暑い夏をやり過ごすには、涼しい場所で日盛りの時間を過ごすに限る。
もちろんそこはエアコンを利かした涼しいのだか寒いのだか分からない場所ではない。
天然の涼風吹き渡り、身も心も癒してくれる場所へ。
夏の楽園、堂ヶ森は、まとまった降雨の後じゃないと水の確保が困難だ。
近場で天然の涼を求めるなら、ちょっと山際へ入った水辺だろう。
今日も水遊びがてらカワトンボの撮影へ。
森林公園へ午後遅く行った時に、ヤンマの産卵を見た。
ブンブン大きな音がするので視線を向ければ、
泥濘に杭を打つようにホバリングしながら垂直運動を繰り返す♀のオニヤンマの姿だった。
腹部の先端を泥濘につけて産卵しているわけだが、
ホバリングするための翅の動きが信じられないくらいの高速回転なのだ。
その風切翅の音がブンブンと空気の振動を伝える。
カメラを向けてもブレて全滅だった(汗)
そして、この日もヤンマの縄張り巡回が繰り返し川面で行われていた。
別の♂がやって来ると撃退する。
疲れたら目の前の岩や草の蔓に止まって休んでいる。
生き物たちは、こちらの気配が薄らぐと、至近距離で翅を休める。
日盛りの木蔭でボーッとしていると、沢蟹が足元で這っていたり、
蝉やトンボも汗ばむ腕や足に止まる。
カメラを向ける気配を感じると、さっと飛んでゆく。
動物写真家たちは野生動物との距離の取り方を心得ている。
私も徐々にトンボたちとの距離感を掴めてきたようだ。
猛暑の夏、もう少し涼しげなトンボたちに遊んでもらおう(笑)
先日、滝の音を聞きながらトンボをlensで追いかけた時間は正に至福の時
良いですね、トップの画像
いよいよ猛暑ウィーク突入ですね。
高知方面の天気予報も、週明けから、36℃という数字が並んでいます。
外気温が人の体温近くまで上がると、もう何もしたく無くなってきます。
私も京都で38.6℃という焦熱の一日を体験しています。
さぁ、何処へ避難しようか?
思案中です。
今夏は水辺のトンボ写真ですね。
ワンテーマに絞ると、生態にも通じてくるので色々、見えてくるものがあります。
冒頭2枚は、水面の煌めきが美しい場所で、ひたすらトンボが飛来するのを待ち続けました。
ベストポジションに止まったとカメラを向けると殺気を感じるのか、すぐに逃げてしまいます。
色即是空の無の境地に入らないと生き物撮影は難しい(笑)
毎日の忙しさにかまけて余裕のなさが感じられます。
昆虫たちとの距離、これも発想の転換か?
それとも昆虫たちの生きる力か?
手ぶれの話が出ていますが、私はいつまで経ってもぶれっぱなし、ぼけっばなしです。
学習力のなさでしょう。(汗)
暑い夏、自然と親しみながら乗り切りましょう。
今週が暑さのピークだと思います。
なんとか乗り越えてゆきましょう。
生き物たちは、短いその生を全うしているだけでしょうね。
次に遺伝子を繋ぐために懸命に生きています。
弱肉強食という誤った通念は、いつから広まったのでしょうね?
食物連鎖の循環を一面的に捕食者の立場から見た視点だと思います。
その捕食者も結局は、他の生き物たちに食べられてしまうのです。
生き物たちの命は循環しているだけです。
昨夜、放送されたNHKスペシャル「大アマゾン最後の秘境」シリーズは凄い番組でした。
http://www.nhk.or.jp/special/amazon/
今まで見たことのない凄い映像ばかりです。
過去3回も全て観ていますが、これがNHKの底力ですね(笑)
今日は天皇陛下の生前退位に関するお言葉が。
何度観てもわくわくさせられます。
こういう動画は、今の日本では無理でしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=IocLkk3aYlk
イチロー3000本安打達成、おめでとうございます。
「イチローが嫌いだ」偉大なアスリートにリスペクトを込めて。
https://www.youtube.com/watch?v=2-_qOaGUYx8
70年前の暑い夏の日々を想起させるメッセージでした。
あえて沖縄戦が終結して広島と長崎に原爆が投下された、この時期を選ばれたのではないか?
と想いを巡らせました。
内田樹が、簡潔にお言葉の意味を要約しています。
内田樹
✔ @levinassien
お言葉」について。
コンテンツよりも「宛て先」が重要だったと思います。
宛て先は「私の言葉を受け止め、理解し、共感できるほどに知性的・感性的に成熟した日本国民」でした。
実体的にそのような国民が実在するのかどうかは別として、あえて「それ」を聴き手に想定した。
「聴き手の知性を信頼して語られる言葉」を「公人」の口から聞くのは、
本当に(記憶にないくらい)久しぶりのことでした。
「バカだからどんな嘘をついても平気」「バカだから死ぬほどシンプルな話じゃないとわからない」
というシニスムに日本の「公人」たちは骨の髄まで毒されていましたから。
誰も言わないでしょうけれど、陛下の言葉が聴き手の胸にしみいるのは、
そこに「国民に対する敬意」と「国民への祝意」がはっきりと感じられるからです。
政治家たちの言葉があれほど空疎なのはなぜか、その理由もそこから知れるはずです。
陛下のお言葉についての各紙の社説は賛否こもごもなようです。
そのコンテンツの当否については脇へ置きます。
でも、「お言葉」と「社説」のどちらが「受信者の知性」を信じて語られているかはわかるはずです。