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長かった山旅の記述も、今日でやっとピリオドを打てそうです。
昨日は、旅の佳境へと少し展開を急ぐあまりに順序立てた記述を端折ってしまいました。
さて、どこまで戻りましょうか?
竜門小屋の雨の朝から始めましょうか。7/5、竜門避難小屋、山に轟く雷鳴の夜明けです。
昨日までの晴天と打って変わって、日の出前から軒を打つ雨音と断続的な雷の音。
少し雨音が間遠くなったようなので戸外に出たみた。
雨が上がり、夜明け前のインディゴブルーの薄明に、世界のすべてが滲んだような乳色の薄紗がかかっていた。
筋肉の凝りをほぐしながら大きく背伸びした。
いくつかの委縮した部位に負荷をかけながらストレッチを続けた。
パラパラと地を打つ音。
「えっ?」と振り返った視線の先に朝靄を透かして驟雨が走ってくる。
それはまるで生き物のような俊敏さで、あっと云う間に頬を打つ。
慌てて小屋に逃げ帰った。
すぐ後ろを追うように強い雨音が軒を叩き始めた。
それが、その日一日の文字通りパンツまで全身水を潜りぬけたように、びっしょり濡れそぼった一日の始まりだった。
携帯の電波が届かないから、ずっと天候の推移が判らない。
昨日、稜線上で一カ所だけ通話可能な場所があり、朝日鉱泉宿泊の予約を取った。
しかしインターネットへの通信機能が繋がらない。
やっぱりS0NYの山ラジオは必要かもしれない?
いつまで経っても止む気配もないので諦めて出発。
カメラもザックに封印した。
竜門小屋から朝日鉱泉までは、初日と同じくらい長い距離。
5:45、竜門小屋出発。
もういきなり強風である。横殴りの雨が容赦なく降り注ぎ、砂礫帯では強風のあまり身体が何度も浮き上がり賢明に踏ん張る。
主峰、大朝日岳を前にして西朝日岳の草原や最後の大きな山塊を越える山旅のフィナーレを楽しみにしていたが、
すべて真っ白なガスに閉ざされ、足元を見ながら黙々と歩き続けるしかない。
ガスに視界を閉ざされた雪渓を横切るのは不安だ。
辛うじて雪面に残る踏み後を頼りに足を進める。
雪渓の横断が縦走中、5,6カ所あったと思う。
見通しがきけば、もちろん問題ないが、視界10m以下だと厄介だった。
白い霧の向こうから、いきなり氷山のような雪の壁が目の前に出現したときなど、「これを越えるのか?」と肝を冷やした。
その後に、すぐ横に続く登山道を見い出したときは心底ホッとしたものだ(笑)
霧の中でも、いくつかの印象に残る風景があった。
雪解けの雪渓に沿って咲くショウジョウバカマは四国に咲くものより大振りで花色も濃かった。
シラネアオイも同様な環境に咲く。ハクサンチドリやバイカオウレンにシナノキンバイ。
池塘には水芭蕉も咲いていた。四国でも初夏に見られるマイヅルソウにツマトリソウが路傍にいっぱい。
咲き始めたコバイケイソウも含めて早春から夏にかけて咲く花々が、ここでは雪解けを待って一気に花開く。
このような季節を早回ししたような光景は、驚きを越えて感動的でさえあった。
それとハイマツ帯で山椒魚を見た。
ひとつはハコネサンショウウオ。もうひとつは黒っぽい体色の体長20cmくらいの比較的大きな個体。
雨が降ってきたので出現するのは判るが、ここは湿った森や渓流から遠い場所。
まだ山椒魚に興味を持ち始めて日が浅いので、その生態をよく把握していない。
それでも日本の山椒魚が、世界でも、とても貴重な生物であることは理解した。
日本に棲息する山椒魚は19種類。その内、キタサンショウウオを除いてすべて日本固有種だと云われる。
日本が世界における生物多様性のホットスポットと位置づけられる重要な要因の一つが、
この貴重な両生類、山椒魚の多様な分布と棲息にあるようだ。
豊かな森を象徴する生き物、山椒魚の生態には、これからも注目してゆきたい。
ほとんど写真を撮らないので大朝日岳到着は、思いの外、早かった。
西朝日岳では、稜線に上がってから初めて人と出会った。
4人くらいのパーティだった。
昨日も書いたように百名山、大朝日岳に近づくと見られる花が、ぐっと少なくなる。
あちこちに踏み跡があり、登山道周辺の裸地化と崩落が酷い。
百名山や世界遺産が、それぞれに本来は優れた存在であることは判る。
でもなぜ、そんなお墨付きのような評価(ブランド)ばかりに安心を見い出すのだろう?
人それぞれの価値観は、もっと異なるはずなのに他人の評価ばかりに流され、それに集約されることが哀しい。
9時過ぎ、大朝日岳着。
山頂で出会った名古屋からの百名山サミッターは前日までに鳥海、月山をゲットしたと元気だ。
登頂記念に例の山名看板前での証明写真を頼まれた。
ガスで真っ白な中、看板横でニコリ。
この人も百名山サミッターの例に洩れず「看板コレクター」だった。
「じゃぁ、お気をつけて」と目の前の下山路を辿った。
はは…これが昨日書いた平岩岳、御影森山経由のもっとも遠い下山路でした。
百名山サミッターを内心バカにしたのが祟ったかな(苦笑)
この下山路は、本当に長かった。
ガスで視界が閉ざされているので風景に変化が乏しく、
樹林帯に入ってからも、同じようなピークが続き、まだかまだかと目標である御影森山までの道のりは、本当長かったなぁ。
それでも御影森山到着が12時半過ぎだから、まだ時間的に余裕があった。
ここで軽く昼食を取って、そのすぐ後に昨日書いたようなヒメサユリの大群落と出会う。
ここで30分くらい、時間を費やしたと思う。
これから続くブナの森は幹回り3mを越える巨木が多く素晴らしい森だった。
ただし、纏わりつく雲霞のごとく執拗なブヨと、ひたすら急降下の痩せ尾根が延々と続く下りが無ければ。
あまりの急傾斜の連続に何度も滑り落ち、足の指先は圧迫と内出血で悲鳴を上げた(絶句)
朝日鉱泉を前にした吊り橋到着が17:00 だから、この間4時間近く要している。
最後は纏足された中国の少女になったような気分でした(涙)
吊り橋を二つ渡って、目の前に本日の宿、朝日鉱泉ナチュラリストの家。
以前から、この宿の環境問題への先進的な取り組み等の評判を聞いていた。
登山開始前日に泊まった朝日屋の常連客も、この宿のテラスから正面に大朝日岳が望まれ
「暮れゆく空を眺めながら飲む麦酒が美味いんだ」と酔眼を蕩けさせていた。
なるほど見上げるヨーロッパ・アルプスの山小屋風の建物は感じが好い。
玄関に通じる植え込みの小径を辿ってカランコロン、カウベルの鳴る扉を開ける。
「こんにちは」声をかけるとオーナーの西沢さんが迎えてくれる。
とりあえず濡れそぼった足回りとレインウェアを片付け、2階の部屋に案内してもらう。
「おっ、橅(ブナ)の間だ」
晴れていると窓を開けた目の前が大朝日岳だという眺めのいい部屋。
その夜の泊り客は私一人だった。
濡れた荷物を片付け一階のお風呂へ。
高い天井に太い梁、この宿のオーナーの拘りは随所に伺える。
鉄分が含まれているのだろうか少し赤茶けた温めの湯船に浸かり、山で過ごした三日間の疲れと凝りを解す。
風呂を上がると、すぐに夕食の声が。
再び階下に降りて、テラスに面した明るく広い食堂へ。
図書室にもなっていて沢山の自然科学関係の本や写真集も揃っている。
夕食後、この中から朝日周辺の森の生態調査と「朝日連峰の四季」と題された写真集を借りていった。
イワナのムニュエルと山菜をメインにした鍋物とか、ほとんど地元の自然素材を食材としている。
冷たい麦酒を飲みながら、美味しく全部頂いた。
西沢さんは、こちらから発する質問には答えてくれるが全体に静かな印象を受けた。
明日、左沢(アラサワ)へのタクシーを問い合わせると送ってくれるという。
さすがに朝日屋さんが送ってくれた近距離とは違って距離が長いのでタクシー料金の半額、¥6000ということだ。
なるほどシーズンオフでも、それなりに交通手段は確保できるものだ。
その夜は山旅の余韻を噛みしめるように朝日連峰の写真集や森のフィールド調査記録に見入った。
翌朝も例によって4時に目覚めたので、雨上がりの森を散歩した。
宿の上の駐車場から奥に通行禁止になった林道が川沿いに延びていた。
朝まだき、霧が流れるブナの森はいつまでも、そのまま歩いていたい誘惑にかられた。
今回掲載した画像のほとんどが、その朝日鉱泉周辺の早朝の森の風景です。
昨日、読んだ本によると、この周辺には、それぞれをテリトリーとするカモシカが棲息するようだ。
朝日鉱泉周辺には「山の神」と名付けられた個体が。
カモシカは比較的、それぞれの顔が特徴的なので識別が容易なようです。
朝日屋の若主人も「カモシカならたくさんいるので出会える可能性が高い」と云っていた。
朝の散歩で少しは期待したが空振りでした(笑)
7時ごろ朝食を頂いて、間もなく出発。
駅までの車中では、意外と西沢さんは饒舌だった。
どうも朝食時に宿帳に書いた「愛媛県」が彼の口を軽くしたようだ。
なんと西沢さんは、愛媛大学工学部卒業。
出身地は関西らしいが松山に5年間在住したという。
そして彼が自然保護運動に目覚めたのが、当時、石鎚山におけるスカイライン建設時の環境破壊。
この山岳道路建設における土砂が面河川を壊滅的に破壊していた。
保守王国の愛媛に当時、峰雲さんという先進的なナチュラリストがいた。
私も帰郷してから朝日新聞のローカル欄において峰雲さんの自然保護運動にまつわる連載記事を読んで、初めてその存在を知った。
その運動に大学在学時、ワンダーフォーゲルの友人に誘われて関わっていたのが西沢さんだったらしい。
「朝日鉱泉ナチュラリストの家」と名付けられた、その森の人としての原点が、
我が故郷のホームグランド石鎚にあったというのは、またしても縁(えにし)の不思議を感じぜざるを得ない。
20年来の憧れの山旅の幕引きに、こんな出会いがあったとはね(笑)
そして、この宿をベースとして無名時代を過ごした数々の伝説的な写真家の名前。
私の尊敬する森の写真家、石橋睦美。自然写真の先駆的存在、姉崎一馬(彼は友人で近くに住んでいるらしい)
なかなか話は尽きなかった。
最後に途中で案内してくれた最上川ビューポイント。
そして「寄ってみれば」と推薦してくれた仙北線途中下車の駅、山寺。天台宗立石寺。
どちらも芭蕉が奥の細道で残した名句の舞台。
生前、奥の細道を辿る旅を夢見た亡き父母の願いを偶然にも叶えることが出来た。
否、導かれたのかもしれない(笑)
これで旅は終わった。
被災地、福島を素通りしたことへの悔いは残る。
白河の関を過ぎると、いきなり車窓は叩きつける激しい雨粒に曇った。
映画なら、ここでエンディングのタイトルロールだ。
The End。
帰宅して「Into the Wild 」を観た。
アラスカの原野を目指す主人公の痛みは何だったのだろう?
私の東北への旅は、まだ終わりそうもない。
夏になると東北フリー切符も発売される。
さて次はロードサイド・ストーリーかな?
それとも、さらに奥深い森と山へと分け入る旅か?
目を見張る風景
臨場感溢れる山紀行、旅紀行・・!。
そして、出会いと不思議な縁
思わず物語りに引き込まれ感嘆。
この感動、旅の始まりからもう一度いただきます。
先日の日曜美術館「磯崎毅」観たよ。
確か以前にホッホさんが画集を貸してくれたよね。
あの時は、そんなに感心しなかったのに、今回TVを観てびっくり。
スペインの超リアリズム絵画は驚異だね。
あの静脈が白い肌から透けてみえるような質感。
鉛筆を重ねたというモノクロームの浮遊感も凄かった。
特に見下ろした、まったく陰影を欠いたフラットな光の下で、あの質感を出せるんだから唖然。
対象を見つめる透徹した眼は諏訪敦以上かもしれない。
もし恵理子像の依頼を礒江毅に持っていっていたら?
これも、なんだか恐ろしい肖像画が見えてくるよね。
彼も死に憑かれた人だった。
あの番組は、旅の記録を書くにあたって、とても刺激になりました。
私なりの、今回は丹念に風景の描写を重ねたドキュメントのつもり。
とても面白かったよ(笑)
開通後、面河本谷を通ってがっかりしたことが、つい昨日のようです。
大朝日連峰、天候には恵まれなかったようですが、目的を一つ乗り越えた感慨はいかほどのものか。福島は次回に・・・
ホッホさんも言われているように、この世はすべからく人間の結びつき。
それも必然で有り、偶然なのが面白い。
導いてくれる方は祖父母であったり、父母であったり、神や仏もいるかもしれません。
見たことのあるような景色「立石寺。
昔から山は畏怖を抱かせる存在だったんでしょうね。
これもお父さん、お母さんのお導きです。
そうすると鬼城さんたちは、スカイライン完成前の本来の石鎚周辺の自然の姿を知る貴重な存在。
改めて、ゆっくりお話しを伺いたいです(笑)
旅は、日常の単調な繰り返しを離れて、外界からの刺激に日々対応しなければなりません。
それは旅行会社のお任せのパックツアーでは決して味わえない。
すべて、その都度自分で処理しないと前に進めないのだから。
なるべく逃げ道としての安心の梯子を外しておくほど旅は面白い。
でも、これが難しいですよね。
アメリカの優れたノンフィクションの映画化である「Into the Wild 」は、そんな内容の魂に訴えかける映画でした。
画集は、お貸ししてません。
以前津守さんの陶芸展を観た後ジュンク堂で諏訪敦と礒江の画集どちらを買うか迷っている時、今回話題の真上からみた静物画が表紙カバーになっていました。
この時は諏訪敦の画集を買いました。
ランスケさんの二眼レフが、その時シャッターを切って記録が脳にインプットされたと思います。
礒江の画集は今年になってから購入しました。ランスケさんの感想を聞くのが楽しみなのでお貸しします。
私も真俯瞰から描いたこの静物画が礒江の最高傑作だと思います。
構図がどうだとかアングルがうんぬんとか、そういうつまらない絵画理論を超越したリアリズム絵画の金字塔だと思います。
礒江は1954年生まれで2007年53歳で亡くなっていますがもはや画家としてやり残した事は無いと思います。
ただ、以前の作品には人物画にしても静物画にしても意図的に永遠性を表現する為にギリシャの彫刻や古い家具の虫食い痕や的な表現をしているのは、私的には勿体無いと思います。
日曜美術館「礒江毅」にはアントニオ・ロペス・ガルシア(礒江が師と仰ぐ画家)が出演していました。
そのガルシアがフランシスコ・カレテロ(表現主義の風景画家)82歳の時の肖像画を描いていますが(カレテロは翌年死亡)その後26年をかけて描いた作品は時間の層が何重にも重なりカレテロは背景に溶け込み過去から未来に流れている普遍的な時間という概念の中に浮かび上がりそして闇の世界へ消えていきます。
この作品は長崎県立美術館が所蔵しています。
そして、ガルシアにはマリアという少女を描いた作品があります。じっと見ているとその瞳は作家本人の目なのではないのかと思えます。
その瞳の黒い瞳孔に吸い込まれ頭蓋骨の内側に入り込むと真っ暗な闇が存在します。この闇は死という闇と通低しているのです。
作家は生死の彼方にある永遠という存在を掴み表現できれば安息の地にたどり着くことができるのでしょうか?
A・ロペス・ガルシアを頂点とするスペイン・リアリズム絵画は、ホッホさんが深く心酔してきた潮流だから、その思いの丈が行間からほとばしっていますね。
最近、何度も引用しますが、アメリカのベストセラー「荒野へ」の映画化「Into the Wild 」に打ちのめされています。
原作は、あのエベレスト大量遭難死を描いた「空へ」のジョン・クラカワー。
あのドキュメントも素晴らしかった。
このアラスカの原野で餓死した青年の実話「荒野へ」も出版当時から気になって読みたかった本。
それをショーン・ペンが制作と監督したのが映画「Into the Wild 」
これも私の偏愛するロードムーヴィです。
裕福な家庭に育ち将来のキャリアを約束された優秀な学業成績で大学を卒業したばかりの青年が、突然失踪し行方不明となり2年後、アラスの原野で餓死死体となって発見されます。
この2年間の濃密な生と死の時間がピリピリとした緊張感を伴って胸に迫ってきます。
その死は、未熟な若者の無謀な犬死と社会から痛烈な誹謗と中傷も受けたようです。
でも著者クラカワーは自らも登山家である過去を振り返りながら青年の行動に深い共感を込めて渾身のドキュメントを綴りました。
映画化したショーン・ペンも同様に。
生と死は対極にあるものではなく、ひとつづりのうねりのようなものだと思う。
それを繰り返すことで世界は成り立っている。
人だけが、何時の間にか、この世界の成り立ちから外れてしまった。
それに青年は気づいてしまったのです。
だから彼は自ら獣を殺して糧とし、自分自身も植物の毒にあたって生と死の循環の中に還ってゆこうとする。
死にゆく青年の恍惚とした笑顔。
死を忌避し遠ざける現在の人の姿は、どこか歪で何時も欠落感や不安がつきまといそれを消し去ることができない。
この映画を「遅れてきたフラワームーブメントの残骸」とか、いまさらソローの「森の生活」やJ・ロンドンの自然回帰でもないだろう。
と揶揄するのは簡単だけど、昨年の震災を目の当りにして、いつまでも破綻したシステムに固執するのも考えものだ。
原発の問題は、技術的な欠陥やエネルギーの是非だけでは解決しない。
私たちの生き方自体へと目を向けて行かないとこの先、何も変わらないと思う。
もういい加減にね。