生還
山の事故が相継いでいる。
山と渓谷、今月号の特集は「山のリスク」だった。
山岳遭難事故は、当事者その家族、救助に携わった多数の人々に多大な負担を強いる。
そのため事故から生還した人々は、黙して事故の詳細を語ろうとしない。
また救助を要請するような遭難事故に至らなくても、山でアクシデントに見舞われ、
なんとか無事に下山したという体験を持つ人も多いのではないかと推測する。
こちらも自らの失態を恥じて、その詳細を語ろうとしないことが多いようだ。
HP「石鎚山の四季」から御覧になっている読者の方は御存知のように、
私は2006年2月8日から10日の三日間、面河尾根で遭難事故に会っている。
事故の詳細は「面河尾根遭難」というタイトルで長文のレポートを公表した。
事故の経緯は、こうだ。
三坂峠が大雪のため渋滞するような状況の中、あえて面河から(登山口出発が13時半)入山したこと。
尾根で吹雪に巻かれ方向を失っても(眼鏡を失くした)撤退しなかったこと。
そして最大の失敗は、尾根でビバークした翌朝、天候が回復したので家族に、その日に帰ると携帯で連絡した。
しかし笹が完全に埋もれるほどの、真っ白な風景の中、枝尾根に迷い込み、そのまま携帯で連絡出来ない谷に下り、
もう一夜を谷でビバークしてしまったこと。
心配した家族は、当然警察に救助要請を乞う。
翌朝、面河川本谷を下る上空で、ヘリコプターが旋回し私の名前を連呼したときは心底肝を冷やした。
もうこうなると決断するしかない。
凍てついた面河川を対岸まで渡り、冬期閉鎖された石鎚スカイラインまで這い上がった。
スカイライン到着後、ヘルコプターに呼びかけたが認知してくれない。
携帯も通じない(当時はボーダフォンでした)
スカイラインを自力で下り、面河の公衆電話から110番して警察に保護される。
私は、この事故で数々の判断ミスを繰り返した。
それでも自力下山できたのは、テントや食料の充分な装備があったこと、
そして最終的に最も安全なスカイラインへエスケープしたことだと思う。
さて例によって前説が長くなった。
2月7日から9日の今回の石鎚入山で、私は利き足の右足首捻挫という致命的な事故に遭った。
それでもなんとか救助要請を乞うことなく無事下山できた。
もちろん、それは同行した菅さんのおかげだ(感謝)
こんな失態は、普通黙っていれば済むことだ。
菅さんも「こんなこと書かれんよ」と忠告してくれる。
しかし、それでは普段、私が発言していることと矛盾してしまう。
社会のしくみや理不尽さに異議を唱えているのに、自分自身の失態に目を瞑っていたのでは完全な自己撞着。
私の生還の記録など参考にならないかもしれないけれど、
遭難事故ぎりぎりの瀬戸際で、なぜ自力下山できたか?
その記録として読んで頂けると幸いです。
2/6、前夜からの天気予報で石鎚入山を決めていた。
朝目覚めて、何か気が重い。
ライブカメラを見ても、成就社は週明けの雨が雪になっていない。
出発前に仏壇にお線香を上げ黙祷する。
父母の遺影が何か昏い表情だ。
そして着替えていると、ズボンのボタンが外れていた。
針と糸を出してボタンつけをしている内に急速に気持ちが萎えた。
その日の入山を諦めた。
昼過ぎに近くの本屋で立ち読みしていた。
この時に山と渓谷の今月号「山のリスク」に目を通していた。
菅さんから携帯に連絡が入り、翌日の入山を決める。
2/7、久しぶりに菅さんと成就社から石鎚入山。
ロープウェイを降りても雪がない。
成就社まで、ずっと土の地面が続く。
2月上旬の山で、とんと記憶にない風景だ。
白石旅館で早めの昼食を食べながら足回りを整える。
前社ヶ森手前まで雪を見ないまま通過。
やっと出現した雪は凍結して滑りやすいのでアイゼンを装着。
夜明峠以降も笹が半分以上露出して雪解けの春の風景だ。
二の鎖元を過ぎると風景が一変した。
吹き上げるガスが樹々の枝に白く着氷し始める。
積雪量も、ぐっと多くなる。
よく締まった雪面にアイゼンのキックが小気味よく刻まれてゆく。
巻道、斜面のトラバース共に凍結してアイゼンがなければ身体を支えられない。
最後の三の鎖巻道は特に酷い。
氷の斜面と化した核心部をアイゼンとピッケルで小刻みに足場を刻みながら通過。
弥山に上がる階段部分が氷の塊となりアイゼンの歯も立たない。
そんな氷の塊が弥山山上に何カ所もあった。
今日は、いつになく楽な行程だった。
早速、装備を解き、避難小屋内で寛ぐ。
夕闇に落ちる山上は白くガスに覆われ粉雪が舞っていた。
明日の朝に期待して、菅さん持参の鍋料理で暖まりながら酒を呑んでいた。
いつもより酒量が過ぎたのだと思う。
尿意をもよおしトイレに立つ。
登山靴を雑に靴ひもも締めないで戸外に出た。
風が強く吹雪いていた。
暗がりで突然、身体が前のめりに倒れた。
激痛が走る。
息が苦しくて立ち上がれない。
足元をヘッドランプの灯りで照らすと、妙な形に捻じ曲がっている。
息を整え身体を起こし何事が起きたのか周囲を見回した。
氷の塊があった。
まだ、この時は事態の重大さに気づかず、転倒による打撲か肉離れくらいに思っていた。
トイレまで行く意欲を失い、近場で尿意を済ませた。
小屋に帰り、足の痛みに寝付かれない夜を過ごした。
2/8、その日は終日、雪が降っていた。
起こった事態の深刻さに、やっと気づき始める。
まともに歩くことが出来ない。
靴下を脱いで足首を晒すと、異常に膨れ上がっている。
青痣が数か所、くるぶしの辺りの固い部分に激痛が走る。
ひょっとして捻挫を通り越して骨折の可能性も?
菅さんと色んな可能性を考慮して対策を検討する。
天気予報では明日には天候も回復する。
最悪はヘリコプターによる救助要請だ。
タブレットを持参していた菅さんに「捻挫の処置法」を検索してもらった。
応急処置の第一は安静と患部を冷やすことだ。
幸い外には雪が沢山ある。
ビニール袋に詰めた雪で患部を冷やし、心臓より上の位置に患部を固定する。
明日の回復を祈るしかない。
それとお遍路の時に使っていたテーピング用のテープを常備していた。
状態が好転すれば足首をテープで固めて下山するつもりだ。
その日、実は岳連のSさんと久万高原署山岳救助隊の人が二人で、雪の中登ってきた。
避難小屋内で昼食をとりながら色んな話をした。
来週に行われる恒例の山岳救助訓練の下見だと云う。
この時、私は自分の怪我のことを話せなかった。
これ以上はないと思える山岳救助のプロフェショナルが、偶然に二人も訪れたというのに。
下らない見栄だった。
そのために菅さんには多大な迷惑をかけてしまうことになる。
申し訳ありません。
2/9、夜が明けた。
降り続けた雪は止み、上空に星空の覗く、撮影には持って来いの朝だった。
心なしか腫れが退いている。
足首も回せる。
立ち上がり、その場で足踏みをする。
痛みは残るが奇跡的な回復だ。
これで足首をテープで固定すれば自力下山できるかもしれない。
希望が湧いてきた。
朝食をとり、足首をテープで固定して靴ひもを固く締め、アイゼンをつける。
頂上社手前のスロープは凍結してアイスバーンと化している。
綺麗なウェーブが波打つ雲海の朝だった。
朝焼けのローズピンクからオレンジまで。
めくるめく色彩のバリエーションが万華鏡を覗くように繰り広げられる。
足がままならないので、自由な位置取りが出来ないことが悔しい。
やっと今シーズン一番の朝焼けに出会ったというのに。
8:40、さぁ、荷造りして下山だ。
最難関は三の鎖巻道の氷の斜面を無事に通過出来るか?
重いカメラ機材、三脚にスノーシューは菅さんに持ってもらった。
菅さんが先行して足場を刻んでくれる。
慎重に一歩づつ足を踏み出す。
ピッケルで支えながら体重移動。
痛みの走る右足を庇うために左足に力が入る。
怖いのは張り出した枝先にザックが当たり、バランスを崩すことだ。
普段なら両足で踏ん張れるが、それが出来ない。
とにかく慎重に慎重に足場を確保してゆく。
網目の階段にアイゼンの爪が引っ掛かり、あやうく前のめりになりそうになる。
冷や汗の連続だ。
なんとか最難関をクリアー。
その後、ピッケルを収納し、ダブルストックでバランスを取りながら下山。
二晩で新雪が20㎝くらい積もっている。
この柔らかい新雪が、痛みの走る右足の適度なクッションとなってくれた。
次の難関、二の鎖巻道の凍結箇所も無事クリアー。
とにかく亀の歩みだが、一歩一歩進んでゆく。
時々、振り返って私の様子を確認する菅さんの姿が有難い。
今日は朝から晴天で、沢山の人が登ってくる。
そんな登山者と言葉を交わしながら、前へ前へ。
10:45、前社ヶ森到着。
ここでザックを下して休憩。
ここまで2時間弱。
最終5時のロープウェイまでに到着できるか?と不安視していたのに意外に順調。
ザックを担ぎ直して11時出発。
雪がどんどん少なくなってゆく。
固い路面は痛めた右足に響く。
八丁坂の底辺までの下りは、ひたすら我慢の道程だった。
上りになると右足の痛みが軽減する。
いつもは息の上がる最後の登り坂が、天国への階段のように軽やか。
成就社の山門が見えてきたとき、思わず歓声を上げた。
菅さんと笑みを交わす。
「ありがとうございました。菅さん」
12:40成就社到着。山門で振り返り一礼して、お山の神様に感謝。
成就社でも拝殿にてお賽銭を上げて、無事下山を感謝した。
山上より4時間。
信じられないような奇跡的な生還だった。
菅さん、本当にありがとうございました。
2/11現在、連休で病院が休診のため、連日湿布を患部に当てています。
幸い徐々に痛みが退いてきました。
右足で踏ん張ることも出来ます。
おそらく骨折や罅(ひび)はないと思います。
少し肩の力が入り過ぎていたのでしょう。
今シーズンは前のめりになり過ぎていたと反省しています。
しばらく静養してから、肩の力を抜いて、やり直します。
土曜日の夕方、犬の散歩に出て段差でぐにゃりとなってしまいました
翌日寒風山登山の約束がありましたがそれどころではなく、今日は登山のステッキ片手に出勤し介護の仕事をこなしました
現在も少し腫れており踏ん張れません
明日夕方良い兆し見られなければ職場から整形へ走ります
同じく翌日の登山に力がはいっていたのでしょうか
罅が入ってなければいいと思うのですが・・・・・・
介護職失格です
落ち着いたらヘタクソ画像送ります
今年は早くもバイカ、コセリバ、セリバオオレン終盤もありで春近しといったところですか・・・・昨年とは違う顔撮れました
もし自分がそこに居たなら山岳救助隊の方に申告していたかもしれません。菅さんとの友情、菅さんの優しさを垣間見て、涙が溢れました。
お互い夢中になると周囲が見えないところがあるようななので気をつけましょう。
きっと頑張り屋のmisaさんに、神様からのちょっと一息つきなさい。
っていう静養の贈り物ですよ。
そうなんですよね。
里には、もう春の気配が…
まったく見えていませんでした(笑)
菅さんには、「書いたらいかんよ」と何度も忠告を受けていたのですが、
頑固者の私は、じっと胸の内に仕舞っていることが出来ませんでした。
下山してからストレスから解放されたせいか頭痛で寝込んでいました(笑)
やっと今日、PCの前に向かい一気に書き上げました。
どんなに注意を払っても人は必ずミスをします。
それが冬山では、取り返しのつかないことになる可能性が高まります。
危機的状況から、どのようにして生還できたか?
これは経験者が、黙してしないで、もっとそれぞれの体験を語るべきだと思います。
いけぴーさん、これからの季節は解けた雪が凍結してアイスバーンになることが多くなります。
テーピング用のテープと湿布薬は、必ず常備することをお薦めします。
今回の記事を読んで、山ではどんなアクシデントも乗り越えなければならないこと、改めて気が引き締まる思いです。ランスケさんの勇気ある告白に感謝です。
私は土日、瓶ヶ森にいってきました。夜明け前に黒瀬ダムを通過した時、空が赤く染まっていたのでいい写真撮られているかなと思っていましたが、まさかこんなことになっていたとは…
ゆっくりからだ休められ早くよくなって下さいね。
ランスケさんの山行は使命感の方が先に立っているような気がしていました。
休めという石鎚の思いだったのでしょう。
とにかく無事生還おめでとうございます。
自分は年ですから何でも無いところで倒れることがありました。
足が出ないのです。
運動を始めて最近はありませんが、気をつけねばと思っています。
misaさんもご無理をされないように・・・
先程、病院に行くと、足首の関節が骨折していました。
手術が必要ということで入院です。
入院2週間、全治2か月という診断でした。
それにしても、我ながらよく自力下山できたと吃驚(苦笑)
これで私の2013年冬山は終りました。
相変わらず無鉄砲ですね。
命在っての物種、五体満足?でよかった!
今の、ランスケさんは冬の石鎚山写真のトップランナー
だと思います。
弥山から見るご来光は怒涛の如く打ち寄せてきます。
゛見える自然゛と゛見えない自然゛を重ね合わせた時、修験道の神が現れるとそうですね。
ボッテイチェリの「ヴィーナスの誕生」に天使がヴィーナスに息を吹きかけているように山伏の法螺貝も神に息吹を吹きかけているのでしょうか。
ランスケさんはカメラを透して神話を魅せてくれました。
しばらく、色々な事OFFにして休んでください。
まだまだ、やり残したことがあるので悔しいかと思っていると、そうでもありません。
何か憑き物が落ちたみたいな気分…
今、石川光太の「津波の墓標」を読んでいます。
あの「遺体」を越えるかもしれない震災を取材した最も優れたノンフィクションだと確信しています。
決してテレビや新聞では報道し得なかった生々しい生と死の狭間が描かれています。
真実はディテールに宿る。
「絆」に象徴されるような、外から目線の綺麗事でない現地の姿が、
ページをめくるたびに突き刺さるように胸に迫ってきます。
間もなく3・11から二年です。
モバイルを病院に持ち込んでいるので入院日記でも綴ろうかな?
転んでもただでは起きないところはどこかの誰かと似てますねえ
似てると言えば見事に骨折してましたよ
今日レントゲンで即判明
「これを我慢して介護の仕事したの」とdoctorあきれ顔
明日の夜勤から今後どうするか明日上司と相談します
同じく2013の冬は終わりました
と言いたいところですがまだ太平洋があります
ギブスあてて杖ついて仲間に助けてもらって暫くは
太陽族となりますか・・・・(聊か古い)