Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

金鳳花の花群に埋もれる野の仏たち

2022-04-23 | Walk on

 

桜も散って、散歩の風景も葉桜から樹々萌える若葉の季節になりました。

郊外散歩の野辺の風景も、次々花咲かせる野辺の花々に心躍る。

メタリックゴールドの花群が一際鮮やかな金鳳花が、咲き始めたのが嬉しい。

これほど絵になる春先の野辺の花は、私の暮らす市街地近郊では、ちょっと思い付かない。

雪解けの北国の春や標高の高い山へ行けば、もちろん百花繚乱だけどね(笑)

今の私の行ける場所は、この視野障害による身体機能が及ぶ範囲内。

ところが散歩の帰りに立ち寄った八ツ塚のお地蔵様たちが、凄いことになっていた。

金鳳花の黄金色の花群に埋もれて、キラキラお地蔵様たち(笑)

不慮の死を遂げた幼い命たちに、

大姉の戒名のある姫様たちには、どっさり華やかな黄金色の花束を手向け、お祈りした。

「どうぞ姫様たち安らかに~」(合掌)

 

後日、郊外電車と徒歩で立ち寄った50番札所、繁多寺は、シロヤシオツツジが満開でした。

花遍路写真も、お遍路さんにお願いして撮影。

 

今日は雨の土曜日でした。

旬の春野菜が美味しいですね。

今朝も春野菜たっぷりのサラダが美味しくて「今日の糧をありがとうございます。」

仏壇の遺影に手を合わせ感謝の言葉を呟いていました。

毎朝日課の朝食前のストレッチを30分入念にして頂く、

旬の春野菜たっぷりの朝食は、本当に美味しいです(笑)

病気治癒と免疫力と自律神経を整え、健やかな心身を取り戻すため、旬の食材のバランスのいい食事療法を心掛けています。

一つづつ、自分の身体能力の及ぶ範囲内で、できることを片付ける。

それができることの悦びを感謝する毎日です(合掌)

 

さぁ明日は市議会議員選挙ですね。

元気で聡明そうな女性候補が多いのが救いです。

この国の、この街の、子供達の未来のために投票して来ます。

それが今を生きる私たち有権者である大人の責任であり、義務だと思っています。

 

国民主権を柱にした健全な民主主義社会を取り戻さないと、

中国の強権支配に自由と人権を奪われた香港市民と同じ運命を辿ってしまう。

この夏、自民党、公明党、維新、国民民主の改憲勢力が目指しているのは、

日本国憲法から基本三原則の国民主権、基本的人権、平和主義を削除した

人権無視の戦前の権威主義国家への復活です。

自民党改憲草案に、はっきり明記しています。

 

コロナ禍、ウクライナ侵攻という危機的状況を受けて、鮮明になってきたのは、

日本国民には、力の強いものに従う権威主義的指向や、長い物には巻かれろ的、事大主義指向が深く浸透しているという事実でした。

道理で、どんな不祥事が続いても、30年近くも政権交代しないという、およそ民主主義国家では考えられない思考停止状態が続いたわけです。

この夏の参院選挙で、変えられなければ、日本人には民主主義は無理だということなのでしょうか???

 

中国の強権支配に自由と人権を奪われた香港市民の切実な民主主義社会への渇望を思うと、絶望的な気分になってしまう。

ロシアの非道な侵略から、必死に抗うウクライナ国民の自ら血を流してまで守りたいものを、

日本人は、自ら放棄してしまおうとしている。

この国の大人たちの愚かさに、もう言葉もない。

何を訴えても、もう無駄なのかもしれない???

 

 

日本人の権威主義的思考は、今に始まったことでもない。

それは周知の事実です。

敗戦後の圧倒的な力の差を見せつけられたアメリカへの隷属(植民地支配の許容)を見れば、明らかです。

それを現実認識のリアリストだと思うことで、

辛うじて敗戦国の主権放棄の屈辱とトラウマから現実逃避しようとした。

 

この「見たくないもの、厭なものから目を逸らす」現実逃避も、権威主義や事大主義同様に、

失敗から学ばない」と云う生命の危機を目前にした災厄の度に繰り返されて来た日本人の民族的病(宿痾)ですね。。。

 

以下、内田樹の「月刊日本」ネトウヨとは正反対の自主独立を目指す右系の伝統保守、民族雑誌)への寄稿文が秀逸です。

『月刊日本』5月号は「ウクライナ後の世界」を特集した。そこにロングインタビューが載ったので、転載しておく。

 

安倍政権以来のネポティズム(縁故政治)が教えてくれたのは、国民が個人的努力の成果を税金として納めても、私権の制限を受け入れても、私財の一部を公共に供託しても、権力者とその取り巻きたちがそれを私物化するだけだということです。公共のための努力がことごとく権力者とその縁故者を肥えさせるだけと知ったら、誰が「国のために」汗をかく気になるでしょう。

―― それでも我々は日本の独立を目指すべきです。たとえ無駄な努力になるとしても、そのためにできることはありますか。

内田 それならば、真のリアリストになることです。ウクライナ戦争をうけて、自民党周辺では憲法改正や核共有の議論が勢いづいています。彼らは自分のことをリアリストと思っているんでしょうけど、それは違います。

そのつどの現実に最適化しようとするのはリアリズムではなく、ただの現実追随主義です。

ですから、ロシアが最初「力は正義だ」という強気な態度を示した時に彼らは一斉に「ロシアに倣って強大な武力を持つべきだ」と言い立て、ウクライナがはげしく抵抗すると「武力より愛国心がたいせつだ」と言い立てた。

現実が変わるごとにころころと態度を変える。それが彼らのリアリズムです。


 しかし、真のリアリストとは現実に適応することよりも、現実を作り変えることを重んじる人のことです。

そのためには「どういう現実が望ましいか」という理想をはっきり掲げなければならない。だから、まず「我々はどういう世界を目指すのか」という理想を問い直すべきです。


 その理想はすでに日本国憲法に書かれていると僕は思います。

「日本国憲法はGHQの作文だ」と批判されます。その通りです。しかし、戦後日本人はそれを承知の上で、憲法が掲げた理想をめざして国民的な努力をするという方向を選んだ。

憲法には日本の国益という以上の「上位価値」が書き込まれていると信じたからです。
 中国やロシアや北朝鮮のどこが「平和を愛する諸国民」なのかいう人がいますけれど、もともと憲法なんて、どこの国のものでも「空語」なんです。その空隙を国民的努力によって満たすべき空語なんです。

人権宣言もアメリカの独立宣言もその点ではどれも同じです。そこに書かれているのはその時点での現実ではありません。目指すべき「理想」です。

そこに書かれていることが非現実的であるというのは、目指す方向が間違っているということを意味するわけではありません。「宣言」について論じるべきはそれが現実的か非現実的かではなく、

万人がその恩沢に浴すことのできる「上位価値」を目指しているかどうか、それだけです。(3月30日 聞き手・構成 杉原悠人)

日本は帝国の属領から脱却できるか?

 


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2 コメント

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無駄なことでは無い・・・ (鬼城)
2022-04-24 08:46:18
祈り、考え方は人それぞれですが、生きる上で共通すること普遍だと思います。
祈ることも大切だと最近つくづく感じます。長いがかなうかなわないは別にして、少しでも良くなればと祈りを捧げています。
自然は我感ぜずの用にも見えますが、花を咲かせ散って連鎖機能を果たしている。
テレビを付けると気が滅入る。
雨の日曜、久しぶりに「ひまわり」を見よう。
返信する
後は祈る想い (ランスケ)
2022-04-24 09:50:25
「ひまわり」良いですね。
あの一面のひまわり畑は、ウクライナで撮影されたと聞いています。
ウクライナは、あの戦争(第二次世界大戦)でドイツに侵攻され、多くの人が強制収容所送りとなりました。
その96歳の強制収容所からの生き残り、歴史の生き証人が、
プーチン独裁ロシアの非道な侵略による無差別爆撃でなく亡くなっています。
この戦争は、多くの人類が繰り返してきた理不尽で非道な真実を私たちの目に浮かび上がらせてくれます。
それから目を逸らしてはいけないのです。
繰り返してきた歴史の失敗(愚行)から学ぶことで、人類は、よりよく生きるための叡智を身に着け築き上げて来たのですから。
それを、これからの未来を生きる子供達に教えてきたのが、
城さんたち教育者の仕事ですね。
日本の戦後民主主義教育は、
太平洋戦争で、多くの教え子を戦地に送らなければならなかった先生たちの悔恨と慚愧のの思いから出発しています。

まずは、あの歴史の失敗から目を背ける教科書検定、
歴史修正主義から始めないと。
近頃、裁判(司法が)で連続して歴史修正主義的主張が退けられ敗訴しているのは、
良い兆候だと思いたいです。

さぁ、後は、私たち今を生きる大人たちの良識と良心を信じたいだいです(合掌)
祈る想いです(合掌)
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