金環日食が石鎚でも観られると思っていた。
確かに四国中央部の山岳地帯を金環日食可視ラインが走っている。
ところが出発前日、新聞のローカル欄に掲載された県内の金環日食可視ラインの拡大図では、石鎚が外れている。
なんだ?土壇場になって、また卓袱台返しか?
その上、天体ショー当日の空模様も思わしくない。
期待半ばで、とりあえずの新緑から芽吹きの山へ。
青葉の渓谷から若葉の森へ。
そして標高を上げるに従がって、春まだ浅い芽吹きの森が迎えてくれる。
開花が遅れたアケボノツツジを期待したが、さすがに5/20を過ぎれば遅かった。ほとんど花を散らし、ツツジ前線は石鎚頂稜へ迫ろうとしていた。
愛大小屋到着を待ったかのように、低く垂れ込めた空から雨が落ちてきた。
雨は、ずっと夜を通して降り続けた。
日も暮れて、少し肌寒いので薪ストーブに火を入れた。
今夜もひとりで本を読みながら過ごそうかと炉辺でくつろぐ。
突然、扉が開いて闖入者(笑)
「本谷を遡行してきた」とずぶ濡れの風体の威勢のいい御仁。
「この雨のなか、それは大変だったでしょう」と温かい火の傍へと招じ入れる。
怪しげな風体の御仁は、愛大山岳会の古参Sさんだった。
山岳会前会長、白石さんと同期だという。
思いがけず、昔日の山の話を、たんと聞く炉辺の長い夜となった。
お互いずいぶん呑みましたね(笑)、Sさん。
それから前会長白石さんから皆さんへ伝言です。
愛大小屋の板壁に、蝋燭の火の不始末と思われる焦げ跡があります。
小屋で火災が発生すると、豊かな石鎚の自然林が焼失してしまいます。
一度焼失した森は再生するまで何百年という長い年月を要します。
どうか山小屋を利用される皆さん、火の始末だけは徹底してください。
翌朝、雨は上がり、雲が低く垂れ込める空模様だったが、なんとか面河側の谷より(西ノ冠岳下)見上げる石鎚上空に欠けてゆく太陽の姿を見出せた。
やっぱり金色のリングは繋がらなかった。
それでも、ほとんど諦めかけていた天体ショーが、雲間から見い出せただけでも、拾い物。
そして下山も再び雨の森歩きでした。
下山した面河渓は、青の水彩絵の具が溶けだしたような淡い黄昏の光に包まれ美しかった。
ワイドを使った古木などは大好きな写真です。
山の火災も自然破壊の最たるもの、登山者それぞれが気をつけなければならないこと。
大事なことですね。
雨の中、本谷を詰める勇気は今の私には在りませんが、思い出として残っています。
残念ながら、金環日食は無理だったようですが、雲間の日食も味が在って良いですね。
夏山の写真も期待しています。
意識的に野外に身を置くことで、見えてくるものがあるだろうと考えました。
金環日食やスーパームーンは、そのための口実です(苦笑)
華やかな季節の花々には、以前のように視線が留まることはないようです。
でも森の風景には、以前と同じように(否、それ以上に)目を奪われます。
やっぱり私の還る場所は、ここかもしれません。
また面河の森で、あの栗鼠と出会いましたよ。
落ち葉の林床をぴょんぴょん跳ねて樹の上に駆け上がって行きました。
本谷遡行のSさんは73歳。
あのエベレスト2度目の登頂の渡辺一枝さんと同い年。
面河から巻道を使わないで川を遡行するそうです(道理でびしょ濡れなわけです)
真冬でもTシャツ一枚で皿ヶ峰をトレールランするらしい。
まったく恐るべき73歳。
東北ボランティアも歩き遍路も思うようにならず、心のなかでウジウジしているところがありましたが、ボツボツ直視できるようになったかな?
訪問はしていましたが、難しい問題と美しい画像を見るだけで、観ることは出来ません。
東北ボランティアも歩き遍路も思うようにならず、心のなかでウジウジしているところがありましたが、ボツボツ直視できるようになったかな?
訪問はしていましたが、難しい問題と美しい画像を見るだけで、今までは観ることは出来ませんでした。
ササユリを見て、なお元気が出ました。
お気楽そうに装っていますが、あなたの細やかな心情や気配りが痛いほど透けて見えます。
どうか今のままで。
鬼城さん共々、その優しさは私たちが遠く及ばない領域です。
観たままを直情的に発言するのは、昔からの私の習性です。
それで世間を狭くしています(苦笑)
どうか気になさらずに、何か感じたときだけコメントを寄せてください。
一足お先に東北へ行ってきます。