トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
ウォーシミュレイションゲーム
日ごろ思ったことを書いていきます。

「BC級戦犯の遺言」という本を読んでいます

2018-06-20 17:12:22 | 日記
 今、「BC級戦犯の遺言」という本を読んでいるところです。A級戦犯が東条英機などの戦争指導者層だったのに対して、BC級は捕虜の虐殺を指示したり、実際に行った人たちが対象でした。

 この本の中で、まず岡田資中将がとりあげられています。私が知らない人物だったのですが、戦争終盤に中部地方の方面軍司令官となり米軍の上陸に備えて準備に奔走していたとのことです。当時は米軍のB-29が都市を無差別爆撃していたわけで、日本側としてはB-29を撃墜したりして落下傘降下したりして捕虜となったB-29搭乗員を無差別爆撃の罪で処刑していたとのことです。

 岡田中将もB-29の生き残った搭乗員を処刑した罪で捕らえられました。しかし、その罪を部下に転嫁することもなく、罪は司令官である自分自身のみにあるとしたことや、そして人物的にもとても素晴らしい人格者だったようで、裁判をした米軍も岡田中将は処刑されることとなったものの、その部下からは一人も処刑されなかったということです。

 当時の軍閥といわれるような人物とは比べようもない方だったようです。処刑されてしまったのは残念ですが、部下から一人も処刑される人がいなかったということからも、米軍にもよほど強い印象を与えた人物だったと思います。このような将軍が多ければ、日本軍ももちっとまともな戦争ができたのではないかと感じたのでした。


新しく通い始めた精神科の病院への二回目の通院

2018-06-18 17:36:21 | 日記
 先週11日の月曜日に、これまで通っていた精神科のクリニックの先生に紹介状を書いてもらった病院で初めて診察を受け、アルコール依存症であることがはっきりしました。そこでその病院でアルコール依存症とうつ病の治療を行うことにしました。そして今日の午前中に二回目の診察がありました。

 以前、書いたかもしれませんがこれまで連日アルコールを摂取、11日の診察後にアルコールを飲まないのは結構きつかったのですが、翌日からはそれほどアルコールを摂取したいという欲求が強くなくて、この一週間禁酒することができました。ただ、睡眠は元々不眠だったりするのと、これまでアルコールの力で寝ていたので眠れなかったり、中途覚醒したりしています。ただ、これまでは目覚めた時どんよりとした気分でしたが、禁酒してからはすっきりとして起きられるようになりました。これらの点も今日、担当の先生にも報告しました。

 これまで通っていた精神科のクリニックはそのクリニックに転医したときの事情もあって家から結構遠くて、しかも交通費をけちるために原付で通っていたので非常に時間がかかりました。しかし、これからは家の近くなので病院にいくのはかなり楽になりました。ただ、これまでは個人のクリニックだったので調子が悪かったりして診察の日にちを変えてもらったりするのに融通が利きましたが、これからはちょっと大きめの病院なので予約日を守らなければならないというところがあります。

 しかし、禁酒してこの一週間でちゃんと朝起きて三食食事をしてという生活のリズムができつつあるので、これまでのように昼夜逆転したりすることもなくなりそうなので、かなり健康的な生活を送れそうな気がしています。

 思い切ってアルコール依存症専門の病院で診察を受けて良かったなと感じているところです。


今度は沈めらた潜水艦呂500を探すという

2018-06-17 21:39:51 | 日記
 ちょっと前に旧日本海軍の潜水艦が戦後、米軍によって沈められたのを調査して発見したニュースがありました。今度は若狭湾で呂500という潜水艦を探すとのことです。

 この呂500という潜水艦は、元々はドイツのuボートでドイツから日本に贈られた潜水艦です。ドイツとしてはこの潜水艦をもとにして日本が潜水艦を増産してインド洋での通商破壊をしてもらいたいという考えがって、ヒトラーから贈られたものです。ところが当時の日本の工業力では同様の潜水艦を製造するだけの力がありませんでした。そのため練習艦などとして使われていたようです。

 当時、日本はアジアの中では唯一潜水艦から戦艦、航空機、戦車を生産できる国でしたが、しかし残念ながら日本の工業力は米英独と比べると劣っていて、とても同じものをつくることはできなかったわけです。

 その一つの要因に精度の高い工作機械を自国で生産できなかったということがあります。性能の良い工作機械は輸入に頼っていました。性能の良い工作機械を輸入できない中、日本の兵器生産を支えたのは職人技でして、優秀な職人が一品ごとに組み上げると優秀な兵器はできたものの、ならしろ一品生産なわけで、他の兵器と部品の互換性がなかったなんて状態だったわけです。

 戦後、その反省のためか非常に高度な工作機械を生産して輸出できるようになりました。



ノモンハン戦記を読む

2018-06-16 14:10:15 | 日記
 ノモンハン戦記という本を読みました。ノモンハン事件は日ソの国境紛争ですが、日本陸軍の一個師団がほぼ壊滅状態になりました。しかし、ソ連軍もかなりの損害を出しているはずで、たぶん日本軍以上の損害を出しているはずです。しかし、日本軍が増援するまえにソ連軍は戦力を集中していたため、戦局はソ連軍の有利な状況で停戦することとなりました。

 著者は戦いの初期に瀕死の重傷を負って後送されますが、運よくという感じで生き延びることができました。そのご本人の経験と戦後に戦友会での情報などから本書を書かれたようです。

 ですからノモンハン事件で悪名を高めた辻参謀などの高級将校の動きや、航空部隊の戦いなどは触れられていません。ですから、ノモンハン事件全体を理解しようするいうよりは、著者の周辺と著者の所属した連隊や大隊の動きが中心となります。

 読んで感じるのは、兵力的に不利になりながらも一歩も引かない日本陸軍の下士官兵や下級将校の頑張りには頭が下がります。特に、ソ連軍は戦車を投入してきたわけですが、日本軍の戦車では対抗できずに歩兵を中心に肉弾戦で対抗するあたりは、日本軍でなければできないであろうと思います。

 そして著者が力説していたことは、日本軍は決して負けてはいなかったと主張していることです。客観的には敗北だと思うのですが、当事者からみると見方がちがうようです。


映画フューリーで唯一稼働するティーガーを見る

2018-06-14 09:45:03 | 日記
 CATVで放映されていて録画しておいたフューリーという映画を見ました。フューリー号はM4シャーマンでブラット・ピットを車長とする5人のクルーの戦いを描いた映画です。放映当時、世界で唯一稼働する本物のドイツのテイーガー戦車が登場することで話題となった映画です。

 ティーガーの88mm砲はアメリカのM4シャーマン戦車を完全にアウトレンジで撃破することができるので、連合国からはとても恐れられたようです。実際に戦う時には多数のM4シャーマンで取り囲んで一気に肉薄して、ティーガーの装甲が薄い部分である後部に回り込んで至近距離から砲撃するしか撃破することができなかったようです。

 映画の中ではM4シャーマン戦車4両でティーガー一両と対決しましたが、ブラット・ピット車長のシャーマンのみが生き残り、他の三両は撃破されましたが、うまくティーガーの後部に回り込みティーガーに徹甲弾を叩き込んで撃破していました。それにしても世界で現存する唯一の稼働するティーガーを登場させるとはなかなかのものですね。第二次世界大戦を舞台とした映画では色々な戦車が形だけをテイーガーに似せて登場させていましたが、足回りはなかなか似せることができないので、もどきだったのですが本物は違いますね。

 そして映画のハイライトは最後にフューリー号一両で武装親衛隊の一個大隊程度の歩兵との戦いがクライマックスなのですが、善戦むなしくブラット・ピットはじめ四人のクルーが戦死し一人だけが生き残るという厳しい戦いで、なかなか壮絶な戦いで最後まで目を離せない映画でした。久しぶりに見た戦争映画ですがなかなか良かったです。