Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

お地蔵様のある風景

2017-11-06 | Walk on

 

夕暮れ時になると、ここへ来てしまう。

西陽に映えるお地蔵様たちの風景を見ていると、なぜか心がやすらぐ。

その土地に根付いた信仰(祈り)の風景は、間違いなく向き合う私たちの心の襞の柔らかい部分を慰撫するようだ。

小一時間、カメラを介して、土地の神様と交流していた。

 

宗教学者、山折哲雄が「四国遍路の始まり衛門三郎伝説」という一節の中で、ここ八ツ塚群集古墳のことを書いている。

日本人の巡礼行動の根本は減罪だと思っていましたが、

「八ツ塚群集古墳」を訪れ、とても感銘を受けました。

罪とは人を殺したり、家族を不幸にした、病気になって共同体から追われたなど、

悲劇の人生から発する恨み、怒り、絶望から生まれますが、

そのことによって、また罪を犯す、罪を着せられる、

その繰り返しの中の人間苦だったのではないでしょうか。

その人間苦から、どう救済されるか、逃げ出るかが減罪です。

これは人間普遍の悩みでしたし、祈りだったのですが、

その解決法、つまり減罪方法として日本では、遍路、巡礼という行動が生まれたのだと思います。

山や海辺といった難所を旅しながら、自分の罪を見つめる、

いろんな土地を巡り歩くことで、その土地や場所の神仏と出会い祈ってきたのです。

土地には必ず神仏が鎮まっているという八百万の神信仰は、

日本的多神教の重要な性格だと思います。

 

本当に、その通りだと思う。

私もお遍路の旅で、このことを実感した。

衛門三郎伝説は四国遍路という祈りの旅の原型を成す説話なのでしょうね。

その祈りの旅の発生の地なのだから、

ここが訪れる人の心の襞に何らかの作用を及ぼすことも頷ける。

知られざる(意外と知名度が低い)四国遍路、祈りの聖地(パワースポット?)です。

八ツ塚夕映えの風景も、どうぞ。

近くの丘陵公園のメタセコイアも、そろそろ色づき始めた…

 


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4 コメント

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因果律? (ランスケ)
2017-11-08 10:10:49
実は父の旧姓が河野だったことを思い出したのは、
鬼城さんが荏原という地名を明記してくれたおかげです(笑)
ふっと衛門三郎が河野一族だったことが頭に浮かびました。
今まで一度も、そんな関連性など想像したことも無かったのに不思議です?
面白いですね。
もう一つ面白い符号を思い出しました。
父は一度改名しています。
親からもらった名前は三郎だった(三男だったので)と聞いています。
河野三郎…なんでしょうね(笑)
衛門三郎の末裔だとしたら、私が父母の死に対する後悔を抱えて四国遍路へ旅立ち、
また再び、ここへ戻って来るのも合点がゆきます。
いやいや…こういう因果話はやめましょう笑)

明治の神仏分離令の前までは、石鎚信仰の別当は真言密教の前神寺や横峰寺でした。
空海も若い頃に石鎚山の天柱石の下で修業したという伝説があります。
四国のほぼ中央に聳える霊山は密教曼荼羅の須弥山そのものですよ。
真言密教が四国遍路を立体曼荼羅に例えたのなら、石鎚山というピースは不可欠な存在だと思います。
(これも山折哲雄の受け売りですが)
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古(いにしえ) (鬼城)
2017-11-08 09:35:39
人間の生活は、生きていく上で必要不可欠なものと育まれる食べ物ですね。
肥沃な土地は最適な場所だったんでしょう。
河野一族・・・末裔である可能性が高いですね。
この辺りに多い姓かもしれませんが、訳があるはずですから・・・
写真は奥が深い。(笑い)
いつまで経っても分かりません、というより勉強しないからかも・・・m(_ _)m
山岳信仰に一時興味を持っていたことがありました。愛媛を代表する石鎚も大師信仰との繋がりもあるとか?
愛南町の篠山の信仰も伊達家の加護があったと聞いています。
観自在寺には遙拝所も有り、伊達家の家紋が入っています。
返信する
土地の神々との交流 (ランスケ)
2017-11-07 10:07:36
鬼城さんがブログで、ここ八ツ塚群集古墳を紹介してくれたことで、
改めて調べていると、偶然、山折哲雄の文章と出会いました。
この人の日本の精神風土を語る原風景の眺望が好きで、
何冊か著作も読み、講演会にも足を運んでいます。
またここでも四国遍路の祈りの風景を見せてくれました。
目から鱗です(笑)

仰るように、この荏原という土地は、久谷川、砥部川という重信川に合流する
二つの川に挟まれた肥沃な場所だったようです。
衛門三郎の名字は河野。
道後平野一帯を支配した河野一族に連なる豪族だったのでしょうね。
亡き父母も好んで、八坂寺周辺の里山を散歩していました。
実は父の旧姓は河野です。
河野一族の里に惹かれるように通うのも偶然ではないかもしれません?
この土地の神様(氏神)は、血脈の繋がる御先祖様かも(笑)
土地の神様を強く意識するようになったのも風景写真を撮るようになってからです。
特に石鎚山という霊山と向き合っていると、それを意識しないわけには行きません。
お遍路旅も東北への自転車旅からも、その土地の醸し出す精神風土を感じていました。
これが私の残りの時間をかけた宿題かもしれません。

今回掲載した写真は、すべて望遠レンズによる圧縮効果を意識しました。
御指摘通り2枚目の背景は皿ヶ嶺ですね。
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光! (鬼城)
2017-11-07 09:04:49
惠原(荏原)の地の中に古墳がある。
そして歴史が存在する。
ランスケさんの言われるように後世に衛門三郎の里として弘法大師伝説に繋がる、宗教の連鎖でしょうか?
そして現代、光の中でお地蔵さんはこの世の中をじっと見つめている。
どの宗教であれ、祈るという大切なことを忘れているような気がしてなりません。
2枚目、バックは皿が峰?
佇むランスケさんの姿が見えてきそうな感じがします。
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