二の森から夕映えの石鎚と秋景色を撮りたかった。
例によって、登山口の梅ヶ市に到着したのは正午前だった。
う~ん、どうしたものか朝早く起きれない。
自然写真を20年以上も継続的に撮り続けている人間の行動パターンとは、とても信じられない不健康さ(笑)
「まぁ、どうせ今日は夕景狙いだから」と言い繕ってみる。
生活習慣には些か問題ありだが、身体は至って健やか?
薄暗い植林帯と照葉樹の尾根道をノンストップで黙々と登り続ける。
ブナの樹林帯へ抜けたのが登山口から一時間。
堂ヶ森には、それから更に一時間で登りつめた。
笹原をガスがびゅんびゅん吹き抜けてゆく。
ガスの切れ間から赤や黄色に色づいた樹々の彩が目を惹く。
それにしても、この山域は静かだ。
連休最後の日、ほんの目と鼻の先の数珠繋ぎの混雑を思うと信じられないくらい。
今日、この山で出会った人は10人足らず。
堂ヶ森避難小屋に荷物を下し、遅めの昼食を。
日が暮れると急激に寒くなるのでダウンやフリースをザックに詰めて小屋を出発。
それにしても全天を覆う雲が多い。
なんとも厭な雲ゆき。
案の定、二の森に到着する頃には、ガスの覆われ真っ白。
5時過ぎまで待ってみたが回復の兆しもない。
諦めて小屋へ還る。
白い背景から浮かび上がる紅葉は「おっ」と目を惹く鮮やかさ。
クラセの頭経由で笹原を下る。
雲間から血のように赤い夕陽が堂ヶ森の上に落ちてゆく。
「えっ、何で?」なんて間の悪いこと。
日没の時間になって視界が開けるなんて。
堂ヶ森避難小屋に泊まるのは、これで二度目だが、前回は数人の宿泊者と一緒だった。
初めて一人での小屋泊まり。
(もちろん堂ヶ森小屋に限った話です)
なんだか意外と一人で過ごすには広くて、部屋の隅っこに机を寄せて板壁にもたれて落ち着く。
いつも本に埋もれた狭い部屋で寝起きしているので。
断捨離なんて、とんでもない。何もない空間は居心地が悪い(苦笑)
本来の居住空間とは嗜好品に囲まれた混沌とした場所だと思っています。
あんなインテリアカタログみたいな無機的な空間が落ち着けるなんて、とても信じられない。
また話があらぬ方へ。
夜の長い時間、いつものように文庫を2冊持参しておいたのだが、
入口の片隅に文庫が三冊。
堂ヶ森避難小屋文庫と表紙に書かれた本は、藤沢周平の短編集だった。
「あぁ、これは好いチョイスだ」
秋の夜長、久しぶりに藤沢周平の世界に浸った。
難を云えば少し話が暗いので、もう少し明るい内容が好いかな?
「あっ?文句云ってないで、私が持参すれば良いのか。藤沢周平文庫をもっと増やしましょう。如何でしょう愛大山岳会の皆さん?」
(ただし読み切れることを考えて短編集がベストです)
それから小屋の壁に貼られた写真は懐かしい。
数年前に厳冬期の堂ヶ森山域をベースに活躍したAnちゃんの写真でした。
最近は、すっかり鳥ヤさんとして活躍されているようですね。
翌朝、寝坊してしまった。
日の出までに二の森に到着できず、五代の別れで朝日が昇る。
笹原は夜露を含みびっしょり。途中で雨具を纏うなどして余計に遅れた。
でも結果的に御覧になれば分かるとおり、二の森からの朝の風景は面白みに欠ける。
やっぱり、ここは夕陽に稜線が映える時間帯でないと。
また出直しだ。
すっかり陽も高く昇った時刻に小屋に還り、濡れた靴や靴下にズボンそれに寝袋も軒先に吊るして干した。
のんびり小屋の前の床几に寝転がり、刻々と光と影と雲の流れに移り変わる風景に見惚れていた。
「あぁ、これは天国の風景だ」思わずそんな想いが吐息と共に洩れた。
Eric Claptonの「Tears in Heaven 」のメロデイが、長閑に頭のなかで流れていた。
また、この風景に会いに来るよ。
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