どうして、この本を文庫化されるまで手に取らなかったのだろう?
星野道夫の死の直前に出版されたアフリカの旅は、
その突然の死が、まだ頭の中でうまく理解できていなかったのと
星野とアフリカという場所が同様に頭のピースにうまく収まらなかったように記憶している。
太古から現在に至る生命の繋がりを夢想して、その現場が辛うじて残る極北の大地
をフィールドとしてきた星野道夫の遺したものは、
失われたものの大きさに、やっと気づき始めた私たちに珠玉の輝きを放っている。
私たちは便利や快適さと引き換えに、かけがえのない風景や生命の輝きを
数多(あまた)失ってきた。
ジェーン・グドールと過ごしたアフリカ、ゴンベの森での旅の日々は
星野道夫の持って生まれた人生を肯定的に捉える言葉に溢れている。
―どれだけ違う世界で生まれ育とうと
私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思ったとき、異国の人々の風景と自分が初めて重なりあう―
父の死以降、ずっと死や痛みの側に寄り添ってきた。
母を見守る「生と死のシーソーゲーム」のような暑く辛い夏も心身を疲弊させた。
27日、母はやっと深い眠りから覚めて、冷たいお茶を吸飲みから飲んだ。
あいかわらず熱は引かないものの血圧は平常値へ回復。
28日も同様に一日の数分間目覚めるようになった。
微かだが命の灯火は、まだ明日へと繋がっている…
母に寄り添う私自身が諦めかけていた挫けそうな気持ちを
久し振りに覚醒させてくれた星野道夫の「生命を繋ぐ言葉の力」だった。
「母さん、まだ死ぬには早過ぎるよ」と耳元で呼びかけ続けよう。
星野道夫の死の直前に出版されたアフリカの旅は、
その突然の死が、まだ頭の中でうまく理解できていなかったのと
星野とアフリカという場所が同様に頭のピースにうまく収まらなかったように記憶している。
太古から現在に至る生命の繋がりを夢想して、その現場が辛うじて残る極北の大地
をフィールドとしてきた星野道夫の遺したものは、
失われたものの大きさに、やっと気づき始めた私たちに珠玉の輝きを放っている。
私たちは便利や快適さと引き換えに、かけがえのない風景や生命の輝きを
数多(あまた)失ってきた。
ジェーン・グドールと過ごしたアフリカ、ゴンベの森での旅の日々は
星野道夫の持って生まれた人生を肯定的に捉える言葉に溢れている。
―どれだけ違う世界で生まれ育とうと
私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思ったとき、異国の人々の風景と自分が初めて重なりあう―
父の死以降、ずっと死や痛みの側に寄り添ってきた。
母を見守る「生と死のシーソーゲーム」のような暑く辛い夏も心身を疲弊させた。
27日、母はやっと深い眠りから覚めて、冷たいお茶を吸飲みから飲んだ。
あいかわらず熱は引かないものの血圧は平常値へ回復。
28日も同様に一日の数分間目覚めるようになった。
微かだが命の灯火は、まだ明日へと繋がっている…
母に寄り添う私自身が諦めかけていた挫けそうな気持ちを
久し振りに覚醒させてくれた星野道夫の「生命を繋ぐ言葉の力」だった。
「母さん、まだ死ぬには早過ぎるよ」と耳元で呼びかけ続けよう。
アフリカ旅日記 (MF文庫ダ・ヴィンチ) | |
星野道夫 | |
メディアファクトリー |
コメントを頂いて、検索してみると私の拙い文章が、
ジェーン・グドールと星野道夫というキーワードの上位に引っかかっていることに
びっくりしています。
長い間、自然写真と向き合いながら星野道夫の生き方や作品に
強く惹かれ、その自然観をお手本としてきました。
そうですね。
もし星野が、まだ生きていたら…
想像するだけで嬉しくなってきます。
あの優しい眼差しの捉えたアフリカ…
わくわくしますね。
私もETC英会話さんが呼び覚ましてくれた星野道夫の風景に感謝です。