするために 音声・カメラ・タッチペンでより使いやすく


初めてのスマートビエラ


そのうちアップルからもテレビが出てくると思うから、放送局よ、そんなことでは取り残されるぞ!!


ペットボトルキャップを買ってみた。

2013年07月06日 19時44分20秒 | ポタ&買物

7月6日(土) 晴れ  今日も蒸し暑い

今日も暑かった。からっとした暑さではなく、ムッとした蒸し暑さなのでこたえる。
夜7時半でも室温計は30℃。


サイクリング用のペットボトルホルダーを探している。
条件は
1. 片手で開け閉めできること。走りながらは飲まないが、信号待ちで止まった時に、片手でハンドルをつかみながら飲みたい。
2. 横にしてもこぼれないこと。


この2.の条件はなかなか厳しいらしい。今使っているものも、最近は漏れるようになった。
ダイソーでは見つからず、キャン・ドゥで買ってきた。


上 今まで使ってきたもの。飲み口広い。プッシュボタンで開けることができる。コルク密封式。欠点はコルクに口臭がつくこと。
左 「ストロー付き ボトルキャップ キュート」 105円。かわいいキャラクター付き。欠点は横にすると漏れること。片手で閉められないこと。
右 「ストローキャップ」 105円。横にしても漏れないが、開けるのが固い。片手では困難。
どちらも「スルガ株式会社」製。




と言うわけで、どちらも片手では無理なのでサイクリング向きではないが、まあ使うとしたら黄色い方か。
以前のようなタイプは見つからず。




ストローをつけるとボトルをひっくり返さなくても(顔より持ち上げなくても)飲める。


【手話】 手話歌を作る意味について。

2013年07月05日 17時04分02秒 | 手話

7月5日(金) 雨のち曇り

今日はとても蒸し暑い。
夏休みの手話サークルの自由参加日は、みんなで手話歌を作ろうとしている。

これまで「手話歌」というと誰かが作った手話歌の絵本を持ってきて、みんなでCDを鳴らして手話歌を習うものだった。
「この手話じゃ、歌の意味と合わないよ。」とか、「スピードについていけない。」と言った時は、みんなで話し合って手話を決めてきた。

でも歌いたい歌をまず決めて、自分たちで手話歌を作り上げる方が勉強になるのではないか。
歌詞をそのまま手話に置き換えても、歌の意味が伝わるかどうかわからないし、作ったとしてもどうやってそれをあとの人たちに伝達するのか記録手段も考えなければならない。
絵のうまい人がいるのか、たとえいたとしても絵で表現できるのか、動画をYouTubeにアップしても見ることのできない人が大勢いる・・・などなど。
作っていくうちに「手話歌は誰のために作るのか?」とか「いったい手話歌って何なんだ?」とかの疑問が出てくると思う。
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手話歌を作る意味について

7月2日の勉強会が始まる前、「報告」で来週の交流会の案内をしてもらうため、交流会担当のIさんに手話の練習をしてもらっていました。
するとSさんから「Iさんの手話は分かったが、なんで手話歌を作る方法を話し合うのかわからない。」という意見が。
Igさんからは「面倒なことしないで、できている手話歌を習えばいいんじゃないのか。」という意見も。

そこでトンサンは手話歌を作る意味を説明しました。
「自分たちで手話歌を作ることにより、ろう者にも楽しんでもらえる手話歌は、どうやったらできるのかを考えたい。」と。

交流会の年間行事を決める時、担当のKさんには理解してもらいました。
担当のTさんとIさんは、まだ分からないので従うという状態でした。


・手話歌を嫌うろう者もいる。
・手話歌はろう者に楽しめるのか?
・手話歌を歌う意味はどこにあるのか。
・手話歌は手話を習う健聴者のためのものではないのか?

「いったい手話歌って何なのか?」
このことをみんなで考えることを、自由参加日のテーマとしています。
決して「手話歌を作る」のが目的ではなく、ましてや「手話歌の練習をする」のが目的ではありません。
みんなで手話歌を作る作業を進める中で、「いったい手話歌って何なのか?」ということにつきあたると思います。


今回のテーマは、ちょっと重いかなとは思っています。
だから最初から「いったい手話歌って何なのか?」をテーマにしてしまうと参加しない人も多くなってしまいます。
なので、自分たちが手話歌にしたい歌を選び、みんなでワイワイガヤガヤと楽しく話し合いながら作っていく過程で、これらのことを考えていきたいと思っています。

 

トンサンはいまだに「手話歌には懐疑的(かいぎてき)」です。
みんなと一緒に手話歌を習っているときは、楽しそうに歌っていますが。 (*^ω^*)ポリポリ

でも、いままで手話歌の練習の時に、ろう者のSoさんやNaさんたちが楽しそうに練習しているのを見ると、「ろう者でも手話歌を楽しめる」のではないかと思っています。
(いやまてよ、SoさんやNaさんたちは健聴者のためにと思ってやってくれているだけなのかもしれない。)

また、以前あゆの会の会員だったろう者の音大生 調 樹里杏(しらべ じゅりあ)さんは「ろうの子どもたちに、音楽の楽しさを教えてやりたい。」と言っていました。
彼女は結婚し母親になっていますが、ピアノも習い続けていて、2010年NHK「ろうを生きる 難聴を生きる」でピアノを弾いたときは、びっくりするようなすばらしい演奏でした。

ろう者でも音楽を楽しみたいと思っている人がいる。
耳が聞こえなくても音楽を楽しむ方法はあるのではないか?
そう思いながら、みんなで手話歌を作っていきたい。


去年10月のブログ記事
【手話】 聞こえなくても音楽を楽しみたい。

ろう者のCloverさんのブログ
No Music, No Life. 音楽を愛する聴覚障害者たち

手話を取り入れたパフォーマンス集団のサイト
HANDSIGN

手話ライブバンド
こころおと

手話歌を作っているろう者
Nightfox's Work

障害者の歌詞に曲をつけて手話ソングとして歌っている
手話シンガー「美洙」のページ

ろうの手話パフォーマー
赤いスイートピー高木里華&おやじダンサーズ
すばらしい! プロだ。 高木里華さんのタップダンスを取り入れたペッパー警部も楽しい。


手話コーラス・手話ソングに反対というろう者の意見も見てください。

手話コーラスについて調べ、考えてみた
わかんさんは中途半端な手話歌などではなく、手話ライブや手話パフォーマ
ーを目指してほしいと言っています。

手話歌は手指日本語歌?
bunbun6610さんの言われていることは良くわかります。手話歌を好まないろう者はこのように感じているのだと思います。

手話歌について
ぢょやさんは健聴者ですが、手話歌の位置づけについてしっかりと認識されています。

翻訳ではない自分の手話歌を作る
俺のこだわり~手話歌~

こちらの皆さんの意見も参考になりますよ。
「発言小町」手話コーラス・手話ソングについてのご意見



若い人でないと、あれだけの体の動きをできないと思うので、手話ライブや手話パフォーマンスをあゆの会で行うのは無理だと思いますが、手話表現はろう者の意見を聞きながら、手話歌を考えていきたいと思います。

トンサンは手話歌をみんなで話し合いながら作っていくことに、意味があると思っています。


相模川右岸土手を海まで行ってみる。

2013年07月03日 09時18分16秒 | ポタ&買物

7月2日(火) 晴れ

たまにはメリダ(クロスバイク)で走ってみよう。
最近走りながら、ブログの記事にどう載せるか考えてしまう。
写真もブログの構成を考えながら撮っていたりして。
      
  (*^ω^*)ポリポリ

走行距離   30.91km


相模大堰(さがみおおぜき)
ここのことではないが、河口堰(かこうぜき)はウナギなどの稚魚(ちぎょ)が上れなくて、不漁の原因になっているといわれている。
それとは関係無しに、見るといつも「異様だな」と感じてしまう。
外観から与えるイメージは大きい。




橋げたの半分しか使っていない。半分は道を作るつもりだったのだろうか。




土手斜面の草取りをしていた。




こんな小さな車が斜面を登ったり降りたりして草を刈っている。
除草方法もいろいろあるものだ。



今日は青空がきれいだ。





土手から河川敷に降りてきた。
宮山駅横の相模縦貫道のジャンクションが見える。




こちらを見ると煙突?がふたつ。ひとつは環境事業センターのものだ。





銀河大橋が見えてきた。





写真に撮るとほとんどわからないが、ここでは凧が5つ6つ上がっていた。
丸印はそのうちのひとつ。





豚舎(とんしゃ)の跡地では何か建物を建設中。  今日も富士山は見えない。





銀河大橋の下のサイクリングロードがつながればなあといつも思う。
いつになったらできるのだろうか?
国土交通省のサイトでは今年(平成25年)完成となっているのだが。






「馬入ふれあい公園」も過ぎ、さらに河川敷を進むと・・・ここで行き止まり。





土手に上がって久しぶりに「須賀港」を回遊する道を走る。





海に近付けるのはここまで。


もうチョイ先まで行ったが、平塚新港の駐車場で入れなかった。
さあ帰ろう。お腹がすいたので「高久製パン」によってパンを買うか。



東海道線の踏切を越える。





渡った先は階段だ。重いメリダだが、階段わきの坂をブレーキをかけながら降りる。
向こうから上ってくるのは大変だ。





なんだか賑(にぎ)やかだなぁと思ったら「2020年オリンピック・パラリンピック・・・」の幕が・・・





賞味期限当日の半額値引きパンを買って、老松町公園で食べる。
男の子たちはサッカー、女の子たちは虫取りをしていた。
夏休みももうすぐだなぁ。


久しぶりに「女生徒」が読みたくなって・・・「小さな恋のものがたり」まで。

2013年07月02日 01時14分15秒 | 日記

7月1日(月) 晴れ

図書館に行ったら「女生徒一九三六」と言うチラシがあった。
「これって、あの太宰治の・・・」と手に取ってみると、そうだった。
このタイトルの映画のチラシだった。

「女生徒」・・・懐かしく、また読んでみたくなった。



チラシと図書館で借りてきた本。


「女生徒」は高校生のころ読んだと思う。
「女生徒」は太宰治が女生徒の語り口で、肯定したり否定したり、揺れ動く心を書き表した私小説(ししょうせつ)だとトンサンは思っている。
大人になろうとしている多感なころ、トンサンもピタッとその「女生徒」の気持ちになってしまった。
あまりにも自分の気持ちとぴったり。
特に次の描写は「あ、そうそう、そのとおり。」と。

おみおつけの温(あたた)まるまで、台所口に腰掛けて、前の雑木林を、ぼんやり見ていた。そしたら、昔にも、これから先にも、こうやって、台所の口に腰かけて、このとおりの姿勢でもって、しかもそっくり同じことを考えながら前の雑木林を見ていた、見ている、ような気がして、過去、現在、未来、それが一瞬間のうちに感じられるような、変な気持がした。こんな事は、時々ある。誰かと部屋に坐って話をしている。目が、テエブルのすみに行ってコトンと停(と)まって動かない。口だけが動いている。こんな時に、変な錯覚を起すのだ。いつだったか、こんな同じ状態で、同じ事を話しながら、やはり、テエブルのすみを見ていた、また、これからさきも、いまのことが、そっくりそのままに自分にやって来るのだ、と信じちゃう気持になるのだ。どんな遠くの田舎の野道を歩いていても、きっと、この道は、いつか来た道、と思う。歩きながら道傍(みちばた)の豆の葉を、さっと毟(むし)りとっても、やはり、この道のここのところで、この葉を毟りとったことがある、と思う。そうして、また、これからも、何度も何度も、この道を歩いて、ここのところで豆の葉を毟るのだ、と信じるのである。また、こんなこともある。あるときお湯につかっていて、ふと手を見た。そしたら、これからさき、何年かたって、お湯にはいったとき、この、いまの何げなく、手を見た事を、そして見ながら、コトンと感じたことをきっと思い出すに違いない、と思ってしまった。


太宰治が考えていることはトンサンとぴったり。太宰治は自殺した。
トンサンも自殺するんじゃないかと怖くなって、太宰治の小説は読まなくなってしまった。
でもこの「コトン」という情景を感じることは誰にでもあるのではないかと、今は思う。


「女生徒」は図書館で借りてきた「人間失格ではない太宰治」にも載っているのだが、「あれまてよ、うちにもあったはず」と探してみると・・・


昭和50年にまた読みたくなって買ったのだろう。トンサンが26歳の時だ。

「みつはしちかこ」のイラストのしおりが挟まっていた。
そういえばトンサンが大好きだった「小さな恋のものがたり」の叙情(じょじょう)まんがも1冊はとっておいたはず。


「みつはしちかこ」の本は2冊取ってあった。


「小さな恋のものがたり」の叙情まんがは、記憶に寄るとトンサンが文通していた女の子から第1集~第3集をプレゼントしてもらい、とても面白くて、第15集まで続けて買って読んだ。
今調べると第42集まで発行されているようだ。
今読んでも「胸キュン」になるなぁ・・・



ところで図書館には太宰治の本は11冊しかなかった。
「女生徒」はそのなかで「人間失格ではない太宰治」の中に収められていたので借りてきた。
爆笑問題の太田光が選んだ小説と言うことで、意外でもあり、やっぱりの感もあり。