3月11日の、その日。
私なりに出来ることをやりたかった。
偽善的であるとか恥ずかしいとかの余計な感情は、とりあえず無視した。
雪割一華(ユキワリイチゲ)の白い花が、もう咲いているはず。
この春を告げる清楚な野の花を、
淡く優しい光の中で撮りたかった。
光の中に咲く健気な野の花の姿が、私なりの追悼と希望のメッセージ。
皿ヶ嶺の麓に咲くこの花は、午後遅くならないと花を開かない。
そして、ちょうどその時、弔意を告げるサイレンが鳴った。
14:46 北東の方角に向かって一分間の黙祷。
手を合わせ首を垂れた。
皿ヶ嶺まで重信川沿いに新しくできたサイクリングロードをかっ飛び。
真っ白な石鎚を正面に走る川沿いの道は、気持ちいい。
2月の交通事故以来、どうも気持ちが山へと向かいません。
厳しい雪山の写真より山野草の写真の方がいいと仰る方には好都合かも?
しばらくは里の春を追ってみようかと思っています。
あっ、その前に桜でした。
今日、撮った桜の写真は、今までの私の写真とは違和感を感じるかもしれません?
一気に満開の花咲かせた桜の風景を半日追ってみました。
世界でも突出したレベルで高齢化が進行しています。
そして間もなく平均年齢50歳という老人大国が出現しようとしています。
東北学の赤坂憲雄氏が指摘するように、超高齢化と人口減少の止まらない東北に、
(震災以前からあり、なおかつ震災後、より顕著になり加速した)
日本の未来の姿があるのでしょうね。
私は、日本の国土に見合う人口は5000万くらいが丁度いいと考えています。
身の丈に合った経済と自給できる食料生産そして、それに見合うエネルギーの自給。
老人大国に相応しいシンプルで慎ましい暮らしを、みんなが頭の中に描ければ、
もっと幸せな未来を見通すことが出来るように思えるのですが?
永久に経済成長し続けなければ機能しない社会というのは、どう考えても歪だと思いませんか?
技術もさることながら、それが感性でしょうか?
また、いろんなことにぶつかっても新しい経験を積み、枝葉を広げるようにする人生も・・・
自然を捉えるワイドとその反対のマクロに新しい日本を見たいですね。山の写真期待しています。そのかわり無理はしないでください。
と云うか、マクロレンズを使うのも久しぶりです。
雪山では、ほとんど広角系のレンズばかりでしたから。
好い具合に木の間越しに柔らかい光が射していました。
私の花写真は、白飛びギリギリのハイキーばかり。
もう普通に花を撮っても、面白くなくなりました。
さぁ、そろそろ来週辺りから山を再開しようか?
と思案しています。
でも、自転車の面白さにも目覚めてしまったし(汗)
同じシロイチゲでも全く別物・・これが感性でしょうね
3年たっても変わらないことが多すぎる
人間は愚かな過ちを犯したのに・・・・・