
内田樹の「街場の戦争論」が売れているらしい。
百田尚樹の「殉愛」と並んでランクインしているのが、なんだか痛快だ(笑)
ホロコーストの哲学者、レヴィナスの研究者というより、
私には武道家、内田樹の身体論からのアプローチの方が馴染みやすい。
武道とは、危機的状況に陥った時に、いかに生きのびるかを体得する身体運動である。
守りの武術、合気道指南、内田樹の戦争論を選挙前に読んでおきたかった。
口述筆記から起こした本らしいので、とても読みやすい。
ざっと一読して印象に残ったのは、
どんなに独善的で民主主義を足蹴にした政治手法を取っても、相変わらず安倍内閣が高い支持率を保っている。
という信じ難い現象に対する内田樹からの回答。
安倍晋三の目指しているのは、「日本のシンガポール化、国民国家の株式会社化」。
シンガポールという国は、御存知のように経済発展に特化した独裁国家だ。
治安法の下、メディアも国民も思想統制され反体制言論は完全に封殺されている。
治安が良くて税金が安いので世界中から租税回避と消費活動にしか興味ない富裕層が集まってくる。
金儲けに特化した国なので、この国の選択肢は、「独裁制か、民主制か」ではなく「民主制か、金か」になる。
経済活動を円滑に運ぶには民主制より独裁制の方がより効率的だから。
「世界一企業活動のしやすい国を目指す」と公言する安倍晋三の理想とする国家形態であることも肯ける。
国民国家の指針である民主制や立憲主義は、意思決定を遅らせるためのシステムです。
政策決定を個人が下す場合と合議で決めるのでは所要時間が違います。
憲法は元々、行政府の独走を阻害するための装置です。
民主制も立憲主義も「ものごとを決めるのに時間をかけるための政治システム」です。
だから、効率を目指す人々にとっては、どうしてこんな無駄なものが存在するのか理解できない。
メデイアも理解できなかった。
そして「決める政治」とか「ねじれの解消」」とか「民間ではありえない」とか「待ったなしだ」
とかいう言葉を景気よく流した。
そうこうしている内に、日本人たちは「民主制や立憲主義はよくないものだ」という刷り込みを果たした。
現在、国民の大多数が株式会社という金儲けと効率化を最優先したシステムの中で生きる日本では、
自分たちの政治的自由を制約し、自分たちを戦争に巻き込むリスクが高まる政策を合理的だと支持する。
「民主制や立憲主義を守っていると経済成長できないから、そんなもの要らない」
そう国民の大多数が思っている。
それが安倍内閣の高い支持率の正体ではないかと内田樹は推測する。
国民国家の株式会社化そしてシンガポール化。
これをトレンドと捉える日本の行く末はどうなるのだろう?
株式会社は、どんなに損失を出しても、株主の出資額の範囲でそれを越えることはない有限責任。
でも国民国家は、そうは行かない。
戦争で徹底的に負けた日本は、その負債を未だ負い続けている。
アメリカの従属国として未だ多くの基地を国内に抱え、ロシアには北方領土を。
中国や韓国には侵略の歴史をずっと責め続けられる。
国民国家は無限責任を負わなけばならない。
株式会社と国民国家、この別の生き物を同じルールで扱うことは出来ない。
そして株式会社は成長の過程でしか生きのびることができない。
それに対して国民国家の目的は「成長すること」ではありません。
あらゆる手立てをして「生き延びること」である。
国土が焦土と化しても、官僚機構が瓦解しても、国富を失っても、
人口が激減しても、それでも生き延びなければならない。
国家は、そのための制度です。
肝心の戦争論からは話の焦点がズレてしまいました。
現在は戦争の間期にある。70年前の負けた戦争とこれから起こる戦争の。
それに対する論考もユニークで面白いのですが、
今回は安倍内閣が選挙で掲げる「この道しかない」という
キャッチコピーに焦点を当てます。
グローバル企業という、コストを国民国家に外部化し、最低賃金で人を雇い、
何の社会的責任を果たす気が無い企業が勝ち残ることを「フェアネス」だと信じている人が、
日本のエスタブリッシュメントを形成している。
彼らが自己利益を最大化することは合理的です。
自分さえ良ければ日本なんか滅びてもかまわないというのは幼児的な考え方ですが、
本人がそうしたいというのなら僕に止める権利はない。
けれども企業が、その収益を最大化するために自分自身の安寧や健康を差し出しても「かまわない」と、
考える人たちがこれほどの数いることに僕は驚愕します。
自分たちを「資源」として収奪しようとしている企業のためなら、
戦争をしてもいい、私権を制約されてもいい、そう考える人たちが国民の過半数に近い。
いや、過半数を超えているかもしれない。
あきらかに自己利益を損なうような生き方を進んで採択する国民の数が、
これほどまで達したのは、戦後どころか日本開闢以来のことでしょう。
その事実の前に、僕はうなだれてしまうのです。
内田樹の、吐き出すような言葉が痛い。
![]() |
街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる) |
内田樹 | |
ミシマ社 |
ぜひ選挙の投票前に御覧ください。
今回の本の紹介ともリンクする内容となっています。
ゴッチの素朴な疑問に対して、憲法学者の木村草太が答えるという対話形式になっているので判りやすい。
特の後半の選挙権の公務性と選挙における民主主義的参加の提案には拍手です。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no07/kimura/
ブログでも紹介したいと思っています。
若い方たちの憲法をめぐる対話。
これも、選挙前に良い内容ですね。
ご紹介、ありがとうございます。
今この時期に、この本がジュンク堂のような大型書店のランキング上位に入るような売れ方を
していることが、まだ日本も捨てたもんじゃないって気分にさせてくれます(笑)
今回の選挙で「棄権」という選択肢は、あり得ないと思っています。
「棄権」は事実上、特定秘密法や集団的自衛権、原発再稼働を容認したことになるのですから。
小選挙区制の恐ろしさは、震災以降2回の国政選挙で厭というほど実感しました。
私は、この降って湧いたような選挙をプラスに考えたいと思っています。
やりたい放題の安倍晋三にNOといえるチャンスが訪れたのですから。
内田樹へのインタヴュー記事が出ています。
ここで紹介した本の内容を、より具体的に語ってくれています。
是非、御覧ください。
http://blog.tatsuru.com/2014/12/05_0858.php