三寒四温
陽射しはあるが風の冷たい日だった。
いつもの川辺の翡翠観察ポイントにも今日は、姿が見られない。
日向の住人(猫たち)も、こう風が冷たいと戸外へ出てこない。
その上、週末の土曜日だというのに、お遍路さんの姿も疎ら…
里山散歩も素材に窮して、池畔の猫柳が水面の光に和毛(にこげ)を膨らませる姿を
辛抱強く追っていた…水面に漣(さざなみ)が立たないと光は躍らない。
だいぶん西に陽の傾いた時刻、浄瑠璃寺に立ち寄ると、
ちょうど参拝のお遍路さんと出会えた。
車で廻るお遍路さんであったが、お願いして写真を撮らせて頂いた。
この方からはお話が聞けなかった。
もし気分を害されたのであれば、私の応接に問題があったのだろう…
申し訳ない。
一心に祈る人の姿を写真に写し撮るという作業は、
遣り方を一歩間違えると、唯の不遜な行為となってしまう。
他者のデリケートな部分に触れようとする写真撮影への手探りの作業は、
如何に他者と関わってゆくかという、私なりの不器用なコミュニケーションの模索なのだ。
憎悪言語が溢れる不寛容な時代だからこそ、
あえて人が生きてゆく上で最もプリミティブな行為である祈りや癒しの現場に立ち会いたい…そう願う。
やっぱり、それは不遜な行為なのかな?
逡巡しながら帰路に就こうとしていると、参道の奥に光の路が出来ていた。
西陽の影が延びた一本道だ。
そこに丁度、光に縁取られた犬のシルエットが浮かび上がった。
一瞬、天啓が降りたようだった。
それに続いてリードを引いた飼い主の方の姿が。
その人の首に一眼レフカメラが、ぶら下がっているのを見て、
同じ写真愛好家と判断してお願いしてみた。
「光の中の犬の姿が、あまりに美しいので撮影させてください」と。
結局、私は厚かましいだけなのかも…(汗)
快く応じて頂いたTさん、ありがとうございました。
光と影のコントラストが美しいので、今回は敢えてモノクロームで。
猫の次は犬が続きました…
これは意図したことではなく、どちらも偶然の邂逅です。
前回のコメントで触れたように、写真は撮れる時と撮れない時があります。
撮れる時は、不思議と天啓のように降りてくるものです(笑)
でも今、これしか撮りたいと思う対象がありません。
未知の領域に足を踏み込んだ以上、しばらく試行錯誤が続きそうです。
鬼城さんも土曜日は近くに居たのですね。
あの界隈は遠く古墳時代まで遡って人の暮らしのあった場所です。
また古代の埋葬地が群集するように祈りの聖地であったと思われます。
偶然ではありますが、人の営みの原風景を辿るロケーションとしては最適な場所だったようです。
四国遍路と古代の祈りの聖地…
これは益々、深入りしそうな素材ですね(笑)
写コン時代よくタイトル考えてと頼まれました
私にしたら何で?です
だって何かを感じたから、降りてきたからshutter切ったのではないのかと思うのです
正にその何かがタイトルなのだと答えると帰ってくる言葉は「はあ?」でした
ネコに続きこんかいのわんちゃんもお見事です
mailでもお話ししたようにコミュニケーションは確かに難しい
言葉は多すぎても少なすぎてもいけません
伝えるのは言葉ではなく心だから・・・
misaさんがEメールに書いていた小平奈緒の李相花との友情のウィニングランは本当に素敵ですね。
これこそ平和の祭典、オリンピックですよね。
http://number.bunshun.jp/articles/-/829944
平昌オリンピックは開催前から憎悪と中傷の言葉が飛び交って、もう全く興味を失っていました。
人並み外れた身体能力の持ち主であるアスリートの皆さんも本当にお気の毒です。
メダルを取れなかったら、帰国後パッシングに晒されるという理不尽な話も聞いています。
もういい加減に選手に勝手な思い込みや日の丸背負わせるのは辞めにしましょう。
観ていて本当に気持ち悪い。
そんな中で、真っ直ぐな小平奈緒のスポーツマンシップは素敵でした。
彼女は人としても尊敬できますよね。
これこそ不寛容な時代に天啓のように下りて来た「寛容の人」の心温まるお話です。
異文化コミュニケーションのお手本ですね(笑)