ぐんぐん気温が上がって春めく陽気。
洗濯を済ませてお布団を干したら、さぁ出掛けよう。
光が躍ると心も躍る。
寒さに震えた冬が明けて、暖かくて柔らかい陽射しが戻ってくると、
縮こまっていた心も身体も、のびのび健やかな気分になる。
昨夜来、ニュースに登場した小平奈緒と李相花のウィニングランの映像。
写真の持つ力を信じるなら、あの一枚こそ心震わせる写真の持つ伝達力。
何度見ても、胸に熱いものが込み上げてくる…
久しぶりに心から祝福したい暖かいニュースと画像でした。
すっかりいい気分になって郊外散歩。
15℃まで上がったらしいポカポカ陽気に、日溜まりの猫たちも今日は、まったり微睡みの午睡。
参道で出会ったTさんが猫の餌を持参していたので、
わさわさ近所の猫たちが路地から日溜まりに集まってくる。
おかげで、たっぷり光の中の猫たちを撮らせて頂いた(笑)
今日は美形のタマよりも太めのポンちゃんの方が写真映えが良い…
猫の名前は、個体識別のために勝手なネーミングです(失礼)
太陽が西に傾いて来たので浄瑠璃寺に移動。
西日射す光の参道を歩くお遍路さんの後ろ姿…
実は、掲載の画像は八坂寺で知り合ったお遍路さんと、次の浄瑠璃寺でも再会したので、
お願いして歩いて頂いた。
やっぱり私は厚かましい(汗)
参道の奥の慰霊碑で、そのお遍路さんのお話が聞けた。
もう一人は朱色の杖をついた先達さん。
四国遍路のプロというか、案内人的存在。
その先達さんも旅行会社の依頼でバスツアーの団体遍路さんを先導する。
今日は下見のようだった。
お遍路のプロだけに写真撮影にも快く応じてくれた。
鐘を叩きながら真言を唱えるところなんか、さすがに絵になる。
でも申し訳ないが、所作が堂に入っているだけに「祈り」の無垢さに欠けている。
何をどう撮っていいのか?手探りの撮影が続いている。
とにかく今は、多くの祈りの現場に立ち会いたい…
帰路は八ツ塚の素朴な野仏たちが西日に染まる姿を。
もうセリバオウレンは開花したのでしょうか?
何と皿ヶ嶺にも、この春告げ花が咲くそうです。
この花の山の植生の豊かは想像を超えています。
そうですね。
シンプルだけど白と黒の濃淡の間に無数の色の諧調があります。
書や山水の世界観を見れば分かるように、覗き見るとその深遠の奥ゆきに言葉を失ってしまいます。
どんなに写真が進化しても銀塩写真は無くならないと思うし、
モノクロームの暗室作業も残り続けると思います。
これは絵画や伝統工芸同様、手業の世界です。
光と影の諧調を写し撮る手業の世界ですね。
もっとも私の場合はデジタル処理のモノクローム紛いですが(笑)
同じ金でも羽生と違うのはなぜか???
それはliveを見逃したから・・・・
心臓に悪いと思いながらもそのドキドキ感がたまらない
ゴールの瞬間隣に座っている愛犬をむぎゅってしました(笑)
栄光の裏には今迄語られることのなかったドラマが沢山あることも魅力でした
25人目のジャンパー、西方
彼の存在が無かったらあの長野団体金メダルは幻となっていた
以前mailでぼやいたことありますよね?
時間とお金が有ればポジに戻りたいと・・・
酢酸臭い部室で現像処理した学生時代が懐かしく思い出されます
相変わらずの背景処理お見事です
整然とした行進をしていたのに突然、最後の日本選手団の旗手が外国人選手たちに担ぎ上げられ肩車されたのです。
それからは各国の選手が混然となって入り混じり、みんな笑顔のお祭り騒ぎです。
子供心に、あの映像は衝撃でした。
島国日本の少年にとって、あの異文化交流こそオリンピックなのだと刷り込まれたのです(笑)
いつ頃からか、内向きの「日本凄い」がワールドカップやオリンピックの応援パターンとなり始め、
競技への関心が薄れてしまいました。
それぞれの選手たちの身体能力には、もちろん目を見張るし敬意を抱きます。
それを愛国心に結びつけられると「違うだろう~」としか言いようがない。
特に今回の平昌オリンピックは、日本全体に張り付いた嫌韓感情の中での開催でしたからね。
そんな厭なムードの中で小平奈緒の取った行動は目を覚ましてくれました。
彼女の持つ人間としてのスケール感の大きさに言葉を失うほど圧倒されました。
あぁ、やっぱりオリンピックという世界競技の神髄は、これなんだと。
その一瞬を切り取った写真は、間違いなく人の心を揺さぶります。
そんな感動と較べるとトーンダウンしてしまいますが、
春めく光の中、写真はライティングだと再認識。
misaさん、如何に光を読んで、それを取り込むか?ですね。
光が躍ると、私も躍る(笑)
ランスケさんの写真は、その映し出されたものの中味まで切り取っている。
これはマネの出来ない領域だとつくづく感じます。
春の日差しに誘われ、里山、石手川の河川敷での鳥や動物、人間達・・・
雪解けの春山にも体調を整え、便りをお待ちしています。
気候が良くなると身体も心も活動的になります。
以前にも書きましたが、散歩のボーッとしている時間が脳の活動にとっては良いようです。
寒いと家に閉じ籠りがちですが、意識的に外に出て、色んなものに触れたいと思います。
間もなく啓蟄(3/ 6)です。
生き物たちも活動的になって来ます。
鬼城さんも帯状疱疹がなかなか完治しないようですが、意識的に散歩を継続してください。
周囲にいる活動的な写真仲間の皆さんの存在が良い刺激ですね(笑)
その法案の根拠となるデータがいくらデタラメでも、もう閣議決定されているので。といういつもの結論ありき。
これほど事実が意味をなさない、「嘘」が何の抵抗もなく免罪符を与えられたように氾濫する時代を知らない?
否、70数年前の戦時下の時代以来か…
益々、あの全体主義の時代へと時計の針が逆回りしているようだ。
以下、今朝の内田樹の「嘘の合理性」についてのツイートを。
内田樹 @levinassien
エンゲル係数についてのWikiでの「編集合戦」の毎日新聞記事を読んでいたら
締めのコメントが自分のでびっくり。
「事実が書き換えられると対話が成立せず、社会全体の知性が腐る。
ファクトチェックに労力がかかり必要な政策議論も始まらない。
道徳上の問題というより経済合理性を欠くと言うべきだ」
そういえばそんなコメントをしたような気もします。
少し言葉を足すと、ファクトに基づかないまま、ものごとの適否について議論しているせいで、
日本社会の生産性が劇的に悪化しています。
でも、嘘をつく人たちは主観的には経済合理性にかなった行動をしているつもりでいます。
彼らは「嘘をついて異論を封じればスピーディに『オレの正しい意見』が物質化する。
それによって国は栄え、国民は幸福になるのだから嘘も方便」と信じています。
自分の意見が「正しい」ことは先験的真理なので論証不要。
そのせいでどれほど社会の生産性が損なわれ、非効率になっているか気が付かない。
先日、あるところで「政治において必要なことは何でしょう?」と訊かれたので
「正直、じゃないですか」と答えたら、
周りにいた人たちがびっくりしてノートしていたので、よけいにびっくりしました。
ファクトに基づかないで政策の適否が判断できるわけないじゃないですか。