いつもの散歩の風景が、光のマジックで豹変した。
終日晴天の予報が、重い鈍色の雲が陽射しを遮る木枯らしの午後だった。
12月、もう今年も後一カ月…なんとなく気持ちが急いて来る。
銀杏やメタセコイア等の市街地最後の彩を散歩の道すがら追っていた。
遠くに光の中に浮き上がる樹を認めるのだが、
そこに辿り着くと陽射しが翳り、天気予報にない雨さえ降ってくる。
どうも運に見放されたようで、何をやっても空回りしてしまう。
そんな時は、大人しく待つしかない。
余計なものに手を出すと、大概、ろくな結果にならない。
今日も同じパターンだった。
遠目に光の中に浮かんでいた樹が、辿り着くと陽射しが翳る。
ピューピュー木枯らしが吹いて寒い。
移動しようか思案したが、しばらく留まることにした。
何か予感のようなものだ。
北西方面から流れて来る途切れない雲の塊のパターンを見ていると、
何かが訪れそうな天気読みの勘が働いたようだ。
しばらく待つと、やっぱり来た。
みるみる光の中で周囲の風景が様変わりし始めていた。
ありふれた日常の風景が光のマジックで非日常の相貌を見せ始める。
御近所の溜池がウユニ塩湖に様変わり(笑)
こんなことがあるから散歩写真は、面白い。
散歩写真の醍醐味をそのまま映しだしている。
空の焼け具合、晩秋の景色が・・・
最近、友人が現像と言っていたのを思い出しました。
現像とは生データを落ち着かせることなんですね。
フィルムからデジタルへ・・・
まだまだ勉強は続きます。(汗)
また同じ場所でも少し移動することやアングル(見る角度)を変えることでも。
こういう事をひとつひとつ現場で体験してゆくことが経験知となって写真の面白さを深めてゆくと思います。
これは写真に限らず学ぶこと全般に言えますよね。
教育の専門家である鬼城さんに言うのも釈迦に説法ですが(笑)
鬼城さんのブログを拝見していると、
南予の紅葉も今が盛りの様子。
色が赤くなるカエデ類の彩が深まらないのは10月の長雨による日照不足が原因らしいです。
紅葉のメカニズムを気象予報士が解説していました。
平地の紅葉が進行する10月の長雨による日照不足で糖分が分解されず
赤くなる色素であるアントシアニンが溜まらないと紅葉は深まらずオレンジ色止まりらしい。
デジタル写真の面白さは、自分で現像できる面白さでもあります。
フィルムではラボ任せでしたからね。
白黒写真における暗室作業だと考えてもいいと思います。
現場7現像3くらいの割合でしょうか?
自然写真は圧倒的に現場で何を発見するか?ですね。
静かなブーム「讃岐のウユニ湖」予定しており苦笑いです
それこそ気象条件が合わないと没なので天気図とにらめっこです
週明けは待望の寒波到来、今度こそ三度目の正直となりますかどうか
ただただ青空を仰ぎながら雪原を歩きたい・・・
それだけなのです
ある方に違った理由でどうでもいいような画像を送ったら「あなたにもこんな写真を撮影していた時が有るとわかり安心した」と切り返されました
写真に対する考え方の相違なのでしょうが誰しも最初からずば抜けて出来る筈はないのです
試行錯誤を繰り返し場数を踏むことによって習得していくものだと思うのですが
何か完全に打ちのめされたような何とも後味の悪い喉に小骨が刺さった様な感覚です
山ヤでも写真ヤでもない
ただのオバサンなんですけどね
ウユニ塩湖、まさに現代を象徴する楽園の風景ですよね。
有名になってから観光客が押し寄せて大変らしいです。
鏡を置いたように綺麗なシンメトリーの風景は、なかなか条件が揃わないと出現しません。
でも、誰も顧みないような御近所の溜池だって、こういう風景に出会う可能性があります。
そういう奇跡のような美しい瞬間は、無数に存在するのです。
唯、それを私たちは見逃しているだけです。
私が有名撮影地へ行って、みんなと同じ写真を撮ることが嫌いなのも、
この発見する悦びを知ったからです。
鬼城さんのコメントに返信した末尾の言葉を繰り返します。
自然写真の面白さは、現場で何を発見するか?です。
misaさんは良いセンスを持っているのですから、
御自分のセンスを信じて、誰かの真似でない自分の写真を撮ってください。
個性的な写真はSNSでは受けないかもしれせんが(笑)