吹雪の一夜と猛烈な西風の吹き荒れる朝から夕べを過ごした。
暗闇のなかに目覚めると、時計は午後10時を廻っていた。
冬期避難小屋の重いスチールドアを開ける。
スコンと空が抜けていた。
群青色の空に星が瞬き、西に傾いた月が皓々と世界を照らしていた。
西に連なる山並みを遥かに越えて、大きな雲の塊がうねり、
その山のような波濤を月明かりに青白く照らしながら崩れ落ちてゆく。
幾つもいくつも嵐の海のように雲の波濤が崩れ、また大きなうねりとなって押し寄せてくる。
薄紗のような雲が大きく弧を描いて頭上を越えていった。
世界は、また乳白色の闇に閉ざされる。
すーっと潮が引くように白いベールが、みるみる後退してゆく。
その先に真っ白な天狗岳の切っ先が、凍てる寒月の銀光を浴びて、すっくと立ち上がってきた。
三脚を天狗岳に正対する岩場に据え、銀色に輝く三角錐の嶺を真っ正面から捉える。
レリーズのシャッターボタンを押すと、背中をドーンという衝撃が襲った。
ビリビリビリ空気を切り裂く波動が走る。
三脚の足を支えながら岩場に両足を踏ん張り、必死に衝撃に耐えた。
数十秒後、獰猛な烈風は去り、
サイレントナイト。山上の銀世界は、しーんと聖夜の月明かりに満たされる。
そしてまた、次の雲の波濤が空気を引き裂く衝撃と共に襲ってくる。
ドーン、ビリビリビリー。
二泊三日。石鎚山上で過ごした三日間。
到着の夕暮れの晴れ間と聖夜の月明かりの夜以外は、
ずっと冬型の季節風の吹き荒れる真っ白な大気の壁に閉ざされていた。
吹き荒れる獰猛な風音を聴きながら、足先から指先からシンシン凍える寒さに耐える時間は辛い。
手を外気に晒していると指先の感覚がなくなるので、本を読むページがめくれない。
過酷な身体感覚が、本に浸るという集中力を削ぐ。
だから冬期避難小屋で過ごす時間は、途轍もなく緩慢に流れてゆく。
晴れていれば一面の銀世界を渉猟するが、真っ白に閉塞された状況では、それも叶わない。
でも、これを乗り越えないと雪山の劇的な風景とは出会えない。
う~ん、なんだか幽閉された囚人のみる夢のようだ。
さて今回出会えた風景は、西に傾いた夕陽と西に傾いた落月のため、
主峰天狗岳を照らす光は南面に限られる。
全く同じ構図。天狗岳に正対する図柄ばかり。
う~ん、いつも良い写真が撮れると思い上がるなよ、っていうお山の神様からの警句かな?
ひたすら自堕落に(笑)
憂鬱なことの多い年の瀬でしたが、
内田樹のブログ、最新記事の内容に救われる思いです。
http://blog.tatsuru.com/
平川克美の「移行的混乱」と共に読んでみてください。
http://www.radiodays.jp/blog/hirakawa/
新しい年を迎えるに当たって、少し希望が持てる良いお話です。
電力会社の当事者でありながら勇気ある発言(私のブログへにコメントを含み)に敬意を表します。
(掲示板への書き込みはご迷惑になりそうなので遠慮しました)
あなたの意見が、山を愛する声ににならない大多数の皆さんの内に秘めたる想いを代弁していると思っています。
確かに今回の選挙では、あまりにも選択肢がなかった。
それが戦後最低の投票率に反映されたのだと思います。
そして圧勝した自民党の比例支持率は30%しかなかったですよね。
マーシーさん(私はこのHN好きです。マービン・ゲイの名曲を思い浮かべます)の御意見が、この選挙の趨勢だと思います。
でも皆さん、決定的な勘違いをしている。
あの福島の事故において日本有数の巨大企業である東京電力は破綻しているのです。
国の援助がなければ、この巨大企業の存続は在り得ません。
こんなエネルギーの選択は、他の発電方法では考えられません。
経済の原理として、どう説明されるのでしょうか?
もう一つ大事なことは、広島、長崎、福島と三度も被曝した地球上唯一の当事者は、私たちだと云うことです。
他人事では、ありません。
年末年始にかけて、なぜドイツに出来て日本には脱原発と云う選択肢が出来なかったのかという書籍を読んでいます。
それはフランスから電気を補充出来るなどという単純なレトリックではありません。
皆さんにも、もう一度真摯に考えてほしい。
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/ishiduchi/
冬から春への再放送は12/2にあったので当分なさそうです。
先日放送された夏から秋へは、年明け1/1 に再放送されるようです。
石鎚の地元で暮らす顔見知りの人たちから聞いた話では、あの石鎚集落で暮らす老夫婦への生活必需品は、
郵便配達や宅急便の人たちが往復一時間くらいかけて定期的に運んでいるそうです。
放送内容とは少し違った現実を垣間見た思いです。
自分の人生の如く、適当・・・(爆)
ランスケさんの石鎚への思い入れの写真を見返しながら、写真は切り取りなのだと改めて思いました。
NHKのカメラマンは時間の流れと物語の構成ですよね。視点が明らかに違う。
見方など、今後の楽しみにします。
NHKさん、-冬から春へ- も是非に・・・
池に架かる藤棚と水面の映り込みが絶妙です。
すっかり写真撮影のコツを習得された様子。
宇和島風物詩スケッチは、もう鬼城さんの独壇場です(笑)
それと常連の皆さんとの遣り取りで、より深く地誌学的な奥行を感じさせてくれます。
ちょっと門外漢の私などがコメントすると、せっかくの場の雰囲気を壊しそうなので、ごめんなさい。
今回の石鎚は、ごく限られたチャンスしかなかったので、風呂屋の富士山のような、ど~んと真正面の石鎚写真ばかりです(笑)
でも私は、この構図が一番美しい、黄金比のような石鎚(天狗岳)の姿だと確信しています。
色んな角度から狙ってみましたが、やっぱり正攻法が一番安定します。
四国8で紹介された三浦さんの写真は、写真集に収録されていたものですね。
鬼城さんのお気遣いに感謝します。
それから、あの墓場尾根の写真は、三浦さんには申し訳ないけど平凡です。
私やKさんは、もっと劇的な風景を求めています。
あっ、また生意気なことを言っていると顰蹙を買いそうですね(苦笑)
先々週だったか「四国8」で夏から秋の石鎚が在りましたね。三浦聖さんの写真も収録されていました。お入り用なら送ります。
金澤さんが仰る通り、ネパールからの展望とは全く異なる大陸的な広漠とした風景に強く惹かれます。
チベットという場所は、私にとって北極圏の風景と共に憧れの風景です。
それと11月の瓶ヶ森の写真を見ると、同じ日(夕暮れ)に私も居ましたね(笑)
これで二度目です。
また会いそうな予感。
私にもそのようなチャンスがあれば良いのですが!
金澤さんは、私と同じ日に石鎚へ入り二の鎖下にテン泊した山ヤさんです。
朝夕、山頂へ登ってこられ、長い待ち時間を一緒に過ごし、色んなお話をしました。
ウェブアルバムを拝見すると、さすがに長いキャリアだけに良い写真を撮られていますね。
朝日連峰縦走やチベット密教の聖地カイラス巡礼の興味深いお話が甦ります。
下山して夕映えに染まる石鎚や翌朝の真っ白な石鎚の山並みを望み、もう一日滞在を延ばした金澤さんに
「あぁ金澤さん、やったなぁ」と地団駄踏んでいました(笑)
金澤さんにとって残り一カ月余の四国滞在ですが、もう一度くらい石鎚か瓶ヶ森で会いそうな気がします。
楽しみにしていますよ。
さっそく投稿されたのですね。私はもう1日粘りましたが、夕刻は一瞬天狗岳が頭を出すことを繰り返していました。絵にするには今ひとつでした。夜中は月光で写真がとれました。翌朝は雲一つない条件でしたが朝焼は物足りないものでした。初日の夕刻が最高の条件でしたが遅れてしまい残念至極です。私のweb albumは次のとおりです。気がむけば見て下さい。また山であいたいですね。
http://picasaweb.google.co.jp/akio.kanezawa