今、「BC級戦犯の遺言」という本を読んでいるところです。A級戦犯が東条英機などの戦争指導者層だったのに対して、BC級は捕虜の虐殺を指示したり、実際に行った人たちが対象でした。
この本の中で、まず岡田資中将がとりあげられています。私が知らない人物だったのですが、戦争終盤に中部地方の方面軍司令官となり米軍の上陸に備えて準備に奔走していたとのことです。当時は米軍のB-29が都市を無差別爆撃していたわけで、日本側としてはB-29を撃墜したりして落下傘降下したりして捕虜となったB-29搭乗員を無差別爆撃の罪で処刑していたとのことです。
岡田中将もB-29の生き残った搭乗員を処刑した罪で捕らえられました。しかし、その罪を部下に転嫁することもなく、罪は司令官である自分自身のみにあるとしたことや、そして人物的にもとても素晴らしい人格者だったようで、裁判をした米軍も岡田中将は処刑されることとなったものの、その部下からは一人も処刑されなかったということです。
当時の軍閥といわれるような人物とは比べようもない方だったようです。処刑されてしまったのは残念ですが、部下から一人も処刑される人がいなかったということからも、米軍にもよほど強い印象を与えた人物だったと思います。このような将軍が多ければ、日本軍ももちっとまともな戦争ができたのではないかと感じたのでした。
この本の中で、まず岡田資中将がとりあげられています。私が知らない人物だったのですが、戦争終盤に中部地方の方面軍司令官となり米軍の上陸に備えて準備に奔走していたとのことです。当時は米軍のB-29が都市を無差別爆撃していたわけで、日本側としてはB-29を撃墜したりして落下傘降下したりして捕虜となったB-29搭乗員を無差別爆撃の罪で処刑していたとのことです。
岡田中将もB-29の生き残った搭乗員を処刑した罪で捕らえられました。しかし、その罪を部下に転嫁することもなく、罪は司令官である自分自身のみにあるとしたことや、そして人物的にもとても素晴らしい人格者だったようで、裁判をした米軍も岡田中将は処刑されることとなったものの、その部下からは一人も処刑されなかったということです。
当時の軍閥といわれるような人物とは比べようもない方だったようです。処刑されてしまったのは残念ですが、部下から一人も処刑される人がいなかったということからも、米軍にもよほど強い印象を与えた人物だったと思います。このような将軍が多ければ、日本軍ももちっとまともな戦争ができたのではないかと感じたのでした。